※前半はネタバレなし、後半で結末に触れます。
バカ映画だと思って再生しました。
『ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男』。
この邦題を見て、真面目な映画を想像する人は少ないと思います。私もそうでした。ナチスをなぎ倒し、雪山で毛むくじゃらの怪物と殴り合い、最後はビール片手にニヤリ。その手の勢い任せの一本だろうと、軽い気持ちで再生ボタンを押しました。
ところが、画面の向こうにいたのは、まるで別の映画でした。
これは、老いと喪失の物語です。看板こそ派手ですが、その下にあるのは、苦くて静かな余生の話でした。
あらすじ
主人公は、老いた元兵士カルヴィン・バール。第二次世界大戦中、彼は極秘任務でヒトラーを暗殺しています。
しかし現在の彼に、英雄の輝きはありません。歴史に名は刻まれず、誰かに称えられることもなく、愛犬とふたり、語れない過去を胸の奥にしまったまま、ひっそりと暮らしています。
そこへ政府の人間が訪ねてきます。カナダの森に潜むビッグフットが危険な病原体を宿しており、放置すれば大惨事になる。そして、その病原体に免疫を持つ数少ない人物が、ほかでもないカルヴィンだというのです。
ヒトラーを殺した男に、今度はビッグフットを殺させる。
字面だけ並べれば、たちの悪い冗談です。けれど本作は、それを笑いに振り切りません。荒唐無稽な運命を背負わされた男の疲労と孤独を、拍子抜けするほど真面目に見つめていきます。
サム・エリオットという一点突破
この映画を成り立たせているのは、ほぼ主演サム・エリオットただ一人の力です。
低く沈んだ声。長くなる間。言いかけて飲み込む口元。彼が画面に座っているだけで、「この男には誰にも言えない過去がある」と観客は信じてしまう。多くを説明されなくても、カルヴィンが背負ってきた歳月の重さが、こちらに伝わってきます。
若き日のカルヴィンを演じるエイダン・ターナーも好演しています。ただ、観終えて胸に残るのは華やかな武勇伝ではなく、老いたカルヴィンが言葉を選びかねている、あの表情のほうでした。
サム・エリオット目当てなら、十分に元は取れます。逆にアクションや怪物映画を期待すると、まず確実に肩透かしを食う。これは英雄の活躍ではなく、英雄になりそこねた男の余生を描く映画だからです。
ここからは結末に触れます。
偉業を、あえて盛り上げない
ヒトラー暗殺の場面は、驚くほど素っ気なく描かれます。潜入し、近づき、撃つ。ただそれだけ。観客が思わず拳を握るような見せ場に仕立てることもできたはずなのに、本作はそこから高揚をきれいに抜き取ってしまいます。
カルヴィンはたしかに歴史を変えたのかもしれません。けれどその功績は公にされず、名は表に残らず、人生が報われたという手応えもない。
「偉大なことを成した人間」と「幸福に生きられた人間」は、まったくの別物です。本作はこのズレを、最初から最後まで一定の距離を取って見つめ続けます。ここに、この映画の冷たさと核心が同居しています。
失われたのは、ビッグフットではなくマキシンだ
最も深く胸に残るのは、ヒトラーでも怪物でもなく、恋人マキシンとの関係でした。
彼女はカルヴィンにとって、選べたかもしれないもう一つの人生そのものです。秘密を抱えなくていい人生。誰かを撃つのではなく、誰かと穏やかに歳を取っていく人生。カルヴィンはその選択肢を、任務と沈黙の中でいつのまにか取りこぼしていました。
ケイトリン・フィッツジェラルド演じるマキシンの柔らかさが、そのまま「もう戻れない時間」の手触りになっている。世界を動かした功績よりも、彼女と過ごせなかった日々のほうが、カルヴィンの中ではずっと重い。映画はそれを台詞で説明せず、ただ彼の顔だけで突きつけてきます。本作でいちばん静かで、いちばん鋭い瞬間です。
怪物は、爽快に倒せる敵ではない
後半、カルヴィンは病原体を宿すビッグフットを追って森に分け入ります。怪物映画として観れば、ここはどうしても物足りない。派手な暴れも、ぞっとさせる恐怖の演出もありません。
けれど、これは狙ってのことでしょう。ヒトラーは思想という病を広げる存在、ビッグフットは文字どおり病を広げる存在。両者は「災いの源」としてそっと重ねられています。とすればカルヴィンの生涯は、若き日も老いてからも、災いの根を断つためだけに費やされてきたことになる。
だからこの怪物は、討伐して胸がすく相手ではありません。危険であると同時に、どこか哀れに映る。戦いを終えても爽快感が訪れないのは、そのためです。
死んで伝説になることを、この映画は拒む

