Amazonプライム・ビデオで映画『国宝』を観ました。
見終わったあとの率直な感想を一言で言うなら、「確かに面白かった。長いけど惹き込まれて見ちゃった」に尽きます。長い作品だけれど、最後まで観ました。
私は歌舞伎について詳しい知識があるわけではありません。だから、劇中の役者たちが演じる歌舞伎の所作や台詞回しが、伝統芸能として本当に上手いのかどうかは正直全然分かりませんでした。それでも、吉沢亮さんや横浜流星さん、渡辺謙さんたちの演技には圧倒されたし、舞台のシーンからは「なんか分からないけれどスゲー」と素直に息を呑むような説得力を感じました。
役者の演技も素晴らしくて、映画としての確かな「凄み」に引っ張られて最後まで見届けた感覚があります。
ただ、じゃあ最初から最後まで完全にのめり込めたかというと、そうでもありませんでした。画面の迫力に引き込まれる一方で、ある人物の選択や物語の急なテンポに対して「えっ、ちょっと待って」と気持ちが追いつかなくなり、ふっと冷めてしまう瞬間が何度かあったのです。
※ここから先は、具体的なストーリーの展開に触れています。
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*2026年10月25日に配信を確認しています。
俊介の逃げる気持ちは分かる。でも、なぜ春江がついていくのか?

鑑賞中、一番私の心が引っかかって疑問が解けなかったのが、春江の行動でした。
喜久雄の底知れない才能を間近で見せつけられた俊介が、激しい嫉妬を抱えてその場から逃げ出してしまうのは本当によく分かります。名門の家に生まれながら、どうしても埋められない差を突きつけられて絶望し、プライドも居場所も失って逃げてしまう。その心情にはごく自然に共感できました。
けれど、どうしても理解できなかったのが、その逃げ出す俊介に、喜久雄の恋人だった春江がついていってしまったことです。
いくらなんでも「急展開すぎるでしょ」と思ってしまいました。今まで喜久雄の隣にいたはずの彼女が、なぜここで俊介を選ぶのか。その理由や心の動きが、観ていてまったく呑み込めなかったのです。
後から「あれは喜久雄という圧倒的な才能の前に、取り残されてしまった二人が手を取り合った構図なんだ」という解釈を知りました。なるほど、理屈としては理解できます。「そういう読み解き方ができるんだな」と一つの解釈としては理解できる。けれど、それは後から意味付けを聞いて「解釈としては成立している」と分かるだけであって、映画を観ていたときの私の感情がつながったわけではありませんでした。
あとで制作側の意図を調べてみると、「クランクイン!」のインタビューで李相日監督がこの場面について触れていました。映画では春江が自ら俊介の手を引く形に変更していて、その一つの動作に、春江の主体性だけでなく、喜久雄を諦める心情や俊介を選ぶことまで込めようとしたのだと語られています。
作り手が何を目指してその演出を置いたのか、意図そのものは理解できます。春江はただ受け身で連れ去られたのではなく、自分の意志で俊介の手を取ったのだ、と。
監督は、その動作に気持ちを込めていた。一方、鑑賞中の私には、その気持ちのつながりが届かなかった。あの目まぐるしく進む映画のスピードの中で、手の動き一つだけで「喜久雄を諦めて俊介を選ぶ」という巨大な感情の変化を受け取るには、私にとってはあまりにも情報が足りず、飛躍が大きすぎました。二人のあいだに流れたはずの葛藤や時間の積み重ねがすっ飛ばされたように見えて、どうしても置いてけぼりを食らってしまったのです。
あの吐血で、ふと我に返ってしまった
もう一つ、観ていて熱が引いてしまったのが、半二郎が血を吐く場面でした。
ドラマを盛り上げるための決定的な見せ場なのは分かります。ただ、画面の中で派手に血を吐かせる演出を目の当たりにした瞬間、「うーん、ここでわざわざ血を吐かせるのか…糖尿病だよね?糖尿病って悪化すると血を吐くの?というかその状況で襲名するなよ」と、ちょっとがっかりしてしまいました。
医学的にどうこうとか、現実にあり得るかという話ではありません。ただ、それまで画面の熱気に惹きつけられていたのに、いかにも「分かりやすい悲劇の合図」を突きつけられたような気がして、作り手の演出の意図が透けて見えてしまったのです。そのわざとらしさに気付いた瞬間、それまでの没入感からスッと我に返ってしまいました。
歌舞伎の演技はあまりにもリアルなのに、ここでいきなりよくある悲劇のドラマ感を出されたのが私には受け付けなかった感じです。
50年を圧縮するテンポと、置き去りにされた時間

公式サイトによれば、この映画は喜久雄の50年を描く一代記なのだそうです。半世紀にわたる人生を一本の映画に収めようとすれば、当然ながら展開は速くなり、多くの出来事を削る必要があります。
「文春オンライン」に掲載された脚本の奥寺佐渡子さんのインタビューを読むと、女性たちや喜久雄の私生活に関わるエピソードを削り、喜久雄と俊介の二人、そして歌舞伎という芸そのものへと焦点を絞り込んだ経緯が語られていました。また、監督自身もカンヌでのインタビューで本作を「メロドラマ」として語っています。感情の大きなうねりや劇的な出来事をハイテンポでぶつけていく構成は、まさに意図して作られたものなのでしょう。
その大胆な省略が映画全体をダレさせず、ぐいぐい引っ張っていくドライブ感を生んでいたのは間違いありません。だからこそ「長いけど見ちゃった」という面白さにつながっているのだと思います。
ただ、そのテンポの速さの裏返しとして、感情の因果関係が置き去りにされたように感じる場面もありました。たとえば、喜久雄が歌舞伎の世界から離れてしまい、そこから再び舞台へと戻ってくるまでの流れです。あのあたりも展開があまりに唐突すぎて、「えっ、もう戻ってくるの?」と残念に感じてしまいました。激動の人生をテンポよく見せるための省略が、私にとっては人物たちの感情の重みを受け止める間を奪ってしまったようにも思えます。
凄さに圧倒されつつ、少し冷めていた私
全体を振り返ってみても、映画として「凄さ」を感じたのは確かです。役者陣の気迫に満ちた演技は文句なしに素晴らしかったし、歌舞伎の舞台シーンから放たれる説得力にはリアルな迫力がありました。
でも、わざわざ血を吐かせるような劇的すぎる演出や、感情の移り変わりを一気に飛び越えていくような急なストーリー展開は、映画を面白くテンポアップさせている一方で、私をふと冷めさせてしまう原因にもなっていました。
圧倒されて最後まで見入ってしまった面白さと、ふとした急展開や演出のあざとさについていけず冷めてしまった感覚。そのどちらか一方だけを語ることはできなくて、その両方が混ざり合ったまま残っているのが、私にとっての『国宝』という映画のリアルな後味です。
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参考資料
- 映画『国宝』公式サイト
https://kokuhou-movie.com/ - クランクイン!「李相日監督インタビュー」
https://www.crank-in.net/interview/177559/2 - Fan’s Voice「李相日監督 カンヌ・インタビュー」
https://fansvoice.jp/2025/06/13/kokuho-cannes-interview/ - 文春オンライン「奥寺佐渡子インタビュー」
https://bunshun.jp/articles/-/82351


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