『マッドマックス』の1作目を見終えた勢いで、U-NEXTでそのまま2作目を再生しました。
正直に書くと、1作目にはあまり乗れませんでした。シリーズの原点として大事な一本だというのは頭では分かるのですが、私が勝手に思い描いていた「マッドマックス」とは、ずいぶん違う映画だったからです。
荒野を改造車で爆走する世紀末を期待していたら、まだ警察署があって、家庭があって、舗装された道路を走っている。悪く言えば、思っていたより普通でした。
ところが2作目は、始まって数分で気持ちが切り替わりました。
「あ、こっちだ」
砂ぼこりの舞う荒野、ボロボロに改造された車、ガソリンの奪い合い、モヒカンの男たち、奇声を上げて突っ込んでくるバイク。1作目で待ってもなかなか来なかったものが、開幕からまとめて押し寄せてきます。
私が「マッドマックス」という言葉から連想していたイメージは、どうやら2作目の方だったらしい。見始めてすぐ、そんなふうに腑に落ちました。
ここから、映画『マッドマックス2』の感想と考察を書いていきます。前半は1作目との違いや音響、『北斗の拳』との関係をネタバレなしで整理します。後半では、ラストのタンクローリー追跡と、ロード・ヒューマンガスがなぜ最後にトラックへ突っ込んできたのかにも触れます。
1作目とは、もう「世界の壊れ方」が違う

『マッドマックス2』は1981年公開の映画です。監督はジョージ・ミラー、主演はメル・ギブソン。海外では『The Road Warrior』というタイトルでも知られています。
舞台は、文明が崩壊したあとの荒野です。石油の枯渇と戦争で世界はめちゃくちゃになり、人々は残りわずかなガソリンを命がけで奪い合っています。主人公マックスは元警察官ですが、この時点ではもう肩書きも家庭もなく、ただ荒野をさまよう流れ者になっています。
1作目との一番の違いは、世界がどこまで壊れているかです。
1作目では、暴走族という脅威はあっても、社会そのものはまだありました。警察があり、家があり、日常がかろうじて残っていた。だから話の手触りは、近未来の警察ドラマに近かったのだと思います。
2作目では、その日常がきれいに消えています。残っているのは荒野とガソリンと改造車、そしてマックスに寄り添う犬くらいです。
この犬がいいんです。会話の相手になるわけではありません。でも、一匹の犬がそばにいるだけで、口数の少ないマックスの孤独が、説明なしにこちらへ伝わってきます。スマホの通知もなく、家族もなく、会話も少ない世界で、犬だけが隣にいる。そう考えると、あの存在はかなり大きいです。
一言でまとめるなら、1作目は「マックスが壊れていくまでの映画」で、2作目は「壊れきった世界をマックスが走り抜ける映画」です。この差は思っていた以上に大きく、私が2作目で一気に乗れたのも、結局はここに尽きます。
U-NEXTのDolby Atmosで、古い映画なのに音が「上」から鳴った

今回うれしい誤算だったのが、音です。
U-NEXTで再生すると、私の環境ではDolby Atmosと表示されました。Dolby Atmosは、ものすごくざっくり言うと、音を前後左右だけでなく上下方向にも配置できる音声方式です。たとえばヘリコプターが頭上を飛ぶ場面で、本当に上から音が聞こえるように感じられることがあります。
もちろん、『マッドマックス2』は1981年の映画です。当時からAtmosだったはずはありません。4K化や再発売に合わせて作り直された、現代向けの音声ミックスです。
それでも、いざ聴いてみると面白い体験でした。
はっきり「おっ」と感じたのは、ジャイロ・キャプテンの乗る小型ヘリのような乗り物が飛ぶ場面です。あの独特の羽音が、ちゃんと頭の上のあたりから聞こえてきました。
40年以上前の映画の音が、今の部屋でちゃんと立体的に鳴っている。これはちょっと不思議で、楽しい感覚でした。技術の進化ってすごい。
ちなみに1作目は、私の環境では5.1ch表示でした。エンジン音やサイレンの不穏さはありましたが、音に包まれる感じは控えめでした。比べると、2作目は空間の広がりが分かりやすいです。
もちろん、『怒りのデス・ロード』のように最初から最後まで音で殴ってくるタイプではありません。それでも、古い映画を今の機材で見直すと、こういう拾いものがあるんだなと感じました。
「北斗の拳っぽい」と思ったら、順番が逆だった

見ているあいだ、どうしても頭をよぎったのが『北斗の拳』でした。
