フランス映画「最強のふたり」を観て思う、人との向き合い方

最強のふたり映画の感想
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本日も「Gallagher Note」をお読みいただきありがとうございます。
こんにちは、福山です。

頚椎損傷で首から下が全く動かせない不自由な不老の老人と、その介護人となった貧困層で暮らしている移民の若者との交流を描いた映画「最強のふたり」を観ました。

見返すたびに、心温まる素晴らしい映画だなぁと思います。おすすめ映画としてご紹介します。

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最強のふたりの感想

2011年のフランス映画になります。フランス映画といえばエッチなイメージしかありませんが、この映画は違いました(所々ある下ネタは笑えましたが)。

・ストーリー

パリに住む富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、頸髄損傷で首から下の感覚が無く、体を動かすこともできない。フィリップと秘書のマガリー(オドレイ・フルーロ)は、住み込みの新しい介護人を雇うため、候補者の面接をパリの邸宅でおこなっていた。
ドリス(オマール・シー)は、職探しの面接を紹介され、フィリップの邸宅へやって来る。ドリスは職に就く気はなく、給付期間が終了間際となった失業保険を引き続き貰えるようにするため、紹介された面接を受け、不合格になったことを証明する書類にサインが欲しいだけだった。
気難しいところのあるフィリップは、他の候補者を気に入らず、介護や看護の資格も経験もないドリスを、周囲の反対を押し切って雇うことにする。フィリップは、自分のことを病人としてではなく、一人の人間として扱ってくれるドリスと次第に親しくなっていく。

出店:ウィキペディア 最強のふたり

ドリスはフィリップに悪気もなく気を遣いません。それが介護に慣れきったフィリップにとっては嬉しかったのでしょう。「あいつは障害者だ」、そんな扱いを障害者は望まないということを多くの人は知っているはずです。しかし、健常者として同じように扱うことは簡単ではありません。常識がある人ほどそういう傾向が強いと思います。貧困層で暮らすドリスは、それが良い意味で働きフィリップとどんどん気があっていきます。どちらも新しい価値観を交換して、富や年齢など関係なく一人の人間として向き合っていました。

社会的ステータス関係なく、どれだけ人と向き合えているだろうか?私は自分にそう問いかけずにはいられませんでした。悪気なく本当のことを言うドリスの言動は、フィリップの心のバリアをどんどん突き崩していきました。これが本当のコミュ力ってやつなんでしょうね。「障害者には手を貸してあげなくてはならない」、学校ではそう教えられたと思います。実際はその通りなんだけど、この言葉がすでに健常者と障害者を分けており、分けることは対等の関係を難しくさせます。

でもそれって実際は人生をつまんなくさせると思います。じゃあどうしたらよいの?それを言葉で説明することができませんが、この映画を見ることで体で理解することができるはずです。ドリス役の「オマール・シー」さんの素晴らしい演技がなければ、ここまで心動かされる作品にはなってなかったでしょう。

 

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