人間も牛も弱い個体はつながれていたい【百姓貴族を観て思ったこと】

柵のある牛舎の牛と、自分の席に座る人物を並べて、つながれた範囲での自由を表したアイキャッチ画像 雑記・エッセイ
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子どもの頃、牛舎のような場所で牛を見たことがあります。

狭い小さな部屋に閉じ込められているという感じではありませんでした。けれど、柵のようなところに牛がつながれていて、自由に歩き回れるわけではありませんでした。

そのとき、子どもながらに思ったことがあります。

牛さんって、これで幸せなのかな。

広い草原を自由に歩いている方が、どう考えても幸せそうに見えます。好きな場所へ行けて、好きなように草を食べて、のんびり寝転がれる。そんな牛の方が、つながれている牛より幸せに決まっている。子どもの頃の私は、たぶんそう感じていました。

今でも、その感覚は完全には消えていません。

自由に動ける方がいい。つながれているより、自由な方が幸せそうに見える。これは、とても自然な感覚だと思います。

でも最近、『百姓貴族』のアニメを見ていて、その考えが少し揺れました。

自由な牛舎が、弱い牛に優しいとは限らない

自由に動ける牛舎でも、強い牛と弱い牛の力関係があることを表したイラスト

もともと私は『鋼の錬金術師』が好きで、その作者である荒川弘さんが『百姓貴族』という作品も描いていることを知り、U-NEXTでアニメを見ていました。

最初は、何気ない牧畜の話として見ていました。牛や酪農の話が出てきて、「へえ、こんなことがあるんだ。面白いな」と思いながら見ていたのです。

ところが牛社会の話の回は、心に刺さるものでした。

牛が自由に動けるフリーストール牛舎や、広い放牧場があります。人間の目線で見ると、つながれている牛舎よりも、ずっと快適そうに見えます。歩ける。移動できる。好きな場所に行ける。やっぱり、自由な方が幸せそうです。

けれど、そこには牛同士の力関係があります。

餌場や寝床をめぐって競合が起き、立場の弱い牛が落ち着いて食べられなかったり、うまく休めなかったりすることがあります。

つまり、自由に動ける場所であっても、すべての牛にとって安心できる場所とは限らないのです。

一方で、つなぎ飼いの牛舎では、牛は自由に歩き回れません。行動はかなり制限されます。けれど、そのぶん、強い牛が自由に場所を取る余地も減ります。

ですから、弱い牛でも寝床や餌場を強い牛に奪われる場面は減ります。

もちろん、つなぎ飼いを理想化したいわけではありません。牛にとって体を動かせることや、自然な姿勢で過ごせることは大切です。行動が制限されることには、別の問題があります。

それでも、この話には考えさせられました。

自由に動けることと、安心して暮らせることは違う。

弱い個体にとっては、広い自由よりも、守られた狭さの方が楽な場合がある。

これは、牛だけではなく、人間社会にも当てはまる気がしました。

人間も、自由な場所で傷つくことがある

教室で自由に班を作る場面で、1人だけ取り残されて不安そうにしている生徒のイラスト

人間社会でも、似たようなことがあります。

たとえば学校で、「自由に班を作ってください」と言われる場面があります。

仲のいい友達がいる人にとっては、何も問題ありません。すぐに声をかけ合い、自然にグループができます。むしろ、好きな人と組めるので楽しいかもしれません。

でも、孤立しやすい人にとっては、その一言がかなりしんどいことがあります。

誰にも声をかけられないかもしれない。自分から声をかけて断られるかもしれない。最後まで余ってしまうかもしれない。先生に気を遣われながら、どこかの班に入れられるかもしれない。

「自由にどうぞ」は、一見すると平等です。

でも実際には、すでに友達がいる人、自分から声をかけられる人、場の中心にいる人に有利なルールです。逆に、声を上げにくい人や孤立しやすい人にとっては、かなり厳しいルールになります。

