これから増えるであろうお墓やお葬式のスタイル

坊主なしの葬式 哲学・宗教
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本日も「Gallagher Note」をお読みいただきありがとうございます。
こんにちは、福山です。

ダイヤモンドオンラインで「墓なし・坊主なし」の弔いをやってわかったこと、という良記事がありました。これからは増えるであろう弔いのスタイルだと思います。備忘録的に記事に残しましす。

リンク→「墓なし・坊主なし」の弔いをやってわかったこと

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ビジネス臭のする葬式仏教

お葬式やらお墓にやら、弔いをするのには莫大なお金がかかります。宗教離れが進んでいるのに、なぜここまでも仏教スタイルと守らなければならないのか?と感じているのは私だけじゃないはず。

というか、どんどん格差社会が広がっていき、お葬式なんかにお金をかけることができない世の中になっていっています。

もちろん、宗教が悪いとか、お葬式をやることが悪いことなんて全然思っていません。お墓の前で手を合わせることは良いことだと思っています。

でも、葬式やお墓にお金をたんまりかけることはこれからのライフスタイルに合ってないと思うんですね。

リンク先の筆者もそう感じています。

あらかじめ申し上げておくが、筆者の意図は、読者に無宗教を積極的に勧めようとするものではない。信仰が人生の助けになる人もいるし、宗教は文化や芸術にも多大な貢献をして来た。また、先祖のお墓に手を合わせることが、心に良い影響をもたらすという意見もあり、これも否定しない。

 ただ、いずれの宗教にも入信しない場合や、何らかの宗教への信仰心はあるものの、現実の宗教ビジネスがあまりに商業的であって、端的に言ってお金が掛かりすぎることに納得できない場合に、筆者の家族のようなやり方があることをお伝えしておきたいだけだ。世間には、積極的な宗教心からではなく、惰性で、あるいは手続きのためだけに、お寺や墓地に拘束されて、面倒な思いと、少なからぬ支出に悩んでいる方が少なくないようにお見受けする。

筆者の父親が亡くなりました。筆者の家族はお坊さんなしの弔いを行なったそうです。

 お坊さんなしの弔い(「坊主フリー」と呼ぶか「坊主レス」と呼ぶか迷っている)、をやってみて、「何よりも、家族でゆっくり、心のこもった別れができたのが良かった」というのが故人と長年連れ添った筆者の母の言であり、息子、娘も、100%同意するところだ。

総費用も約37万円と、お葬式より安かったのです。ただ、値段というより家族で最後の別れをゆっくりとできるのが良いところです。葬式を開くとなると慌ただしくなりますからね。あの慌ただしさを見ると誰のために葬式やってるの?と思うはずです。

この筆者の母親のすごいところが、子孫の負担にならないようにと考えたところです。

その状態は長く続いたが、3年と少々前のある日、母がお墓を撤去して散骨を行うNPO法人があるとの記事を見つけて、興味を持った。お墓及びお寺が、子孫の負担になるとの考えの下、彼女は、息子・娘に相談して、お墓を撤去し散骨を行い、件のお寺と縁を切る意向を固め、これに父も同意した。

その状態が長く続いたというのは、お寺との縁です。お盆になればお坊さんが自宅の仏壇にお経を上げに来ませんか?そういうのでお金を取っていきますよね。

こういうのは今後子孫の負担になると考えた母親は、お墓からお骨を取り出し、お墓を撤去したのです。そしてお骨は海に散骨したとのことです。

お墓を更地に戻す作業を含めて数十万円かかったそうですが、自分の代で支払い、子孫に負担を残さない姿勢がなんとも素敵です。

ただ、宗教及び「宗教ビジネス」を介在させなくとも、心のこもった弔いはできるし、先祖を思い出して感謝する生活をすることができる、ということをお伝えしたいだけだ。

素晴らしい家族ですよね。まさに全員が理解ある家族です。

今の仏教形式で通夜や葬儀までフルコースでやっちゃうと、残された遺族には金銭的にも心身的にも疲弊がたっぷりときます。葬式のために知人たちは遠くからやってきて、お金を包んで・・・となると、知人たちも大変。

それでよく知らないお坊さんが、気持ちのこもってないお経を読んでいく・・・。まぁこういうもんよって言われたら、「そうなんだなぁ」くらいにしか思いませんが、やっぱり変だよね。

まぁこういうのは家族でちゃんと話し合って決めるべきことです。他人がとやかく言えません。筆者の家族のように素晴らしい最後の弔いを目指すべきですよね。

どうぞリンクをご覧になってください。

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