映画『BLUE GIANT』感想・考察|ひどいと言われる理由と、それでも音に圧倒される映画

映画『BLUE GIANT』の感想・考察記事用に、サックス・ピアノ・ドラムのジャズトリオと音の迫力を表現したフラットデザインのアイキャッチ 劇場版アニメ
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観終わってすぐには、うまく言葉にできませんでした。良し悪しを採点する前に、まず耳が興奮していて、頭が追いつかない。そういう種類の映画です。

はっきり書いておくと、『BLUE GIANT』はよくできた映画ではありません。原作漫画の厚みは大幅に削られ、展開は速く、ライブシーンのCGには好き嫌いが分かれます。完成度という物差しで測れば、隙だらけです。

それでも私は、この映画が好きです。理由はひとつで、漫画では各自が脳内で鳴らすしかなかった「JASSの音」が、ここでは実際に鳴るからです。しかもその音は演出の飾りではなく、登場人物の感情そのものとして機能している。物語の粗さを音楽が穴埋めしているのではなく、音楽が物語を引っぱっている。それがこの作品の構造です。

この記事では、前半をネタバレなしの感想と「ひどい」と言われる理由の整理に、後半をラストまで含めた考察にあてます。

※「ここからネタバレあり」の見出しより前は、結末に触れません。安心してお読みください。


作品の基本情報

『BLUE GIANT』は、石塚真一による同名ジャズ漫画を原作とした劇場アニメです。原作は2013年に『ビッグコミック』で連載が始まり、「音が聞こえてくる漫画」と評されてきました。映画版はその評判に、文字どおり音で答えにいった作品だと言えます。

項目内容
原作石塚真一
監督立川譲
脚本NUMBER 8
音楽上原ひろみ
アニメーション制作NUT
公開2023年
上映時間約120分

物語の中心にいるのは、世界一のジャズプレーヤーを本気で目指す青年・宮本大。高校卒業後、仙台から上京した大は、ピアニストの沢辺雪祈、ドラム未経験の旧友・玉田俊二と出会い、バンド「JASS」を結成します。3人が見据えるのは、日本最高峰のジャズクラブ「So Blue」のステージです。

音楽映画であり、青春映画であり、漫画原作のアニメ。ただし、ジャズを理屈で解説する映画ではありません。本作が描くのは音楽理論ではなく、何かに人生を賭けてしまった人間の、抑えのきかない勢いのほうです。


声と演奏を、それぞれ別のプロに任せた設計

本作の土台を支えているのは、声を俳優陣に、楽器演奏を本職のミュージシャンに委ねた配役です。

役名声の出演楽器演奏
宮本大山田裕貴サックス:馬場智章
沢辺雪祈間宮祥太朗ピアノ:上原ひろみ
玉田俊二岡山天音ドラム:石若駿

音楽映画では、演奏が「弾いているふり」に見えた時点で観客は冷めます。本作はそこをプロのミュージシャンの実演で固めることで回避しました。声に俳優を、演奏に演奏家を起用したぶん、どちらの嘘も最小限に抑えられている。演奏シーンに違和感がないという一点が、この作品全体の説得力を支えています。


「ひどい」と言われる理由を、ごまかさず並べる

映画『BLUE GIANT』がひどいと言われる理由を、原作カット・展開の速さ・CGの違和感・声の好みで整理した図解

検索すると「BLUE GIANT ひどい」という言葉も出てきます。私はひどいとは思いませんが、そう感じる人がいる事情はよく理解できます。本作は隙のない優等生型の映画ではなく、粗さと強引さを抱えているからです。気になる人にはとことん気になる作品だと思います。

原作の積み重ねが大きく削られている

映画の本編はおよそ2時間。一方の原作には、大が音楽にのめり込んでいく過程、周囲との関係、地道な反復練習が、はるかに細かく描かれています。映画ではその多くが圧縮されました。

原作既読者ほど「あの場面がない」「あの人物が薄い」「成長が速すぎる」と感じやすく、ダイジェスト的な印象を否定はできません。

テンポが速く、感情が置いていかれる場面がある

上京、雪祈との出会い、玉田のドラム開始、JASSの始動。ここまでの運びが速い。若さの勢いとしては心地よい反面、人物の関係をじっくり味わいたい観客には、つんのめって見えるはずです。

