アマゾンプライムビデオで映画「ハッチング-孵化-(原題Pahanhautoja/Hatching)」を観ました。
フィンランドの監督による2022年公開のホラー映画です。日本映画でもなくアメリカ映画でもない、独特な魅力がある内容の映画でしたので、個人的には高評価です。
観た後に「あれ、一体何やったんやろ…?」ってグルグル考えてしまいいろいろと調べてみたので、記事にてまとめます!
サクッと分かる映画「ハッチング-孵化-」
この映画、めっちゃ奥が深いねん。一言で言うたら、「SNSで完璧な家族をアピールするママと、その呪縛から解放されたい12歳の少女ティンヤの物語」やと。
北欧らしい綺麗な色彩の中に潜む、めっちゃグロテスクな怪物と心理のドロドロさが、マジでぶっ飛んでるで!
主な登場人物
- ティンヤ:主人公の12歳の体操少女。母親の期待に応えようと必死やけど、心の中はストレスでパンパン。
- 母親:「完璧なママ」を演じるブロガー。娘を自分の理想通りにコントロールしようとする、ちょっと(いや、かなり)怖いお母ちゃん。
- 父親: 存在感薄めのお父ちゃん。見て見ぬふりが多いタイプ。
- アッリ:ティンヤが孵化させた謎のクリーチャー。ティンヤの心の闇が生み出した分身みたいな存在。
あらすじをサクッと
フィンランドの郊外。インスタ映えする完璧な家族を演出するママが、娘のティンヤに体操で成功することを異常なくらい期待してる。ある日、ティンヤは森で大きな卵を見つけて、こっそり部屋で温め始めるんや。そしたら、鳥みたいな、でもめっちゃ不気味な生き物「アッリ」が孵化してきて…。
このアッリ、ティンヤの心の中のモヤモヤや怒り、嫉妬をそのまま行動に移す、めっちゃ危険な分身なんや。ティンヤのライバルを襲ったり、ママの不倫相手を脅したり、めちゃくちゃな悪さをする。しかも、アッリはどんどんティンヤに似てきて…!
映画のどこが面白いんや?
- アッリの不気味な可愛さ(?): 最初は「なんじゃこりゃ!?」っていう生き物やけど、見てるうちにヤバいほど惹かれてくる。特殊効果がマジでヤバい!でもやっぱりキモい!
- 北欧の美しさ VS グロテスクな展開: きれいな映像の中で起こる異常な出来事が、余計に背筋が凍るねん。
- SNS社会への痛烈な皮肉: キラキラした家族の裏側にあるドロドロした現実を暴く。
もっと知りたい人のための「ハッチング-孵化-」
ここからは、映画「ハッチング-孵化-」の隅々まで、ねっとりじっくり見ていくで。この映画、観れば観るほど「あれはどういう意味やったんやろ?」って疑問が湧いてくるスルメ映画やからな。
登場人物を深掘り
ティンヤ:抑圧された少女の悲劇
ティンヤは、絵に描いたような「良い子」やった。
母親の言うことを聞き、体操の練習に励み、いつも笑顔を絶やさない。
でも、それは全部「母親に愛されたい」「期待に応えたい」っていう必死の願いからくる仮面やったんやな。彼女の笑顔は、本心からのものやなくて、母親の顔色を窺っての「演技」やった。
心の中では、プレッシャー、孤独、嫉妬、怒り、悲しみ…色んな感情が渦巻いてた。それを吐き出す場所がなかったから、アッリという「もう一人の自分」、あるいは「自分の子供」とも言える存在を生み出してしまった。
アッリを育てるティンヤは、母親が自分にしてくれなかった無条件の愛情をアッリに注いでるようにも見える。アッリが何をしても、ティンヤはアッリを見捨てへん。 でも、その関係はどこか歪んでて、アッリの暴力的な行動を結果的に容認してしまう共依存関係にもなってる。
アッリの行動は、ティンヤの心の奥底の願望の反映やけど、ティンヤ自身もその暴力性に徐々に染まっていくようにも見える。 最後にアッリを庇ったのは、アッリが自分自身の一部であり、唯一自分の本音を代弁してくれる存在やったからかもしれへん。