荒れ果てた世界に、弱い者を襲う暴力集団がいて、モヒカンの男たちがバイクで走り回る。力がすべての世紀末という空気は、日本人ならどうしても『北斗の拳』を思い出すと思います。私もまさにそうでした。
ところが、歴史の順番は逆です。
『マッドマックス2』が1981年の映画で、『北斗の拳』の連載開始は1983年です。しかも原哲夫さん自身が、『北斗の拳』の世界観について、当時の編集者に『マッド・マックス2』や『ブレードランナー』を観るよう言われ、それで世界観をつかんだと語っています。
つまり「北斗の拳っぽい」と感じるのは自然な反応なのですが、実際には『北斗の拳』の方が後発です。『北斗の拳』は、『マッドマックス2』の荒廃したビジュアルを取り込み、そこへ拳法と救世主の物語、そして愛と哀しみを足して、まったく別物に育てあげた作品なのだと思います。
この時間の逆転が、見ていてやけに楽しいんですよね。
「あ、この荒野、どこかで知っている」と感じて、よく考えたら知っていたのは後から生まれた作品の方だった。これは日本人ならではの、ちょっと得した気分でした。
馬を車に置きかえた西部劇として見ると、すっきりする
『マッドマックス2』は、車とバイクのアクション映画です。
ただ、物語の骨格は西部劇そのものだと思いました。
荒野に流れ者がやって来る。ささやかな共同体が、ならず者たちに脅かされている。主人公は最初こそ深入りを避けるのに、結局は彼らを助け、そしてまたひとり去っていく。
馬を車に、保安官のいない町を精油所に、ならず者をモヒカンの暴走族に置きかえれば、これは西部劇そのものの構造です。
そう捉えると、話そのものはとても単純です。ガソリンを守りたい人たちがいて、それを奪いたい連中がいて、そこへマックスが転がり込む。大きな筋はそれくらいです。
でも、この単純さがこの映画には合っています。込み入った説明をせず、荒野と車と暴力だけで最後まで押し切る潔さが、2作目の強さなのだと思います。たとえるなら、冷蔵庫の中にある少ない材料だけで、妙にうまい炒めものを作ってしまうような感じです。余計なものがないぶん、勢いがあります。
ここからネタバレありで感想を書きます
ここからは結末に触れます。
未見の人は注意してください。
最大の見せ場は、最後のタンクローリー追跡
この映画の白眉は、ラストのタンクローリー追跡で間違いありません。
ガソリンを積んだ巨大なタンクローリーをマックスが駆り、ロード・ヒューマンガス率いる暴走集団が群れをなして追ってきます。車、バイク、トラック、生身の人間が入り乱れる長い追走劇です。
今ならCGでいくらでも派手にできます。もちろん現代の映像には、現代ならではのすごみがあります。それは前提として、それでもこの2作目の追跡には、CGには出せない種類の怖さがあります。
本物の車が本当に走り、本物の人間が本当にしがみついている怖さです。
バイクが宙を舞い、男が走るトラックへ飛び乗り、車が砂煙を上げて横転する。見ているこちらまで、思わず体に力が入りました。画面の中の危険が、作り物に見えないのです。
この「実際に動いている車と人間の危なさを見せる」という方向性は、のちの『怒りのデス・ロード』にまっすぐつながっています。あちらは編集と映像でさらに磨き上げられていますが、原型はもう2作目で完成しているように感じました。
1作目では地味に感じた車のアクションが、ここでは映画の主役になっています。ようやく「マッドマックスは車の映画なんだ」と心から納得できました。
ヒューマンガスはなぜ、自らトラックへ突っ込んだのか
一つ引っかかったのが、ラストでヒューマンガスがトラックに正面から突っ込んでくる場面です。
冷静に考えると不思議です。なぜボス自らが体当たりするのか。部下にやらせればいい。正面衝突すれば自分だってただでは済まないのに、と思いました。
私には、あれは死にたかったというより、タンクローリーを止めるためにマックスを怯ませにいった、危険なチキンレースに見えました。
先に避けた方が負け。ところがマックスは引かない。ヒューマンガスも引かない。結果として、誰も望んでいなかったはずの正面衝突が起きてしまいます。
作戦としては無茶ですが、理屈で測る場面ではないのだと思います。あれは、燃料への執着と剥き出しの暴力が、行き着くところまで行って自滅する瞬間として見るのがしっくりきます。
そしてここに、強烈な皮肉が仕込まれています。