とりわけ玉田の成長は、もう少し時間をかけて追いたかった。尺の都合で圧縮された結果、「努力したから伸びた」より「物語の都合で伸びた」と受け取る余地が残っています。

ライブシーンのCGは評価が割れる

ライブ場面は、手描き、3DCG、抽象的なイメージ演出を組み合わせています。ハマったときの推進力は相当なものですが、楽器の演奏は指先だけでなく、肩、背中、呼吸、重心まで含めた身体の動きとして見えるかどうかが勝負どころです。

少しでも動きが硬いと、観客は一気に現実へ引き戻されます。本作のCGは野心的ですが、全カットが自然に見えるわけではありません。ここは正直、弱点を含みます。

俳優中心のキャストには好みが出る

主要3人はアニメ声優ではなく俳優陣です。私はこの自然な発声が、まだ何者でもない若者たちによく合っていると感じました。とくに岡山天音の玉田は、ごく普通の青年らしい息づかいが見事です。

ただ、アニメ的に磨かれた声や誇張を期待すると、物足りなく感じる人もいるでしょう。

終盤の転換が唐突に映りやすい

詳細は後半に譲りますが、終盤に大きな出来事が起こります。物語に強い痛みを与える一方で、全体が圧縮されているぶん「急すぎる」「ドラマを作るために入れたように見える」と受け取られやすい。

「ひどい」という声の一因はここにあると思います。


それでも音楽映画として強い、と言い切れる理由

演奏が始まると、作品の格が変わる

会話の場面と演奏の場面で、映画の密度がはっきり切り替わります。上原ひろみのピアノは、整然と弾くより音でぶつかりにいく。馬場智章のサックスは、技巧の前にまず息の勢いがある。石若駿のドラムは拍を刻むだけでなく、場面の温度を上げていきます。

重要なのは、この3人の音が、そのまま3人のキャラクターになっていることです。雪祈のピアノは焦りを、大のサックスは無謀さを、玉田のドラムは必死さを語る。台詞より先に、音で人物が伝わってきます。

また、演奏シーンでは、3人の関係性が音のバランスとして伝わってきます。誰が前に出て、誰が支え、誰が食らいつくのか。その変化が言葉ではなく演奏で見えるところに、この映画の強さがあります。この点については、ネタバレありの後半で詳しく触れます。

漫画が想像させた音を、映画は現実に鳴らした

原作の凄みは、音がないのに音を感じさせる点にありました。読者はそれぞれ自分なりの「JASSの音」を頭の中に持っているはずです。

映画はそこに、ひとつの具体的な答えを差し出しました。自分の想像と違うと感じる人もいるでしょう。それでも、漫画の中にしか存在しなかった音が、スクリーンで現実の振動として鳴ったこと自体に、映画化の意義があると思います。

ジャズを知らなくても伝わる

コード進行や奏法の知識がなくても、3人がぶつかり合っていることは音だけで分かります。本作はジャズを「知識」ではなく「会話」として見せている。

相手の音を聴き、応答し、ときに衝突し、ときに支える。演奏とは上手に音を出すことではなく、そういうやり取りなのだと、理屈抜きに体感させてくれます。

青春をきれいな成功譚で終わらせない

本作は、努力すれば全部報われるという話ではありません。夢の美しさを描きながら、その夢が他人を巻き込み、ときに傷つけることも描く。大のまっすぐさは魅力的であると同時に、少し怖い。

その危うさがあるからこそ、ただ爽やかなだけの青春映画には着地しないのです。


視聴環境についての補足

スマホ・テレビとサウンドバー・Blu-rayとオーディオ機器を比較し、映画『BLUE GIANT』を良い音で観る価値を示した図解

配信でも十分に楽しめますが、できるだけ音の良い環境を選ぶことをおすすめします。配信状況は時期で変わるため、各サービスの最新情報をご確認ください。スマートフォンの内蔵スピーカーで流し見するには、もったいない作品です。

サウンドバーやヘッドホンを使うだけでも、演奏シーンの印象はかなり変わります。私自身、自宅のスピーカー環境で観たとき、音の良し悪しがそのまま体験の良し悪しに直結する映画だと感じました。