そして、もしかしたら、母親からの「呪い」を断ち切るための、無意識の自己破壊やったんかもしれんな。ティンヤの死は悲劇やけど、同時にアッリという「新しいティンヤ」が誕生するための犠牲やったとも言える。
母親:SNS映えを追求する毒親
この映画で一番怖いのは、間違いなくこの母親や。
彼女の行動原理は、徹底した自己愛と承認欲求。「Lovely Everyday Life」というブログで「完璧な自分」「完璧な家族」を演出し、それをSNSで発信することでしか自己肯定感を得られへん。娘のティンヤは、そのための道具でしかない。
かつてフィギュアスケートで挫折した過去があるような描写もあって(部屋にスケート靴やトロフィーがあった)、自分の果たせなかった夢を娘に託してるフシもある。でもそれは、娘の幸せを願ってのことやなくて、自分の虚栄心を満たすため。
不倫相手のテロとの関係も、今の夫や家族に対する不満の表れであり、常に「より良い自分」「より完璧な人生」を求めてる。でも、その「良さ」は表面的なものばっかり。テロとの間に新しい子供を望むのも、ティンヤが自分の期待通りに育たなかった(あるいは育たなくなりそうだった)ことへの代替案やったんかもしれへん。
彼女もまた、何かに追い立てられてるのかもしれんな。「完璧な母親」「完璧な妻」「完璧な女性」でなければならないという社会的なプレッシャーや、自分自身のコンプレックスに。そう考えると、彼女もまた、ある種の被害者なんかもしれへん。
もちろん、だからと言って彼女の行動が許されるわけやないけど。 娘を自分の手で刺してしまった時、彼女は一瞬でも自分の過ちに気づいたんやろうか?それとも、自分の「完璧な作品」が壊れたことに絶望しただけなんやろうか? ラストのアッリ(ティンヤの姿)を前にして、彼女は何を思うんやろな。恐怖か、後悔か、それとも新たな支配欲か…。
父親:無関心&家族の崩壊の傍観者
父親は、一見すると優しそうやけど、結局は妻の言いなりで、家庭内の歪みを見て見ぬふりしてるだけ。
ティンヤが苦しんでることに気づいてるのか、気づいてないフリをしてるのか…。どちらにせよ、彼もまた、この悲劇の共犯者と言えるかもしれへん。母親の独裁を許し、ティンヤにとっての逃げ場にもなってやれへんかった。
母親がテロと不倫していることにも薄々気づいているようやけど、何も言わへん。彼は家庭内で「いない」も同然の存在。彼の無関心、無気力が、家庭の歪みを加速させた一因とも言えるわな。彼がもっと積極的にティンヤと向き合っていたら、何か変わったんやろか。
昔観たホンマでっかTVで、少年院に入っている子の親の特徴でもっとも多いのが、教育熱心な母親と無関心父親というのを思い出したで。
アッリ:ティンヤの心の闇が生み出した怪物
アッリは、単なるモンスターやない。ティンヤの抑圧された感情、心の奥底に隠された願望、怒り、嫉妬、悲しみ…そういったネガティブなものが具現化した存在、いわばティンヤの「影」であり「ドッペルゲンガー」なんや。
最初は醜い鳥の怪物やったアッリが、ティンヤの「世話」と「吐瀉物(=負の感情)」によって成長し、徐々にティンヤそっくりの姿になっていく過程は、ティンヤの内なる本性が表面化していくメタファーや。
アッリの成長は、ティンヤの自己肯定感の欠如と反比例してるようにも見える。アッリの行動は、ティンヤが口に出せない、あるいは意識すらしてない「こうなってほしい」という歪んだ願望を実行してる。アッリはティンヤにとって、自分ではできないことをしてくれる便利な存在でもあり、同時に自分自身の醜い部分を映し出す鏡でもあった。
ティンヤとアッリは、ある意味で一心同体。アッリが傷つけばティンヤも痛みを感じるという直接的な描写は少なかったかもしれんけど(アッリが攻撃されるシーン自体が少ない)、感情は強くリンクしてる。ティンヤがアッリをコントロールしようとする場面もあったけど、結局はアッリの行動に引きずられていく。
