Amazonプライム・ビデオで映画『8番出口』を観ました。
タイトルを耳にしたことがあった程度で、事前に詳しい内容を調べずに再生したところ、観始めてからホラーだと気づきました。私はホラーが苦手です。
※ここから先は、映画『8番出口』の具体的な展開や結末に触れています。未見の方はご注意ください。
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主人公の適応と、私の「110番」という引っかかり

原作となっているのは、異変があれば引き返し、なければ進むというルールで地下通路からの脱出を目指す短編ウォーキングシミュレーターです。
映画の中でも、主人公は同じように無限にループする地下通路へ迷い込みます。そこで展開される状況を見ながら、私がまず抱いたのはこんな疑問でした。
「いきなりゲームのルールを飲み込む主人公、そしてスマホで写真を撮っていくところがまた都合がいいな。」 「写真撮る前に、スマホあるんだったら110番とかするよなー」
もちろん、地下深くだから電波が届いていなかったのかもしれませんし、画面に映っていないところで通報を試みた後だった可能性もあります。客観的に見て脚本に穴があると言い切るつもりはありません。ただ、観客としての私は「もし自分がこんな不可解な場所に閉じ込められたら」と現実の危機として受け止めていたため、まず警察や駅員に通報して外部に助けを求めるのが自然ではないかと感じていたのです。
それに対して、画面の中の主人公は比較的すんなりと状況の異様さを受け入れ、手元のスマートフォンで壁や通路を記録し始めます。現実のパニックに陥る人間というより、間違い探しのルールを理解して攻略に乗り出すゲームのプレイヤーのように見えました。この、現実的な危機として身構える私と、ゲームのような状況へ適応していく主人公とのあいだにあるズレが、序盤の大きな引っかかりになりました。
後に知ったインタビューによると、川村元気監督は満員電車でスマートフォンに注意を奪われて周囲を見ない日常や、家族より自分を優先する罪悪感を着想として語っており、ゲームを遊ぶ人と配信を見る人の両方の感覚を映画に持ち込みたかったと説明しています。主人公がスマートフォンを構えて通路を観察していく姿は、そうした配信を見るような客観的な視線や、現実との距離感を画面に持ち込むための演出だったのかもしれません。
次々に現れる異変と、置き去りにされる感覚
通路を進むにつれて、起こる現象はどんどんエスカレートしていきます。その中で、脈絡のつかめない怪異に直面したときの私の反応は、素朴な混乱そのものでした。
「急にグロいネズミのモンスターが出てきた。なんだこれ」
それまでの静かな通路の空気から一転して、突然グロテスクな怪物が現れる。視覚的な不気味さは強いものの、なぜそれが通路に出てくるのか、前後の文脈からはまるで見当がつきませんでした。
人物の描写についても同様です。通路には主人公のほかに、黙ったままついてくる少年がいました。ところが母親の姿を目にした瞬間、その少年が急に「ママー」と声を上げます。
「お前、喋れたんかい。」
それまで声を出さなかった理由は何だったのか。ずっと黙っていたのに、普通に喋る。張り詰めていた不気味さの中で、思わずそんなツッコミを入れたくなりました。
そうして映画が終わった直後、私の頭に残っていた感想はこれでした。
「終わったよ。正直何を表してるのかはちょっとよくわからなかったな。」
「父親になることを引き受けたっていうのはわかるんだけど。まあでもそれがこの映画と一体何の関係があるのかが全然わからなかったんだよね。」
主人公が最終的に「父親になる責任」を引き受ける、という着地点自体は読み取れました。けれど、それがなぜあの白い通路を歩き回ることと結びつき、次々に襲いかかる怪異とどう関係しているのか。その間をつなぐ線が、観終わった直後には見えてこなかったのです。
観終わってから見えてきた「二つの対比」

