昔、子どもの頃にテレビで『マッドマックス』を見た記憶がありました。
ただ、覚えていたのはタイトルと、なんとなく危ない車が走っていた気配くらいです。内容を思い出そうとしても、ほとんど出てきません。見たはずなのに、ちゃんとは覚えていない映画でした。
最近、U-NEXTで『マッドマックス 怒りのデス・ロード』と『マッドマックス:フュリオサ』を見ました。どちらも強烈でした。特に『怒りのデス・ロード』は、映像も音もテンションも桁違いで、「これがマッドマックスか」と納得させられる迫力がありました。
その流れで、シリーズ1作目の『マッドマックス』を見直してみることにしました。
結論から言うと、正直あまり乗れませんでした。
つまらないと切り捨てたいわけではありません。シリーズの原点として重要な映画なのは分かります。低予算のオーストラリア映画が世界的にヒットし、後のアクション映画に大きな影響を与えたことも納得できます。
それでも、今の感覚で、しかも『怒りのデス・ロード』や『フュリオサ』を見たあとに1作目へ戻ると、さすがに迫力がなさすぎる…当時としてはすごい迫力だったのでしょうが。
私が頭の中で思い浮かべていた『マッドマックス』と、1979年の1作目は、思っていた以上に別の映画でした。
1作目は「世界が壊れた後」ではなく「壊れ始め」の映画

『マッドマックス』は1979年のオーストラリア映画です。監督はジョージ・ミラー、主演は若き日のメル・ギブソンです。
予算は資料によって少し幅がありますが、35万〜38万豪ドル前後の低予算映画として語られることが多い作品です。今のハリウッド大作のように、巨大な予算で作られた映画ではありません。
舞台は、治安が崩れかけた近未来のオーストラリアです。道路には暴走族がはびこり、警察組織はまだ残っています。主人公のマックスは、暴走族を取り締まる警察官です。
ここが、後のシリーズと大きく違います。
『怒りのデス・ロード』や『フュリオサ』の世界は、文明がほとんど崩壊したあとの荒野です。水も燃料も命も奪い合う、完全に壊れた世界です。あそこまで行くと、登場人物たちの狂い方も、画面の派手さも、「そういう世界だから」と受け止められます。
でも1作目には、まだ普通の生活があります。
警察があり、病院があり、家庭があり、店があり、道路も社会の一部として機能しています。マックスにも妻と幼い子どもがいて、仲間がいて、仕事があります。
荒野をさまよう亡霊のような男ではなく、まだ社会の中にいる人間です。
つまり1作目は、文明が崩壊したあとの映画ではありません。
文明が崩壊しかけている映画です。
この違いを知らずに見ると、かなり肩透かしを食らいます。私もまさにそうでした。
『怒りのデス・ロード』後に見ると、どうしても地味に感じる
『怒りのデス・ロード』のあとに1作目を見ると、まず思うのは「思ったより静かだな」ということです。
車は出てきます。バイクも出てきます。暴走族もいます。カーチェイスもあります。それでも、最初から最後まで砂煙と爆音で押し切る映画ではありません。
現代の感覚でいうと、むしろ近未来の警察映画に近いです。そこに暴走族映画と復讐劇が混ざっている。このバランスが、少し不思議でした。
マックスは警察官ですが、警察側もそこまで正義のヒーローには見えません。暴走族を追い詰める場面も、今見るとかなり荒っぽいです。敵を猛スピードで追い込んで、相手が事故を起こすのを見届ける。アクション映画としては分かるのですが、「警察としてそれでいいのか」という気持ちも残ります。
後のマックスなら、それでもいいんです。すでに法も秩序も壊れた世界で、マックス自身も人間性を削られた存在になっているからです。
でも1作目のマックスは、まだ警察官です。まだ家庭もあり、普通の感覚も残っている。その中途半端さが、この映画の独特な違和感になっています。
そしてたぶん、その違和感こそが1作目の狙いでもあります。
まだ社会は残っている。けれど、道路にはもう暴力があふれている。警察と暴走族の境目も、どこか曖昧になっている。世界は一気に終わったのではなく、少しずつ壊れていく。
1作目の『マッドマックス』は、その「壊れ始め」の空気を描いた映画でした。
マックスはまだ「マッド」ではない
見直して一番強く感じたのは、1作目のマックスはまだそこまでマッドではない、ということでした。
『怒りのデス・ロード』のマックスは、最初から壊れています。口数は少なく、過去に囚われ、荒野を生き延びるためだけに動いているような男です。人間というより、荒野に取り残された傷跡のように見えます。
でも1作目のマックスは違います。
妻がいて、子どもがいて、仲間がいます。仕事に疲れ、危険な現場から離れたいと思い、家族と静かに過ごそうとします。まだ普通の人生に戻れる可能性がある人間として描かれています。
だから、こちらが期待するような「マッドマックス感」は薄いです。
この映画は、すでに壊れた男の物語ではありません。普通の側にいたマックスが、暴力によって向こう側へ引きずり込まれていく話です。