ラストでティンヤの血を浴びて完全な「ティンヤ」になったアッリは、もはや怪物やなくて、ティンヤの抑圧から解放された「もう一つの可能性」としてのティンヤなんかもしれへん。あるいは、ティンヤの怒りと悲しみを受け継いだ、復讐の化身なのかもしれん。
詳細なあらすじ
さて物語を丁寧に追っていくで。
ティンヤの中にある母親の影
映画は、ティンヤ一家が「素敵な毎日(Lovely Everyday Life)」のブログ動画を撮影してるシーンから始まる。リビングはパステルカラーで統一されてて、花がたくさん飾られてる。いかにも幸せそうな家族やけど、どこか作り物めいた、息苦しい雰囲気やねん。ティンヤも弟も、母親の指示通りに笑顔を作ってる。この時点で、この「完璧」がいかに脆いもんか、予感させるような演出やな。
そこに突然、一羽のカラスが窓を突き破って侵入して大暴れ。シャンデリアはガシャン!高そうなガラスの置物はバリン!このカラス、まるで抑圧された何か、不協和音の象徴みたいや。
この時、母親の反応が最初の「おや?」ポイントや。動画撮影を中断されたことに激しくイラつき、カラスを捕まえると、娘のティンヤが見てる前で、躊躇なく首をひねって殺してしまうんや。そして「ティンヤ、これ捨ててきて」と冷たく言い放つ。この母親の行動には、自分のコントロールできないものに対する異常なまでの拒絶と、暴力性が垣間見える。
ティンヤは母親に言われるがまま、ゴミ袋に入れられたカラスを森に捨てに行くんやけど、そこでカラスがまだ息をして苦しんでることに気づく。ティンヤは一瞬ためらうけど、結局、近くにあった石でカラスにとどめを刺す。この行為、母親の冷酷さを見て育ったティンヤの中に、すでに暴力性や残酷さの芽が植え付けられてることを示唆してるんかもしれへんな。
あるいは、苦しみから解放してあげたいという、歪んだ形での優しさやったんか…?どっちにしても、ティンヤが「普通」の子供ではないことを印象付けるシーンや。
カラスを埋めた後、ティンヤは近くで奇妙な鳴き声を聞いて、鳥の巣から不自然に大きな卵を見つけるんや。この卵との出会いが、全ての始まりであり、ティンヤの心の中で何かが「孵化」する予兆でもあるんやな。
ティンヤの負のエネルギーを元に成長するアッリ
ティンヤはその大きな卵をこっそり自室に持ち帰り、テディベアに隠して温め始める。母親の期待に応えるための過酷な体操の練習、厳しい食事制限、常に笑顔でいることへのプレッシャー…。
ティンヤのストレスが募るほど、卵はどんどん大きく、不気味に脈打つようになっていく。まるでティンヤの負のエネルギー、抑圧された感情を吸い取って成長してるみたいや。この卵、ティンヤが母親に言えない「本音」の塊なんかもしれんな。
そしてある夜、卵が孵化する。中から出てきたのは、鳥のようやけど、皮膚はむき出しでぬめっとしてて、目も異様に大きく、とてもじゃないけど可愛いとは言えん異形のクリーチャーやった。ティンヤは最初こそ戸惑い、恐怖を感じるけど、このクリーチャーに「アッリ(Alli)」と名付け、母親に隠れて世話し始める。この「名付ける」という行為が重要や。名前を与えることで、ティンヤはアッリを自分の一部として認識し、愛着を持ち始める。
アッリの食事シーンがまた強烈やねん。ティンヤがストレスや母親からのプレッシャーで吐いた嘔吐物を、アッリはムシャムシャと食べるんや。これは、アッリがティンヤの苦しみや痛みそのものを糧にして成長してるっていう、グロテスクやけど分かりやすい表現やな。アッリはティンヤの愛情(歪んでるかもしれんけど)と、その負の感情で育っていくんや。アッリの存在は、ティンヤにとって唯一の秘密であり、心の拠り所になっていく。
歪んでいるかもしれない愛情で育つアッリ。これはまさにティンヤと同じやな。ティンヤも母親の歪んだ愛情で育ってるもんな。
アッリの暴走はティンヤの願望の代行者?