ただ、観終わってから映画全体の構成を頭の中で整理していくうちに、はっきりと意図的に配置されている二つの対比に気づきました。
一つ目は、冒頭と結末における主人公の行動の対比です。 映画の冒頭、泣いている子供に対して男性が怒っている場面がありました。そのとき主人公は、厄介事に関わりたくないという態度で、その光景を無視していました。 ところが結末では、再び同じように子供が泣き、男性が怒っている場面に戻ってきます。そこで主人公は、冒頭のように目を逸らすのではなく、その男性に向かって立ち向かおうとします。見て見ぬふりをしてやり過ごした最初の自分と、目の前の問題に関わろうとする最後の自分。ここには明確な変化が描かれていました。
二つ目は、通路にいた「歩く男」と「主人公」の選択の対比です。 主人公と同じように通路を歩いていた男性は、最終的に子供を置いて自分一人だけで助かろうとしました。それに対して、主人公は子供を助けようと行動します。
この二つの対比を並べてみたとき、私の中にひとつの仮説が浮かびました。自分だけ助かればいいと思った人は、この空間にずっと閉じ込められるのではないか。これは私の仮説で、作品の脱出条件として確認できたわけではありません。
異変に気づいて引き返すこと、あるいは目の前で起きている事態から逃げずに立ち止まること。そうした選択は、現実の日常で「見て見ぬふりをやめること」と重なっているのではないか。実際、川村監督も別のインタビューで、異変を認識して引き返すか、無視して進むかというゲームの選択を、日常の見て見ぬふりと結びつけて語っています。
自分だけが助かろうと子供を置き去りにした男は通路に囚われ、他者に関わって子供を助けようとした主人公は、現実へ戻り、父親になる責任を引き受けることができた。そう考えると、冒頭と結末の主人公の変化、そして通路を歩く男との対比という大枠のドラマには、筋の通った意図があったのだと整理できました。
対比が分かっても、残る疑問

しかし、その対比に気づいてテーマの輪郭が見えたからといって、映画の中で起きたすべての出来事がすっきり腑に落ちたわけではありませんでした。
骨組みが分かったからこそ、逆に疑問として浮き彫りになる部分があったのです。
たとえば、途中で見かけた女子高生のように見えた人物は何だったのか。通路を突如として襲ったあの大洪水は何を意味していたのか。そして、ずっと黙っていた少年が急に声を上げた理由や、彼らがどのような存在だったのか。
ホラー映画に出てくる怪異のすべてに、一対一の明確な正解や説明が必要だとは思いません。理由が分からない理不尽さや、意味の通じない気味悪さそのものが、恐怖を生み出すこともあります。
けれど、冒頭と結末、そして歩く男との対比によって「責任から逃げるか、向き合うか」という分かりやすい軸が見えてしまった分、「では、あの派手な怪物や洪水は何と結びついていたのだろう?」と、残された個々の異変の意味も気になってしまう。
ネズミの造形と、後から知った由来

この作品の中で特によく分からなかったのが、途中で出てきたネズミの怪物でした。
鑑賞後、あの怪物が妊娠に対する不安と結びついているという短い説明を目にした時、私の頭の中には疑問しかありませんでした。
「ネズミに妊婦への不安かー。全然わからねぇ。なんでネズミなの?」
妊娠への戸惑いや親になる重圧を表現するモチーフとして、なぜネズミの化け物が通路に現れるのか。その連想のつながりが全く見えなかったのです。
この疑問については、後から監督自身の詳しい発言を知ることで、デザインの出発点が分かりました。
海外メディアのインタビューによると、監督はパートナーの体内で起きていることへの想像と、映画冒頭のスマートフォンのタイムラインに映る「耳のついたネズミの画像」を結びつけて発想したのだそうです。そこから、耳だけでなく目や鼻、口などが集まった顔のような造形を考えていったと説明されています
冒頭にスマホ画面に映っていた画像と、生命が育つことへの想像が組み合わさって生まれたデザインだった。作り手側の具体的な造形の由来としては、そうした意図があったわけです。
「退屈ではなかったけれど、面白くはなかった」
「不気味だったから、退屈ではなかったけれど、面白くはなかったかな。暇つぶしって感じ。」
と、鑑賞後に思いました。
無機質でどこまでも続く通路の圧迫感や、次は何が起きるか分からない緊張感があったため、見ているあいだ退屈することはありませんでした。不気味な世界観に引っ張られて、最後まで画面を見続けさせる力はあったと思います。
ただ、観終わった直後に残ったのは「何を表しているのかよく分からない」という困惑でした。その後、冒頭と結末の変化や、歩く男との対比を整理したことで、父親になる責任を引き受けるというドラマの軸は見えてきました。さらに後から調べたことで、ネズミの怪物のデザインがどうやって生まれたのかという情報も知ることができました。
でも、「うーん」って感じの映画でした。
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参考資料
PLAYISM公式:原作ゲームの概要とルール
Inverse:川村元気監督インタビュー(日常の無関心と、ゲームを遊ぶ側・見る側の感覚)
In Review Online:川村元気監督インタビュー(異変への対応と見て見ぬふり)
Flickering Myth:川村元気監督インタビュー(ネズミの怪物の造形の由来)


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