パッケージ版についても触れておくと、日本版Blu-rayでは本編の一部カットがブラッシュアップされたうえ、音声面でも複数のフォーマットが収録されています。詳しくは参考サイトに掲載している公式情報とAV Watchの記事をご確認ください。

私のようにSonos環境で映画をよく観る人には、かなり相性の良い作品だと思います。サックスの抜け、ドラムの圧、ピアノの打鍵、ライブハウスの空気。そこをしっかり鳴らせる環境で観ると、この映画の印象は大きく変わるはずです。

『BLUE GIANT』は、観る映画であると同時に、浴びる映画です。

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『セッション』が好きな人に薦められるか

映画『セッション』が好きな人にも、『BLUE GIANT』はおすすめできます。ただし、同じタイプの音楽映画ではありません。

『セッション』は圧力と支配の物語で、音楽を通じて人間が追い詰められていく息苦しさが核にあります。対して『BLUE GIANT』は衝動と仲間の物語で、苦さはあっても中心にあるのは「音を鳴らしたい」という前向きな熱です。

どちらも音楽に人生を賭ける人間の異常な熱量を描きますが、観終わったあとに残るものは正反対だと言っていいと思います。


ここからネタバレあり:結末まで含めて考察

※以降は、雪祈の事故やラストの展開に触れます。未視聴の方はご注意ください。

So Blueに至るまでの流れ

宮本大は、世界一のジャズプレーヤーを目指して東京へ出てきます。そこで出会うのが、同世代のピアニスト・沢辺雪祈です。雪祈は技術も知識もあるピアニストですが、プライドが高く、大の粗削りな演奏をすぐには認めません。

一方、大の高校時代の同級生である玉田俊二は、ドラム未経験のまま大たちに加わります。サックスの大、ピアノの雪祈、ドラム初心者の玉田。3人はJASSを結成し、ライブを重ねながら、日本最高峰のジャズクラブ「So Blue」を目指します。

しかし、So Blue出演が見えてきたところで、雪祈が交通事故に遭います。手を負傷した雪祈は、3人でのステージに立つことが難しくなる。それでも大と玉田は、2人でSo Blueのステージに立ちます。そしてアンコールで、雪祈が現れる。3人は最後にもう一度、JASSとして演奏します。

その後、大は世界を目指して海外へ向かいます。JASSの物語は終わりますが、大の物語は続いていきます。

宮本大は「天才」ではなく「止まれない人」

大を天才と呼ぶのは、たぶん正確ではありません。彼の本質は才能ではなく、止まれないことにあります。

世界一になると本気で口にし、その言葉が空回りしないのは、彼が毎日吹いているからです。雨でも、寒くても、笑われても吹く。その継続の常軌を逸した量が、台詞に重みを与えている。

同時に、彼のまっすぐさは周囲を巻き込み、相手のペースを壊しもします。雪祈も玉田も、大に救われると同時に振り回される。太陽に似て、近づきすぎれば焼かれる。その両義性こそが、このキャラクターの面白さです。

沢辺雪祈は「うまさ」から「自分の音」へ

雪祈は最初からうまい。技術も知識も自負もある。けれど序盤の演奏には、自分がどう評価されるかという意識が貼りついていて、どこか硬い。

その彼が、整っているかより「届かせたい」を優先する大の音に揺さぶられていく。雪祈の物語は、上手に弾く人が自分の音を鳴らす人へ変わっていく過程です。

だからこそ、ようやく殻を破りかけた時点で利き手を傷つけられる事故は残酷です。それでも最後にSo Blueで響いた彼のピアノは、もう別物でした。完璧ではない。欠けたものを抱えたまま、震えながら鳴らす音。あれが胸に残るのは、整った成功の音ではないからこそです。

玉田俊二が、この映画を「天才の物語」にさせない

大も雪祈も、どこかで最初から選ばれた側にいます。玉田だけが違う。才能があるとも思っていない凡庸な側から、大に引っぱられて始め、ひたすら練習する。

「自分が足を引っ張っているのではないか」「並んでいい資格があるのか」という迷いは、大にも雪祈にもない種類のリアリティです。玉田がいることで、物語の視点が地面に戻る。