①体操のライバルへの攻撃
アッリは成長するにつれて、ティンヤの心の奥底にある願望や攻撃性を代弁するかのように行動し始める。それは、ティンヤ自身が意識しているかどうかも怪しい、無意識の領域からの叫びかもしれへん。
ティンヤが体操の選考会で、新しく来た才能ある少女レータにライバル意識を燃やすと、アッリはレータを襲い、手に怪我を負わせる。これでティンヤは体操の代表選手に選ばれるチャンスを得るんやけど、罪悪感も感じる。
ここで注目したいのは、レータが飼ってる白いフワフワの犬もアッリに殺されてしまうこと。この犬、ティンヤが内心「うるさいな」って思ってた隣家の黒い犬と混同してる人もいるかもしれんけど、別の犬やで。
この襲撃は、ティンヤの「勝ちたい」「一番になりたい」という気持ちと、「自分より才能のある存在はいなくなればいい」というどす黒い感情がアッリを通じて現実化したものやろな。
②うるさい隣の犬への攻撃
ティンヤがストレスを感じていると、アッリは隣家のうるさい黒い犬を惨殺。この描写もかなりショッキングや。ティンヤは恐怖を感じながらも、どこかでスッキリしてる自分もいるんかもしれん。静寂が訪れたことに、ほんの少し安堵してるような表情も見せる。
③母親の不倫相手への攻撃
ティンヤは、母親がテロという男性(近所で家を建ててる大工)と不倫してることに気づく。母親はテロとの間に新しい赤ん坊を欲しがってるような会話も耳にしてしまい、「自分は捨てられるんやないか」「新しい家族ができたら自分は用済みなんやないか」という強烈な不安と怒りが募る。アッリもまた、このテロに対して敵意をむき出しにするようになる。テロの家に忍び込み、彼が寝ている間に威嚇するアッリの姿は、ティンヤの嫉妬と独占欲の表れや。
アッリはなりたかった自由な自分?
アッリはどんどんティンヤに似た姿に変化していく。最初は鳥人間みたいやったのに、徐々に人間の皮膚のようになり、金髪が生え、顔つきもティンヤに近づいていく。
これは、ティンヤの抑圧された「本性」が、アッリという形を借りて表面化してきてるってことやろな。アッリは、ティンヤがなりたくてもなれなかった「もう一人のティンヤ」に近づいていくんや。
衝撃のラストシーン!
