【読書メモ:選択の科学】人生の選択肢を増やすために読んでおきたい一冊

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めちゃめちゃ面白い本でした。親族の延命治療の選択を自分でしたいか、それとも医者にしてもらいたいか、この辺は科学的知見から設計していかないとだめなんだなぁと#読書 #選択の科学 #シーナアイエンガー

福山和寿さん(@fukuyama_kazutoshi)がシェアした投稿 –

コロンビア大学ビジネススクール教授のシーナ・アイエンガーさんの『選択の科学』を読みました。
めちゃめちゃ面白い本でした!!

有名な話ですが“ジャム研究”というものをご存知でしょうか?
ジャムの選択肢が多すぎると、人々は選択できなくなり売上が下がっていく、というものです。

これって直感とは反しますよね?
選択肢が多ければ多い方がいいと思うじゃないですか、普通。

今となっては“選択疲れ”なんて呼ばれて当たり前のになっていますが、その当たり前を世に認知させたのがシーナ・アイエンガーさん。
この他にも、本書では『選択』について様々な角度から焦点を当てていました。

いつものごとく気になったところをメモしていきます“φ(・ω・。*)カキカキ

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選択の科学を読んで

可能性があるから頑張る選択ができる

選択ってなんだと思いますか?

こんな残酷な実験があります。
マウスを水で満たした瓶に入れ、どれくらいマウスが泳ぎ続けるかを計りました。

どれくらい泳ぐかは個体差があって、60時間泳いでから溺れたマウスと、すぐに溺死したマウスがいたのです。

研究者たちは戸惑いました。
「なんでこんなにも個体差があるんだ?マウスによって生への執着心が違うのか?」

そして次の実験では、マウスをすぐに瓶の中に入れずに、捕まえては逃すということを何度か繰り返し、その後マウスを瓶に入れ、数分間水を浴びせた後で、また取り出してケージに戻しました。(頑張れば逃げれるということを学ばせた)

そしてマウスは最初の実験と同じように、水が満たされた瓶に入れられました。
すると、すぐに溺死するマウスはおらず、力尽きるまで泳ぐマウスの平均時間は60時間を超えていたのです!

つまり、“逃げ出せる可能性があることを知ったマウス”は、最後まで頑張り続けたのです。

一度、選択肢がないことを知ると・・・

またしても残酷な実験ですが、こんなものがあります。

犬を二匹用意し、それぞれを白い箱に入れました。
箱に小さな穴を開け、二匹の犬をつなぎ、無害だけど不快な電気ショックを周期的に与えました。

一方の箱には、鼻で押せば電気ショックが止まるような設定をしたのに対し、もう一方の犬はどんなに動こうとも電気ショックが止まらないような設定をしました。

電気ショックは両方の犬に対して同時に始まり、ショックを止められる方の犬がショックを止めれば、二匹とも電気ショックは止まるようにしました。(どちらの電気ショックの量も同じということ)

ここでの違いは、

  • 自分の意思で電気ショックを止めることができる
  • 自分の意思では電気ショックを止めることができない

になります。

実験の二段階では、両方の犬を新しい状況において、電気ショックのコントロールの経験をどのように活かせるかを調べました。

低い壁で仕切られた箱を用意し、一方の部屋に犬を入れました。
犬の部屋の床は定期的に電流を流し、低い壁で仕切られたもう一つの部屋では電流は流しません。

前の実験で電気ショックを止める術を学んだ犬は、すぐに低い壁を飛び越えて電流を回避する方法を見つけたのに対し、ショックを止めることができなかった犬の3分の2が、“ただじっと横たわって苦しみ続けた”のです(´・ω・)

さらに・・・

  • 他の犬が壁を飛び越えるところを見ても、
  • 研究者たちに向こう側に引きずっていかれ、ショックを回避できることを教えられても、

犬たちは諦めて苦痛に耐えるばかりだったのです・・・。

自己決定権を維持できないとき、私たちは無力感、喪失感を覚え、何もできなくなってしまう。 p49

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選択とは?

著者は選択についてこう記しています。

選択とは、

  • 「自分の力で変えられる」という認識を持つ
  • 選択したいという欲求を持つ

とのことです。

特に、『選択したいという欲求』については、人間が生まれながらに持つもので、乳児でもその欲求を持っています。

動物園の動物が寿命が短い理由

  • 外敵に襲われる危険性がない
  • 食事も無条件で出てくる
  • 病気になったら治療がある

などなど、動物園での飼育は野生環境よりも生活環境がよく見えます。

しかし、寿命を縮める動物も多いのです。(野生のアフリカ象の平均寿命は56歳だけど、動物園で生まれたゾウは17歳)

その理由はなんとなくわかりますよね。

生きることへの選択

ができないからです。

人間からしたら『良い環境』に見えますが、動物からすると生存本能とは相入れない環境なんですね。

選択は文化によっても変わる

選択を行うとき、「わたし」と「わたしたち」、どちらに重点を置きますか?