そう考えると、1作目が地味に感じるのは当然なのかもしれません。世界もまだ壊れ切っていない。マックスもまだ壊れ切っていない。だから画面も、後のシリーズほど狂っていない。
1作目は、完成された世紀末アクションではなく、マックスが「マッド」になるまでの映画でした。
面白くないと感じた理由
正直に言うと、映画としてすごく楽しめたかと言われると微妙でした。
理由はいくつかありますが、一番大きいのは、期待していた映画がなかなか始まらない感覚があったからです。
私の中の『マッドマックス』は、荒野、砂煙、改造車、狂った集団、燃料や水をめぐる争い、爆走するアクションのイメージでした。でも1作目には、その要素がまだ少ないです。あるのは、壊れかけた道路と、暴力的な若者たちと、疲れた警察官の世界です。
敵である暴走族も、今の映画に慣れた目で見ると目的が分かりにくいです。
世界を支配したいわけでもない。燃料を奪い合っているわけでもない。何か大きな計画があるわけでもない。ただ道路に現れ、暴れ、人を傷つけ、去っていく。
現代の映画なら、悪役の背景や目的をもっと丁寧に説明することが多いと思います。なぜ悪になったのか。何を欲しがっているのか。主人公とどう対立しているのか。そういう情報があると、観客も気持ちを乗せやすいです。
でも『マッドマックス』1作目の暴走族は、そういう分かりやすい悪役ではありません。社会が壊れかけた場所ににじみ出てきた、理由のない暴力のように見えます。
そこを不気味だと感じるか、物足りないと感じるかで、この映画の印象はかなり変わると思います。
私は、不気味さは分かりました。映画の狙いも理解できます。とはいえ、強く引き込まれたかというと、そこまでではありませんでした。
それでも価値があると思ったところ
乗れなかった部分は多いです。それでも、この映画に価値がないとは思いません。
低予算で作られた荒さは、今見ると作品の一部になっています。整いすぎていない画面、危なっかしいスタント、乾いた道路の空気。現代の大作映画のような完成度ではありませんが、そのぶん妙なざらつきが残ります。
また、ジョージ・ミラーは『マッドマックス』について、音のあるサイレント映画のようなものを目指していたとされています。会話で細かく説明するより、映像と音で分からせる映画を目指していたわけです。
そう考えると、説明が少ないことも、この映画の特徴なのだと思います。
今の感覚では分かりにくさにもつながっていますが、当時この映画が強烈に受け止められた理由は、そこにあったのかもしれません。
U-NEXTの5.1ch表示には期待しすぎた
今回はU-NEXTで視聴しました。
私の環境では、Sonosアプリ上に「ドルビーマルチチャンネルPCM 5.1」と表示されました。Sonos Arc、Sub、リアスピーカーの環境で見たので、古い映画でも意外と音が迫ってくるのではないかと少し期待していました。
実際には、そこまでサラウンドの迫力は感じませんでした。
エンジン音やサイレンの不穏さはあります。道路の乾いた感じや、車が近づいてくる怖さも伝わってきます。音が悪いという話ではありません。
それでも、『怒りのデス・ロード』や『フュリオサ』のように、音が部屋全体を包み込んでくるタイプではありません。リアスピーカーが派手に鳴るわけでも、Subが暴れるわけでもありませんでした。
ここは完全に期待しすぎました。
『マッドマックス』1作目は1979年の映画です。現代のAtmos作品と同じ感覚で音響を期待すると、どうしても物足りなく感じます。
ここからネタバレありで感想を書きます
ここからは結末に触れます。
未見の人は注意してください。
復讐劇なのに、あまり爽快ではない
後半、マックスの周囲に暴走族の暴力が迫ってきます。仲間が傷つき、家族にもその暴力が届いてしまう。マックスは息子を失い、妻も戻れないほど深く傷つけられることになります。
ここだけ聞くと、分かりやすい復讐映画です。
大切なものを奪われた男が、怒りによって敵を追い詰めていく。普通なら、観客が一気に乗れる展開になりそうです。
でも、実際に見ていると、そこまで爽快感はありません。
マックスの復讐は、熱いというより冷たいです。怒鳴り散らすわけでもなく、長い独白があるわけでもなく、感情を爆発させ続けるわけでもありません。車に乗り、追い、追い詰め、相手が壊れていくのを見届ける。
その淡々とした感じが、この映画の怖さでもあります。
観客に「よくやった」と気持ちよく思わせる復讐ではなく、マックスが戻れない場所へ行ってしまう過程を見せられている感じです。
だから気持ちよくはないです。
でも、記憶には残ります。
ラストはかなり強烈だった

一番印象に残ったのは、最後のジョニー・ザ・ボーイの場面です。
マックスはジョニーを車に繋ぎ、限られた時間の中で最悪の選択を迫ります。足を切れば助かるかもしれない。でも、切らなければ死ぬ。マックスはその状況を作ったうえで、その場を去っていきます。
この場面を見て、どうしても『ソウ』を思い出しました。
もちろん、『マッドマックス』のほうがずっと古い映画です。『ソウ』がこの場面を直接意識したのかどうかは分かりませんが、今の観客として見ると、「生きるために自分の体を切るか、死ぬか」という選択の残酷さは、かなり『ソウ』的に見えます。