物語はクライマックスへ。体操の全国大会出場がかかった大事な選考会の日。ティンヤの精神状態はもう限界ギリギリや。母親は「絶対に成功しなさい」とプレッシャーをかけ続ける。
そんな中、ティンヤは、アッリがテロの幼い娘ヘルミを襲おうとしてるのを知ってパニックになる(アッリの視点とティンヤの視点がリンクするような描写がある)。ヘルミは、母親が欲しがっていた「新しい子供」の象徴であり、ティンヤにとっては自分の居場所を脅かす存在。でも、罪のない子供を傷つけることは、ティンヤの本意ではなかったはずや。
アッリを止めるため、ティンヤは自らの演技の途中で、わざとバランスを崩して落下し、手首を負傷するんや。これでアッリの凶行は止められたけど、ティンヤは母親から激しく罵倒される。「私の努力を無駄にした!」「どうしてこんな簡単なこともできないの!」ってな。母親にとっては、娘の心の痛みや怪我よりも、自分の見栄や世間体、そして娘を通じた自己実現の方がはるかに大事なんやな、と改めて思い知らされる。
その夜、事態は最悪の結末を迎える。 家に帰ったティンヤ。母親はついに、ティンヤそっくりになったアッリの存在に気づく。ティンヤの部屋で、アッリがティンヤの服を着て、ティンヤのように振る舞っているのを見てしまう。母親はアッリを「怪物」「化け物」と呼び、パニックに陥り、キッチンから大きな刃物を持ち出してアッリを殺そうとするんや。
その瞬間、ティンヤは「やめて!」と叫び、アッリを庇うように立ちはだかる。アッリは自分の一部であり、自分を理解してくれる唯一の存在やったからかもしれん。あるいは、母親の暴力から、自分自身(の分身)を守ろうとした無意識の行動やったんか…。
そして、母親が振り下ろした刃物は、ティンヤの胸を深く突き刺してしまう…。 母親は自分が実の娘を刺してしまったことに愕然とし、ティンヤはその場で息絶える。血が床に広がり、その血はアッリの方へも流れていく。
そして、ラストシーン。 ティンヤの血を浴びたアッリは、完全にティンヤと瓜二つの姿になり、生き残った。傷も癒え、まるで生まれ変わったかのように。 アッリは、茫然自失の母親に向かって、怯えたような、でもどこか挑戦的な、底光りするような目で「ママ…?」と問いかける。 母親は恐怖と混乱に歪んだ表情を浮かべ、映画は終わる。
…いやー、後味悪い!でも、強烈に心に残る終わり方や。この「ママ…?」の一言に、どれだけの意味が込められてるんやろうか。
この映画が伝えたかったこと
- SNSで作られる完璧な家族のイメージへの批判
- 親からのプレッシャーが子供の心に与える深い傷
- 思春期の子供の内なる感情と成長の痛み
- 「完璧」を求めることの危うさ
「親からの過度な期待とか、SNSで見栄張る社会って、子供の心を歪めてまうで。そんで、抑えつけられた感情は、いつかヤバい形で爆発するかもしれへんで」ってことを異形の化け物を通じて伝えたかったんちゃうかな。
家族ってなんやろ?本当の自分ってどこにあるん?って問いかけてくる感じやな。
もうちょっと詳細に見ていこか。
①歪んだ親子関係と承認欲求
これが一番大きなテーマやろな。母親は娘を自分の所有物かアクセサリーみたいに扱って、自分の理想を押し付ける。「あなたのためよ」と言いながら、実際は自分のため。
ティンヤは母親に愛されたくて、褒められたくて、必死に「良い子」を演じる。でも、それは条件付きの愛でしかなくて、ティンヤの心はどんどん蝕まれていく。
これって、程度の差こそあれ、どこの家庭にも潜んでる問題ちゃうか? 親が子に期待するのは自然なことかもしれんけど、それが過度になったり、子供自身の意志を無視したりすると、悲劇しか生まれへん。子供は親の期待に応えるための道具やないんや。