大のように「世界一になる」と叫べなくていい。雪祈のように幼い頃から積み上げていなくていい。

それでも今から本気になることはできる。玉田は、その可能性を体現しているキャラクターでした。

クライマックスの演奏が、3人の関係を音で見せている

本作の白眉は、終盤のSo Blueでの演奏です。ここで起きていることを音の側から見ると、この映画の設計の面白さが見えてきます。

まず大のサックスが、いつものように前へ前へと突っ込んでいく。技巧で整えるというより、とにかく前に出る音です。そこに本来なら、雪祈の理知的なピアノがブレーキと舵取りを兼ねて噛み合うはずでした。けれど、その雪祈が万全ではない。すると私には、音の重心が玉田のドラムへ移っていくように感じられました。

序盤、誰よりもおぼつかなかった玉田のビートが、ここでは大の暴走を受け止める土台になっている。技術で勝る者が万全ではないとき、最も非力だったはずの人間が屋台骨を担う。この逆転が、説明の台詞ではなく、演奏全体のバランスとして観客に届く。

3人の関係性の変化を、ドラマではなく音の配置で語っている。ここが本作の最も鋭い瞬間だと思います。

玉田のドラムは、単なる成長の証ではありません。普通の人間が本気で食らいついたとき何ができるのか。その答えが、最後の演奏の土台として鳴っているのです。

雪祈の事故は、物語に何をもたらしたか

この事故は、本作で最も評価が割れる箇所でしょう。映画版では確かにやや唐突で、衝撃が先行し、感情の処理が追いつかないまま話が進む。弱点と言えば弱点です。

しかし、この一撃が物語の意味を根本から変えていることもまた確かです。事故がなければ、努力して仲間を得てステージに立つ、清々しい成功譚で終わっていたでしょう。

事故が持ち込むのは、正しく努力しても奪われることがある、という残酷さです。だからラストのSo Blueは「成功の記録」ではなくなり、失ったものを抱えて鳴らす演奏になる。あの音が刺さるのは、そのためです。

ラストは「成功」ではなく「一度きりの燃焼」

3人は目標のステージに届きます。しかし観終わって残るのは達成感だけではなく、寂しさです。あの3人が同じ形では続かないと、観客にはもう分かっているからです。

雪祈は手を傷つけ、大は世界へ向かい、玉田もまた自分の道を進む。JASSは長く続くバンドではなく、短く激しく燃えて終わるバンドでした。

タイトルの「BLUE GIANT」は、青く巨大に燃えながら寿命の短い恒星を指します。続かなかったからこそ、あの時間に何かが凝縮された。

大が海外へ旅立つのは、JASSを忘れるためではなく、そこで鳴らした音を抱えて次へ行くためです。だからあの別れには、悲しみと同時に前へ押し出す力があります。

原作との違いをどう受け止めるか

映画版は、原作を丁寧になぞった作品ではありません。圧縮も省略も多い。原作の強みは、大がどれだけ吹いてきたか、周囲がどう彼に作用したか、3人がどう変わっていったかという、時間をかけた積み重ねにあります。

映画の強みは、その代わりに音があることです。両者を同じ物差しで比べるより、別々の入り口として使うのが良いと思います。

映画で音に惹かれた人は漫画で積み重ねを、漫画で音が気になった人は映画でその答えを。片方を経たあとに、もう片方が深く見えてくる。そういう関係の作品です。


まとめ

サックスや鍵盤、ドラムスティックと青い音の余韻で、映画『BLUE GIANT』の見終わったあとの感覚を表した挿絵

欠点はあります。原作のカットは多く、テンポは速く、CGは人を選び、終盤の転換は唐突に映る。それでもなお、演奏が始まった瞬間に作品の温度がはっきり変わる、あの体験を私は推します。

漫画で想像するしかなかったJASSの音が、現実の振動としてスクリーンから鳴った。それだけで、観てよかったと思える作品でした。

何かに本気になったことがある人に。なりきれなかった自分を少し悔やんでいる人に。あるいは、それでも今から何かを始めたいと思っている人に薦めたい。整っていないからこそ届く衝動が、確かにここにあります。


参考サイト

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