これって文化によって違うのです。
アメリカのような個人主義の国では「わたし」を優先し、他者の目標より自分自身の目標を優先します。

しかし、個人主義は比較的新しい概念で、世界でも一部の国でだけです。

ほとんどの国は集団主義が強く「わたしたち」を優先するように教えられます。
というのも、狩猟採集社会、農耕社会では、「わたしたち」を優先したほうがよかったからです。

わたしたちの文化的背景は、結婚の方法だけでなく、わたしたちが生活のあらゆる場面で選択を行う方法にも影響を及ぼしている。 p72

ここを読んでいて、私はすごく納得しました。
日本の教育って集団主義で“みんな一緒”が求められます。

でも、いきなりあるところから「みんなと同じ行動ばっかりしてんじゃないよ!」という価値観が登場します。
たぶん高校から大学にかけて、そんな風になるのではないでしょうか。

しかし、就職して社会人になるとまた「会社のためにみんなで協力しようぜ」という価値観に戻ります。

なんか生きづらい理由が分かった気がします。
集団主義を求められたり、個人主義を求められたりと、都合よく意見が変わっちゃうんですよね。

「自分の頭で考えて行動しろ!」と言われてそうしても、「なんでそんなことしたんだ!」って言われますからね笑

多い選択より少ない選択の方が嬉しい?

カリフォルニア州パロアルトの三歳児を対象にした調査です。

部屋をおもちゃいっぱいにします。
この部屋に子どもを一人ずつ連れてきて、

  • 好きなおもちゃで遊ばせた場合
  • 遊ぶおもちゃを指定し、それ以外のおもちゃで遊ぶことを禁じた場合

のグループに分けました。

2つのグループのうち、一方は夢中で遊び、遊ぶ時間が終了してもまだ遊び足りなそうにしていました。
さて、どっちでしょう?

正解は、遊ぶおもちゃを指定したグループだったのです。
私たちの直感とは反する結果ですよね。

これが冒頭に挙げたジャムの実験につながったとのことです。

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選択があることは幸せではないかも

ジャムの実験でわかることは、選択肢が多ければ多い方が良い、ということではないということでした。
逆に言えば、「でも少ないながら選択肢があった方がいいよね?」ということになります。

ところがどっこい、最後に、“選択肢はない方がいいのかも”という話になります。

重い話ですが、「我が子の延命治療を続けるべきか?」についてです。
延命治療を中止すれば確実に死に、延命治療を続けても死ぬ、もしくは重い障害が残る(意識が戻らないまま寝たきりなど)場合、あなたはどうしたいですか?

幼子をなくした経験のあるアメリカ人とフランス人を調査しました。

アメリカでは延命治療の中止は親が決定します。
フランスでは、親がはっきりとした意義を申し立てない限り、医師が決定します。

もちろんどちらの集団もまだ心を痛めていたが、一方の集団が他方よりうまく対処しているように思われた。
フランスの親たちの多くが、「こうするしかなかった」という確信を口にし、そのせいかアメリカの親たちほど、「こうだったかもしれない」、「こうすべきだったかもしれない」という思いにとらわれずに、自分の経験について語ることができた。 p278

フランス人の親たちは、誰一人として自分や医師を責めなかったそうです。
“何かを決断する”というのは、厳しく難しい判断を問われることがあります。

その判断を私たちは“自分自身”で行いたいでしょうか?

ソフィーの選択

これまた残酷な話です。

ソフィーは二人の子供たち、息子のヤンと娘のエヴァとともに、アウシュヴィッツに到着し強制収容所かガス室送りになるかの決定を待っていました。(決定は軍医がする)

ソフィーは「私たちはユダヤ人ではなくポーランド人でカトリック教徒だと」発言しました。
すると軍医は「選択の特権を与えてやる」と言いました。

「二人の子どものうち、一人は残していい」と。(つまり一人はガス室送りということ)

選ばなければ二人とも殺されてしまいます・・・。

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まとめ

学ぶことが多々ある本でした。

ヒトには選択したいという本能があります。
選択できる喜びがあります。

しかし選択には様々な“バイアス”が潜んでおり、それは生物的、文化的なものがあります。
正しい選択をしたいのであれば、それらの偏りを意識しなくてはなりません。

また、選択できることが必ずしも幸せなことではありません。
時には誰かに選択してもらいたい場合だってあるのです。

 

これからの日本社会を考えると、様々な場面で選択する必要が問われるだろうし、そういう選択をするような設計にしていかなくてはなりません。(政治的、組織的に)
そんな時に“選択の科学”がとっても役に立つような気がしています。

っと、最後はすごく抽象的なまとめになってしまいました笑
記事を書きながら私の頭でもうまく考えがまとまっていないので、ポワンとしたこと書いちゃいました(´-`).。oO

そんなこんなでこの記事は終わりです☆
めちゃめちゃいい本だと思うので、是非とも読んでみてください!

今回の記事も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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