ティンヤがアッリを生み出したのは、母親からの歪んだ愛に対する無言の抵抗であり、自分自身の存在証明やったんかもしれへん。アッリだけは、ティンヤをありのままに受け入れてくれる(ように見えた)存在やったんやろな。
②SNS社会の虚飾と現実の乖離
母親が運営するブログ「Lovely Everyday Life」。そこには、完璧な笑顔、美しいインテリア、仲睦まじい家族の姿が並んでる。でも、カメラが止まった瞬間、そこには冷え切った関係と、母親のヒステリックな怒りがある。
これ、SNSが日常になった現代では、他人事やない話やんな。キラキラした投稿の裏側には、必死の見栄とか、誰にも言えへん悩みとかがあるかもしれん。そして、その「いいね!」の数やフォロワーの数で自分の価値を測ってしまうような風潮もある。
この映画は、そんなSNS社会の虚飾と、そこで「完璧」を演じ続けることの空しさ、危うさを痛烈に批判してるように見えるわ。母親は、現実の家族関係よりも、ブログ上の「理想の家族」を守ることに必死やった。
③思春期のアイデンティティと心の闇
12歳のティンヤは、まさに思春期の入り口。自分が何者で、何をしたいのか、まだ確立できてへん。そんな時期に、母親から「こうあるべき」という強い型にはめられたら、そら息苦しいわな。自分の感情や欲求を表現することを許されず、常に「良い子」であることを求められる。
「良い子でいなきゃ」「期待に応えなきゃ」っていうプレッシャーが、ティンヤ自身の感情や欲求を押し殺してしまう。そして、その抑圧されたものが、アッリという「怪物」として孵化する。 アッリは、ティンヤがなりたくてもなれなかった「自由な自分」「感情を爆発させる自分」の象徴とも言える。
でも、その表現方法はあまりにも歪んでる。これは、健全な自己表現の方法を知らずに育った子供の悲劇や。アッリの暴力は、ティンヤの助けを求める叫びやったんかもしれへん。
「孵化(Hatching)」とは何を意味するのか
タイトルの「孵化」。これはもちろん、アッリが卵から生まれることを直接指してる。でも、それだけやないはずや。この言葉には、もっと多層的な意味が込められてるように思う。
- ティンヤの抑圧された感情の孵化: 長い間心の奥底に溜め込んでいた怒りや悲しみが、限界を超えて表面化したこと。アッリという形で。
- 新しい自己(あるいは怪物性)の誕生:アッリという存在は、ティンヤにとっての新しい自己の一部やったんかもしれへん。それが肯定的か否定的かは別として、これまでのティンヤとは違う何かが生まれた。
- 母親の呪縛からの解放(歪んだ形での):ティンヤの死とアッリの「完成」は、ある意味で母親の支配からの解放とも取れる。でも、その代償はあまりにも大きい。これは真の解放と言えるんやろうか?
- 思春期の変容:ティンヤが子供から大人へと変わっていく過程、その中で起こる心と体の変化、アイデンティティの揺らぎもまた、「孵化」の一つの形として描かれてるのかもしれへん。
フィンランドという舞台設定の意味:幸福の国に潜む闇
フィンランドって、世界幸福度ランキングで常に上位にいる国やんか。そんな「幸せの国」で、こんな陰湿でグロテスクな物語が描かれるっていうのは、結構皮肉が効いてる。
表面的な豊かさや社会システムが整っていても、人間の心の中の闇や、家族というミクロな単位での問題はなくならへんのやで、っていうメッセージにも取れる。むしろ、完璧さを求める社会のプレッシャーが、こういう歪みを生み出しやすいのかもしれへん。
「幸福」というイメージの裏側にある、見過ごされがちな問題提起とも言える。
ラストシーンの解釈
あの衝撃的なラストの解釈、正解はないと思うけど、いくつか考えてみよか。このシーンは、観る人によって本当に色んな感情を引き出すと思う。
①ティンヤの魂はアッリに乗り移った?
