『マッドマックス2』を見終えたとき、私はかなり満足していました。
荒野、ガソリン、改造車、追跡、無口なマックス。これこれ、これが自分の中にあった『マッドマックス』だ、と思いました。2作目は細かい説明よりも、走る車と奪い合われる燃料で世界を見せてくれる映画です。シンプルなのに強い。そこが好きでした。
その勢いのまま、U-NEXTで3作目の『マッドマックス/サンダードーム』を見ました。マッドマックス2と同様に、U-NEXTではDolby Atmos配信だったので音質は昔テレビで見た時よりも格段に良くて迫力がありました。
ただ内容はというと…結論から言うと、乗れませんでした。見終わった直後の正直な感想は「なんだったんだ、これは…」です。
ただ、見るところが何もない映画ではありません。バータータウンの雰囲気はいいですし、ティナ・ターナー演じるアウンティ・エンティティの存在感も強いです。サンダードームという名前の響きも、いかにも世紀末でワクワクします。
それでも一本の映画として見ると、話の重心があちこちに動いて、最後まで気持ちが追いつきませんでした。
今回は、その違和感がどこから来たのかを整理してみます。前半はネタバレなしの全体的な感想、後半はネタバレありで、マスター・ブラスター戦やジェデダイア、アウンティがマックスを見逃した理由、ラストの「for Byron」についても触れます。
バータータウンという街は、本当に面白い

『マッドマックス/サンダードーム』は、1985年公開のシリーズ3作目です。監督はジョージ・ミラーとジョージ・オギルヴィ、主演はメル・ギブソンです。物語では、荒野をさまようマックスが、バータータウンという街にたどり着きます。
支配者はアウンティ・エンティティ。地上には彼女が作った秩序があり、地下では豚のフンから出るメタンガスで街を動かしています。汚いけれど、たくましい。壊れた世界で人間がどうにか社会を作り直している感じがあって、ここはとても『マッドマックス』らしいです。
きれいなショッピングモールではなく、ルールも荒い世紀末の商店街、とでも言えばいいでしょうか。それでも人が集まり、物が交換され、エネルギーが生まれ、街として回っている。荒っぽいのに、生活の匂いがあります。
そして街には、闘技場「サンダードーム」があります。
ルールは「二人入って、出るのは一人」。法律が消えた世界に、新しい法律のようなものを作る。そのルールがまともかどうかは別として、世紀末の社会としては妙に説得力があります。
正直、ここまではかなり期待していました。
アウンティという支配者がいて、地下にはマスター・ブラスターという別の権力がいる。エネルギーを握る者と、街を政治的に支配する者が対立している。この構図だけで、一本の映画になりそうな手応えがありました。
問題は、映画がそこにとどまらないことです。
途中から、別の映画が何本も始まる

『マッドマックス2』は、一本の線がとても太い映画でした。
燃料を奪い合い、タンクローリーを走らせ、敵が追ってくる。マックスは共同体に関わり、最後はまた荒野へ去っていく。話はシンプルですが、観客が今どこに向かっているのか見失わないので、アクションに集中できました。
3作目は、ここが違います。
前半はバータータウンの権力争い。中盤は、砂漠で行き倒れたマックスを助ける子どもたちの部族の話。終盤は、飛行機や車を使った脱出劇です。
一つひとつの要素は悪くありません。むしろ単体ならどれも面白くなりそうです。けれど、つながりが急なのです。バータータウンをもっと見たいと思っていたら、いつの間にか子どもたちの神話に移り、それに慣れてきたら今度は脱出アクションになる。
3作目が分かりにくいのは、話の意味が難しいからではありません。一本の映画の中に、別々の映画が何本も入っているように感じるからです。動画配信でドラマを見ていたら、急に別番組の第1話が始まったような感覚に近いです。
私は、ここで置いていかれました。
特にもったいないのがバータータウンです。マックスがアウンティに利用され、マスター・ブラスターと戦い、街の支配構造が崩れていく。そこをじっくり描くだけで十分に面白かったはずなのに…。
タイトルにもなっているサンダードームでさえ、見終わってみると「サンダードームの映画」というより、「サンダードームも出てくる映画」という印象に落ち着いてしまいます。
マックスが「主人公」から「伝説の通りすがり」になる
3作目のマックスは、これまでと少し違います。
無口で強く、荒野をさまよう男であることは変わりません。ただ、自分から物語を引っ張るというより、周りの共同体に巻き込まれていく存在になっています。
バータータウンでは利用され、砂漠では追放され、子どもたちには伝説の人物のように見られ、最後は誰かを逃がすために身を投げ出す。