終盤、ビッグフットを討ったカルヴィンは死んだものとして扱われ、葬儀まで営まれます。
ここで幕を下ろせば、さぞ収まりがよかったでしょう。ヒトラーを殺し、ビッグフットも殺し、最後は世界を救って逝った男。タイトルどおりの伝説として、誰もが納得する形で完結します。
ところがカルヴィンは、生きて戻ってくる。
最初は、正直に言えば肩透かしでした。けれど、ここにこそ本作の背骨があります。死なせて伝説にしてしまうほうが、物語としてはよほど楽なのです。それでもこの映画は、最後の最後までカルヴィンを英雄譚という額縁に収めることを拒む。
彼は生き延び、また日常へ帰っていく。過ぎた歳月も、失った恋も、戻ってはこない。それでも英雄としてではなく、一人の老人として朝を迎える。この控えめな着地に、本作の誠実さが宿っています。
退屈さは、欠点であり、同時に体温でもある
手放しの傑作とは、とても言えません。中盤のテンポは重く、回想と現在の行き来はもどかしい。暗殺をもっと見たい人にも、怪物との死闘を見たい人にも、満足は届かないでしょう。アクションとしては地味、モンスター映画としては薄味、人間ドラマとしてはもう一歩の踏み込みが惜しい。
それでも、このぎこちなさを単なる失敗と切り捨てる気にはなれません。偉業を成し遂げながら幸福には手が届かなかった男の話が、気持ちよくすっきり着地してしまったら、それはそれで嘘になる。映画のぎこちなさと、カルヴィンの人生のぎこちなさが、奇妙なところで響き合っているのです。
まとめ

観終わって残ったのは、暗殺でも格闘でもありませんでした。
老いたカルヴィンが、一人で静かに酒を傾けている姿でした。誰にも明かせない過去を抱えたまま、朝が来れば起き上がり、犬の世話をして、また一日を生きていく。その背中だけが、いつまでも消えてくれない。
たしかに、タイトルに釣られて観た映画です。でも、釣られてよかった。
バカ映画を期待すれば必ず裏切られ、英雄になりそこねた男の余生として向き合えば、長く頭の片隅に居座り続ける。そういう一本でした。
補足:実話・キャスト・配信について
本作は実話ではありません。ヒトラーや第二次世界大戦という実在の要素を取り込んではいますが、物語そのものはフィクションです。
主演はサム・エリオットで、老年のカルヴィン・バールを演じています。若き日のカルヴィンをエイダン・ターナー、彼が手放した人生の象徴ともいえるマキシンをケイトリン・フィッツジェラルドが演じます。ほかにロン・リヴィングストン、ラリー・ミラーが出演しています。
私はU-NEXTで鑑賞しました。配信状況は時期によって変わるため、最新の見放題・レンタル状況はPrime VideoやU-NEXTなど各サービスでご確認ください。
作品情報
- 邦題:ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男
- 原題:The Man Who Killed Hitler and Then the Bigfoot
- 製作年:2018年
- 製作国:アメリカ
- 上映時間:98分
- 監督・脚本:ロバート・D・クシコウスキ
- 主演:サム・エリオット
- 主な出演:エイダン・ターナー、ケイトリン・フィッツジェラルド、ロン・リヴィングストン、ラリー・ミラー
- 日本公開:2020年2月14日


コメント