肉体は死んだけど、ティンヤの抑圧された本質、あるいは魂がアッリに完全に宿り、「新しいティンヤ」として生き続ける。母親は、自分が無視し続けてきた「本当の娘の感情」とこれから向き合わなあかんくなる。アッリは、母親が望んだ「完璧な娘」とは全く違う存在として、母親の前に立ちはだかる。
②母親への復讐と呪い
アッリ(ティンヤ)の「ママ…?」という呼びかけは、母親に対する永遠の問いかけであり、呪いでもある。母親はこれから、自分が殺した娘と瓜二つの「何か」と暮らしていかなあかん。これは生き地獄や。母親が作り上げた虚構の世界は完全に崩壊し、これからは怪物と化した娘(のコピー)と対峙し続けなければならない。
③解放と再生の可能性
もしかしたら、アッリの姿になったティンヤは、これまでの抑圧から解放されて、本当の感情を表に出せるようになるのかもしれへん。母親も、この事件をきっかけに自分の過ちに気づき、変わる…ってのは、ちょっと楽観的すぎるかもしれんけど、ゼロではないと思いたい。でも、映画全体のトーンを考えると、これはかなり希望的観測やな。
④新たな支配の始まり?
母親はまたこの「新しいティンヤ」に対しても、自分の理想を押し付けようとするかもしれへん。そして、また別の悲劇が繰り返される…っていう、救いのない解釈も成り立つ。母親の性格を考えると、この可能性も否定できへん。
⑤母親の敗北
結局、母親が最も恐れていた「怪物」が、娘の姿を乗っ取り、家族の中に居座ることになった。これは、母親の価値観や生き方そのものへの痛烈な皮肉であり、ある意味で「怪物」の勝利とも言える。
個人的には、母親が作り上げた「完璧な人形としてのティンヤ」は死んで、これからは「感情を持ったティンヤ(の姿をしたアッリ)」との、より本質的で、しかし困難な関係が始まるんやないかと感じたわ。母親にとっては、これまで見ないようにしてきた現実と向き合う罰みたいなもんやな。
アッリの最後の表情は、怯えと同時に、母親に対するある種の挑戦、あるいは「これからどうするの?」という問いかけのようにも見えた。
制作背景と監督の意図(軽く触れるで)
この映画を撮ったのは、ハンナ・ベルイホルムっていう女性監督で、これが長編デビュー作なんやて。彼女はインタビューで、「子供が親の期待に応えようとするプレッシャーと、それが子供の心にどう影響するかを描きたかった」みたいなことを言うてはる。
特に、母親が自分の満たされなかった野心を子供に投影する、という点に焦点を当てたかったらしい。 あと、「明るい環境の中で起こる恐怖」を表現することで、観客に違和感や不安を与えたかったとも。確かに、あの綺麗な北欧の家で起こるからこそ、余計にゾッとするもんな。
おわりに
この映画、ただのホラーやなくて、現代社会の深い闇を映し出す鏡みたいなもんや。誰もが心の中に、何かしらの「卵」を抱えてて、それを温めてるんちゃうか?それが希望かもしれへんし、怒りや悲しみかもしれへん。
大事なのは、その卵をどうやって「孵化」させるか。ティンヤは歪んだ形でしか自分の感情を表現できへんかったけど、私らはちゃんと向き合えるやろか?
最後にこの映画をオススメできる人について触れとこか。
- ただのホラーじゃ物足りない、深いテーマ性を求める人。
- A24作品とか好きな人はハマるかも。
- 人間の心理の闇とか、歪んだ家族関係を描いた作品が好きな人。『キャリー』とか『ブラック・スワン』みたいな系統が好きな人にも。
- 胸糞悪い後味も「映画の醍醐味やん?」って思える人。観終わった後、色々考えたい人。
- SNS社会の在り方に疑問を感じてる人。ギクリとする場面があるかも。
- 美しい映像と不気味な物語のコントラストが好きな人。
映画のチープ感は否めないけれども、そんなことよりも深いテーマを訴えかけてくるので、頭を抱えたい人にはおすすめやで。
参考・参照元
- https://ja.wikipedia.org/wiki/ハッチング_-孵化-
- https://gaga.ne.jp/hatching/
- https://eiga.com/news/20220417/3/
- Amazon等のレビュー
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