そしてこのラストで、マックスはもう警察官ではなくなったのだと思います。
逮捕するのでもない。法律で裁くのでもない。説得するのでもない。相手に地獄のような選択を残して、立ち去る。
ここでマックスは、完全に社会の外へ出てしまいます。
映画全体にはあまり乗れなかったのに、このラストだけは強く残りました。「ああ、ここでマックスは壊れたんだな」と分かる場面でした。
1作目は見なくてもいいのか
『怒りのデス・ロード』や『フュリオサ』だけを楽しむなら、1作目は必ずしも見なくてもいいと思います。
特に、派手な世紀末アクションを期待している人には、1作目はかなり地味です。荒野も、改造車軍団も、狂った神話のような世界観も、まだ完成していません。
その意味では、今の「マッドマックスらしさ」を求めるなら、1作目より2作目以降のほうが近いです。
それでも、マックスという人物の原点を知りたいなら、見る意味はあります。
なぜマックスは家族を失った男として語られるのか。なぜ社会から外れ、荒野をさまよう存在になったのか。なぜ彼は最初から壊れていたのではなく、壊されてしまった男なのか。
その始まりは、1作目にあります。
シリーズがどれだけ大きく変化したのかを知る意味でも、1作目は面白い存在です。最初から『怒りのデス・ロード』だったわけではありません。最初はもっと小さく、もっと荒く、もっと生々しい道路の映画でした。
そこを確認できたのは、見直してよかったところでした。
個人的な評価
私は『マッドマックス』1作目を、あまり好きにはなれませんでした。
敵の目的は分かりにくいです。アクションも今見ると不思議なところがあります。マックスが壊れていく過程にも、もう少し感情の流れが欲しいと思いました。U-NEXTでの5.1ch表示にも期待しましたが、音響面でも『怒りのデス・ロード』のような迫力はありませんでした。
単体の映画として「面白かった?」と聞かれたら、私は「そこまでではなかった」と答えます。
でも、「見てよかった?」と聞かれたら、それは「見てよかった」と答えます。
理由は、自分が好きな『怒りのデス・ロード』や『フュリオサ』が、最初からあの形だったわけではないと分かったからです。
『マッドマックス』は、最初から荒野の神話ではありませんでした。最初は、まだ社会が残っている道路の映画でした。家庭があり、警察があり、日常があり、そのすぐ隣に暴力が迫っている映画でした。
そこからマックスは壊れ、世界もさらに壊れていく。
1作目は、今見ると物足りないところも多いです。派手な世紀末アクションを期待すると、肩透かしを食らうと思います。
それでも、マックスがマッドになる瞬間を見届ける映画としては、やはりシリーズの原点です。
面白い映画というより、原点を確認する映画。
私にとっての『マッドマックス』1作目は、そんな一本でした。
まとめ
『マッドマックス』1作目は、私が想像していたマッドマックスとはかなり違う映画でした。
『怒りのデス・ロード』や『フュリオサ』のような荒野の世紀末アクションを期待すると、正直かなり地味です。U-NEXTで5.1ch表示になっていても、現代映画のようなサラウンドの迫力を期待すると物足りなさがあります。
それでも、1作目には1作目の意味があります。
これは、すでに壊れた世界を走る映画ではなく、世界が壊れ始める瞬間を描いた映画です。マックスも最初から荒野の男だったわけではありません。家庭があり、仲間があり、まだ社会の中にいた人間でした。
私にはあまり刺さりませんでした。
でも、シリーズの原点を確認する映画としては、見直してよかったと思います。
よくある質問
『マッドマックス』1作目は見なくても大丈夫ですか?
『怒りのデス・ロード』や『フュリオサ』だけを楽しむなら、必ずしも見なくても大丈夫だと思います。
ただ、マックスがなぜ家族を失った男として描かれるのか、その原点を知りたいなら見ておく意味はあります。
『マッドマックス』1作目はなぜ地味に感じるのですか?
1作目は、文明が完全に崩壊した後の映画ではなく、社会が壊れ始める直前の映画だからです。
警察も家庭も日常もまだ残っているため、『怒りのデス・ロード』のような荒野の世紀末アクションを期待すると地味に感じます。
U-NEXTの5.1ch表示でも音の迫力は弱いですか?
私の環境では5.1chと表示されましたが、『怒りのデス・ロード』のような現代的なサラウンド感はありませんでした。
エンジン音やサイレンの不穏さを聞く映画で、音に包み込まれるタイプではないと思います。
ラストは『ソウ』に似ていますか?
似ていると感じました。
足を切るか、死ぬか。限られた時間の中で最悪の選択を迫られる場面は、今の観客として見るとどうしても『ソウ』を思い出します。
ただし、『ソウ』がこの場面を直接意識したのかどうかは分かりません。あくまで、私が見ていて連想したという話です。


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