これはこれでマックスらしいとも言えます。彼は救世主そのものではなく、壊れた世界を通り過ぎる男です。関わった共同体は少しだけ前へ進み、マックス自身はまた荒野に残る。後の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』にも通じる神話性が、すでにここにあります。
ただ、その『怒りのデス・ロード』が神話性をシンプルなアクションに乗せきっていたのに対し、『サンダードーム』はアイデアが並んでいるだけで芯が見えにくい。2作目の乾いた流れ者が好きだった私には、マックスが現実の男というより、語り継がれる存在に近づきすぎて見えました。
その変化を楽しめる人には刺さると思います。
でも私は、少し距離を感じてしまいました。
ここからネタバレありで考察します
ここからは結末まで触れます。
未見の方は注意してください。
マスター・ブラスターを殺さなかった場面は、本作の白眉
サンダードームの戦いで大事なのは、マックスが勝つことではありません。
マックスが、ブラスターを殺さなかったことです。
戦いの中で優位に立ったマックスは、ブラスターの素顔を見て、とどめを刺すのをやめます。アウンティはマックスを使ってマスター・ブラスターの力を壊すつもりでしたし、マックスも最初は取引に乗っていました。
けれど最後の一線で、彼は相手を一人の人間として見ることを選びます。
「二人入って、出るのは一人」というルールが絶対のバータータウンで、それより目の前の相手を選ぶのは、はっきり損な選択です。コンビニで傘を買った瞬間に雨が止むくらい損です。でも、その損をあえて取るところにマックスらしさがあります。
本作で一番良い場面だと思います。
だからこそ、この重い瞬間のあと、映画がすぐ次へ進んでしまうのが惜しい。マックスの倫理とバータータウンのルールがぶつかる話として、もっと深く見たかったです。
結局マックスは「取引を破った者」として砂漠に追放され、そこから子どもたちの部族の話へ移っていきます。
ジェデダイアが「急に出てきた人」に見えるのは仕方ない
終盤で飛行機の男ジェデダイアが出てきます。初見では「誰だっけ」となりやすい人物です。
彼は完全な新キャラではありません。冒頭でマックスを襲い、乗り物や荷物を奪った飛行機乗りで、映画の最初と最後をつなぐ役回りです。ただ、冒頭の印象が薄いまま話が進むので、再登場しても「そういえばいたかも」止まりになってしまいます。
ややこしいのは、演じているのがブルース・スペンスだということです。
彼は『マッドマックス2』でジャイロ・キャプテンを演じていました。3作目のジェデダイアとは別人です。でも、同じ俳優がまた飛行機まわりの人物として出てくるので、「2作目の人?それとも別人?」と混乱しても自然だと思います。
設定上は別人ですが、観客の印象としては混乱しやすい。ここも3作目の分かりにくさの一つです。
終盤の脱出劇は、2作目ほど走らない
終盤は、子どもたちやマスターを逃がす脱出劇です。
構造だけ見れば2作目と似ています。マックスが共同体に関わり、最後は自分を犠牲にして誰かを逃がし、自分は荒野に残る。
ただ、アクションの気持ちよさは2作目に軍配が上がります。
2作目の終盤は、タンクローリーを走らせ、敵が追い、マックスが耐える。目的が一本なので流れに乗れます。一方3作目は、飛行機、車、線路、追っ手、子どもたち、ジェデダイア、アウンティと要素が多く、見せ場はあっても「今、何のためにどこへ向かっているんだっけ」と頭で整理しながら見ることになります。
アクション映画として、これは痛いです。
マックスが道を開いて飛行機を逃がす場面は、ちゃんとマックスらしいです。ただ、そこへ至る流れがバタついていて、タンクローリーほどの高揚感は得られませんでした。
アウンティはなぜマックスを見逃したのか
ラスト、アウンティは倒れているマックスを見つけます。
普通なら殺されてもおかしくありません。マックスは彼女の計画を壊し、マスターたちを逃がした相手です。それでも彼女は「Goodbye, soldier」と言って去っていきます。
初見ではやや唐突に見えました。さっきまで追っていたのに、急に敬意を示して終わる。ただ、アウンティという人物を考えると、分からなくはありません。
彼女は単なる殺人狂ではなく、バータータウンという街を作り、秩序を保とうとしてきた支配者です。冷酷ではあっても、強さや覚悟は理解する。マックスは最後に身を投げ出して仲間を逃がしました。アウンティから見れば、戦士として認めざるを得ない行動だったのでしょう。
飛行機はもう飛び立っていて、ここでマックスを殺しても失ったものは戻りません。だから一人の戦士として見送った。そう考えれば「Goodbye, soldier」は腑に落ちます。
感情としては分かる。
ただ、もう少し積み重ねがあれば、もっと効くラストになったはずです。