彼らが命を捨ててまで追いかけたタンクローリーは、実はおとりでした。本命の燃料は積まれていません。
派手なアクションの裏で、物語としても見事にオチがついています。ここで私は、このラストの完成度に少し唸りました。
マックスは正義の味方ではないのに、なぜか見捨てられない
2作目のマックスは、分かりやすいヒーローではありません。
最初から正義のために動くわけでもなく、むしろ動機はかなり利己的です。ガソリンが欲しい。車を走らせたい。生き延びたい。まずそれありきで、共同体のために、なんて殊勝なことは口にしません。
そもそも、ほとんど口を開きません。
それなのに、行動を積み重ねた末に、気づけば人を助ける側に回っています。ここが面白いところです。
「みんなのために戦う」と宣言する男ではなく、ただ目の前の状況に手を出していたら、結果として誰かを救ってしまう男です。
自分はもう壊れている。それでも完全な悪にはなりきれない。誰かのためだけに生きてはいないけれど、目の前の人間を見殺しにはできない。この絶妙な距離感が、マッドマックスというヒーローの輪郭なのだと思います。
1作目で家族も社会も失った男が、2作目では流れ者として共同体とほどよい距離で関わる。その手触りが、私はとても好きでした。
まとめ:『デス・ロード』から入った人ほど、2作目がしっくりくるはず
1作目に乗れず、2作目で一気に引き込まれた。それが今回の正直な体験でした。
理由ははっきりしていて、世界の壊れ方が違うからです。1作目はまだ社会が残る「壊れていく途中」の物語で、2作目は日常が消えた「壊れきった世界」の物語でした。
そこへ、本物の車と人間がぶつかり合うアクションの怖さ、おとりの皮肉が効いたラスト、思いがけずAtmosで鳴った小型ヘリの羽音まで重なって、私にとっては続編の方がずっと面白い一本になりました。
『怒りのデス・ロード』や『フュリオサ』からこのシリーズに入った人なら、同じように感じるかもしれません。1作目で「あれ、思っていたのと違うな」と戸惑った人ほど、2作目で「ああ、これだ」と腑に落ちるはずです。
少なくとも私は、ここでようやく「これがマッドマックスか」と胸を張って言えるようになりました。
よくある質問
『マッドマックス2』は1作目を見なくても分かりますか?
大筋は問題なく追えます。すでに文明が崩壊したあとの世界が舞台で、マックスも流れ者として登場するので、予備知識がなくても話の流れは分かりやすいです。
ただ、彼がなぜこれほど孤独で無口な男になったのかは、1作目を見ているとぐっと深まります。背景まで味わいたいなら、順番どおりに見るのがおすすめです。
『マッドマックス2』は『北斗の拳』に影響を与えたのですか?
影響していると考えてよさそうです。公開は『マッドマックス2』が1981年、『北斗の拳』の連載開始が1983年です。
原哲夫さん自身も、『北斗の拳』の世界観について『マッドマックス2』などからの影響を語っています。荒廃した世界、モヒカンの暴力集団、バイクといった要素は、見比べると確かに近いものがあります。
U-NEXTで見るとDolby Atmosになりますか?
私の環境では、再生時にDolby Atmosと表示されました。小型ヘリの羽音が頭上から聞こえる場面もあって、音の立体感を楽しめました。ただし、配信の音声仕様は時期や再生環境で変わることがあります。
ヒューマンガスはなぜ最後にトラックへ突っ込んだのですか?
死にたかったというより、タンクローリーを止めるためにマックスを怯ませようとした、危険なチキンレースだったのだと思います。
互いに引かなかった結果、正面衝突になってしまった。しかも追っていたタンクローリーは中身のないおとりで、執着の果てに空っぽの的へ突っ込んで自滅する、という皮肉なラストになっています。
参考情報
・ワーナー・ブラザース公式|『マッドマックス2』作品情報
・National Film and Sound Archive of Australia|Mad Max 2: The Road Warrior
・National Film and Sound Archive of Australia|Mad Max Movies: Stunts by Grant Page and Guy Norris
・北斗の拳公式サイト|原哲夫インタビュー vol.10


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