「できるだけいい大学に入って、ホワイトカラーの企業や公務員に就職して、エアコンの効いたオフィスでパソコンをポチポチしたいんや!ブルーカラーの仕事なんて絶対に嫌や!」
と思っている人は多いと思います。いい大学に入れば入るほど、その考えは強くなるはずです。
ホワイトカラー、いいですよね。でもその前に知っておきたいことがあります。
「そのホワイトカラーの仕事、無意味で無価値で、なんなら社会に有害かも知れないけれど、それでもその仕事を定年まで続けたいの?」
ということです。
ホワイトカラーにクソどうでもいい仕事が蔓延中
最近話題の『Bullshit Jobs』という本を読みました。
ブルシット・ジョブがなにかというと、「クソどうでもいい仕事」のことです。無意味で無価値で、なんなら『やる方が有害』の仕事のことです。
そんな仕事したくないですよね。やる意味がなく、なんならやる方が有害な仕事なんて耐えられません。定年まで働くなんて辛すぎます。
ではどういう人がブルシット・ジョブに従事しているのでしょうか?勉強をしてこなかった人たちなのでしょうか?
実を言うと、ホワイトカラーの人たちほどブルシット・ジョブをしている傾向があります。
- 無意味な会議をして
- 無意味な会議の議事録を書いて
- 無意味な議事録を保存して管理して
- 無意味な会議で決まった無意味な仕事をして
…という感じです。
著者曰く、地球温暖化を食い止めるにはブルシット・ジョブを減らした方がいいとのことです。そりゃそうだ。無意味な仕事に電気やら紙やらが使われているんですもんね。
私たちは親や学校の先生から、「勉強して偏差値の高い大学に入って、いい会社か公務員に就職するんや!それがいい人生なんや!そうじゃないとキツいブルーカラーで働かなきゃダメだぞ!」と教えられます(洗脳とも言えそうです)。でも皮肉なことに、ブルーカラーの仕事は世の中に必要で、ホワイトカラーの仕事ほど世の中に必要ではないクソ仕事だったりします。一生懸命勉強した結果、クソ仕事を数十年やる事になるなんて…どう思います?
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著者の調べによると、ホワイトカラーのクソ仕事で働いている人は、自分を惨めな存在だと捉えるようです。なぜなのでしょうか?冷暖房の効いた部屋でパソコンをポチポチする仕事なんて、ブルーカラーからすれば夢のようです。そんな仕事についておきながら、なぜ自分を惨めな存在だと思うのでしょうか。
その理由を端的に言うと、ヒトは社会的な動物として進化してきたからです。つまり、「誰かに何かをしてあげたい」という気持ちが備わっているわけです。(昔々の人間たちは、厳しい環境を生き残るために協力してきた→協力し合う個体が生き残ってきた。逆に言えば、協力しない個体は遺伝子を残せなかった。)
利他の精神がもともと備わっているにもかかわらず、それを無視して、誰にも必要とされない仕事、なんならやることで社会に害をもたらす可能性が高い仕事をするということは、罪悪感で自分を押しつぶすことになります。これが精神を病む理由の1つです。
著者はこのように言っております↓
だが本書で言及された仕事のほとんど全てが、様々な仕方で魂に破壊的に作用しているとも考えられる。ブルシット・ジョブは、頻繁に絶望、抑うつ、自己嫌悪の感覚を引き起こしている。それらは、人間であることの意味の本質に向けられた精神的暴力のとる諸形態なのである。
「ホワイトカラーにつけば人生は安泰だぜ!」というのは幻想かも知れず、現実はホワイトカラー勤めは魂を壊してしまうのかもしれません。参考までに。それでは!
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