ラストの「for Byron」は誰へ向けたものか
最後に出る「…for Byron」は、バイロン・ケネディへの献辞です。
バイロン・ケネディは、ジョージ・ミラーとともに初期『マッドマックス』を支えたプロデューサーであり、制作のパートナーでした。彼は1983年にヘリコプター事故で亡くなっています。『サンダードーム』は、その死後に作られた作品です。
もちろん、映画の散らかりをすべて彼の不在のせいにするのは違います。「だから散らかった」と簡単には言えません。
ただ、シリーズの根っこを支えた人物を失ったあとに作られた一本だと知ると、3作目の手触りが少し違うことにも、何か背景を感じます。
ジョージ・ミラー自身、複数の世界を一本に抱え込む難しさに触れています。バータータウンの物語、子どもたちの神話、脱出アクション。どれにも魅力があるからこそ、一本にまとめるのは簡単ではなかったのでしょう。
「for Byron」は、ただのおまけの文字ではなく、この映画がシリーズの転換点に立っていることを静かに示しているように見えました。
まとめ:『マッドマックス3』は整理しきれなかった実験作
私の答えは、駄作寄りです。
ただし「意味がない映画」ではありません。むしろ意味やアイデアは多すぎるくらいあります。バータータウンの社会、アウンティの支配、サンダードームのルール、マスター・ブラスターの権力、子どもたちの神話、文明の記憶、伝説として語られるマックス。どれも面白くなりそうな素材ばかりです。
それなのに、面白くなりそうなものが多すぎて、一本の映画としてまとまりきっていない。
2作目のような乾いた荒野のカーアクションを期待すると、戸惑います。アクションはあっても、映画の中心は神話や共同体の側に寄っています。私はバータータウンの時点で期待した映画と、後半で見せられた映画があまりに違っていて、最後まで気持ちが戻ってきませんでした。
「これは何を見せたかったのだろう」と思ってしまった時点で、自分には厳しい一本だったということです。
それでも、完全に無視していい作品だとは思いません。シリーズが単なるカーアクションから、神話や共同体の物語へ広がろうとした作品ではあります。失敗作というより、整理しきれなかった実験作。そう呼ぶのが、私にはいちばんしっくりきます。
面白かったかと聞かれたら、私は「うーん」と答えます。でも、シリーズの歩みを考えるうえでは意味のある寄り道でした。乗れなかった映画でも、「なぜ乗れなかったのか」を整理すると、その作品が何をしようとしていたのかは少し見えてきます。
『サンダードーム』は、私にとってまさにそういう一本でした。
よくある質問
『マッドマックス3』は駄作ですか?
個人的には駄作寄りです。『マッドマックス2』の正統進化を期待すると、方向性の違いに戸惑うと思います。ただ、バータータウンの世界観や、後の『怒りのデス・ロード』につながる神話性はちゃんとあるので、シリーズの実験作として見る価値はあります。
『マッドマックス2』を見ていなくても分かりますか?
大筋は分かります。3作目だけでも、マックスが荒廃した世界をさまよう男であることは伝わります。ただ、2作目を見てからのほうが、シンプルなカーアクションから神話や共同体の話へ大きく寄った変化がはっきり感じ取れます。
飛行機の男ジェデダイアは誰ですか?
冒頭でマックスを襲った飛行機乗りで、終盤に出てくる新キャラではありません。ただ冒頭の登場が短く、初見では忘れがちです。演じるブルース・スペンスは2作目でジャイロ・キャプテンを演じた俳優でもあり、設定上は別人ながらかなり紛らわしいです。
アウンティはなぜマックスを見逃したのですか?
マックスを一人の戦士として認めたからだと思います。彼は身を犠牲にして仲間を逃がし、飛行機はすでに飛び立っていて、殺しても得るものはありません。だから「Goodbye, soldier」と言って去った。感情としては筋が通っていますが、見せ方はやや唐突です。
ラストの「for Byron」は誰のことですか?
ジョージ・ミラーとともに初期『マッドマックス』を支えたプロデューサー、バイロン・ケネディへの献辞です。彼は1983年にヘリコプター事故で亡くなりました。本作はその死後に作られているため、献辞にはシリーズの転換点としての意味も感じられます。
参考にした情報
・ワーナー・ブラザース公式|マッドマックス/サンダードーム 作品情報
取得日:2026年6月29日
・Australian Screen / NFSA|George Miller インタビュー
取得日:2026年6月29日
・Rotten Tomatoes|Mad Max Beyond Thunderdome
取得日:2026年6月29日
・映画『マッドマックス/サンダードーム』本編クレジット
U-NEXTで視聴。取得日:2026年6月29日


コメント