その場合、先生が最初から班を決めるという不自由さの方が、安心につながることがあります。

もちろん、それも万能ではありません。決め方が悪ければ、別のつらさが生まれます。それでも、「誰にも選ばれない」という場面を避けられるだけで、救われる人はいます。

自由は、いつも優しいわけではありません。

自由な場所ほど、強い人が行動しやすい。声の大きい人が前に出やすい。自分から動ける人が有利になりやすい。

だから、自由にしていいと言われることが、かえってつらくなる人もいるのだと思います。

会社や学校の枠に救われることもある

自分の席に座って安心している人物を描き、会社や学校の枠が安心になることを表したイラスト

会社や学校は不自由です。

決まった時間に起きなければいけません。決まった場所へ行かなければいけません。上司や先生がいます。評価されます。苦手な人とも関わらなければいけません。

自由とは反対側にある場所のように見えます。

でも、その不自由さに救われている部分もあります。

学校には、クラスがあります。時間割があります。自分の席があります。その日やることが、ある程度決まっています。

会社には、部署があります。役割があります。仕事があります。毎月の給料によって、生活の見通しも立てやすくなります。とりあえず、自分がそこにいる理由があります。

これは、かなり大きいことです。

完全に自由になると、人はまず「自分がどこにいていいのか」から決めなければいけません。何時に起きるのか。何を仕事にするのか。誰と関わるのか。どうやってお金を得るのか。どうやって自分の価値を示すのか。

自由になるということは、誰にも命令されないことです。

でも同時に、誰も自分の席を用意してくれないということでもあります。

この重さは、思っているよりきついです。

だから、会社や学校のような枠に救われる人はいます。行かなければならない場所があるから、朝が始まる。やることが決まっているから、迷わずに済む。役割があるから、自分の存在を毎回証明しなくて済む。席があるから、とりあえず座れる。

それは甘えではないと思います。

人間には、自由の前に足場がいるのかもしれません。

弱い個体の自由を守るには、強い個体の自由を制限する必要がある

ここまで考えると、自由の見え方が少し変わってきます。

自由とは、ただ制限をなくすことではないのだと思います。

制限がなくなれば、強い個体は動きやすくなります。牛なら、良い餌場や寝床を取りに行ける。学校なら、仲のいい人だけで班を作れる。会社なら、声の大きい人や交渉のうまい人が前に出やすくなる。

でも、その自由の中で、立場の弱い個体は居場所を失うことがあります。

だから、弱い個体の自由を守るためには、強い個体の自由を制限しなければならない場面があります。

強い牛が好きな餌場を自由に取れないようにする。人気のある生徒が好きな人だけで固まれないようにする。声の大きい人だけが場を支配しないようにルールを作る。

そうすることで、弱い立場の人にも、食べる場所、休む場所、参加する場所が残ります。

これは、強い個体にとっては不自由です。

自由に動ける場所なら、強い牛は自分で良い場所を取れます。仲のいい友達と組みたい生徒にとって、先生が班を決めることは窮屈です。自分で動ける人にとって、会社の役割やルールは邪魔に感じることもあります。

つまり、自由は弱い立場の人に残酷なことがあります。

でも、制限は強い人に残酷なことがあります。

結局大事なのは、自由か制限かを一方的に正解にすることではなく、その場所にいる人たちの力の差をどう扱うかだと思います。強い人の自由だけを優先すれば、弱い人が押しのけられる。弱い人を守ることだけを考えれば、強い人の力を閉じ込めることになる。

社会の難しさは、たぶんそこにあります。

つながれた範囲での自由が幸せ

子どもの頃、つながれている牛を見て、「牛さんってこれで幸せなのかな」と思いました。

その気持ちは、今でも分かります。

自由に歩ける方がいい。つながれているより、自由な方が幸せそうに見える。これは、たぶん間違っていません。

でも、『百姓貴族』を見て、もう一つ考えるようになりました。

自由に動けることと、安心して暮らせることは、同じではない。

牛の世界でも、立場の弱い個体が自由な場所で居場所を失うことがあります。人間社会でも、自由な場所ほど力関係がむき出しになることがあります。

だから、自由をありがたがる前に考えたいです。

その自由は、本当に安心できる自由なのか。戻れる場所があるか。助けを呼べるか。弱い立場の人が、押しのけられずに済む仕組みがあるか。

何にも縛られないことだけが自由ではありません。

むしろ、完全に何にもつながれていない自由は、人によっては不安定すぎるのだと思います。戻る場所もなく、守ってくれる枠もなく、全部自分で選ばなければいけない自由は、解放というより、放り出されることに近いのかもしれません。

たぶん、私たちに必要なのは、牛と同じように「つながれた範囲での自由」です。

会社に行く。学校に行く。決まった場所がある。決まった役割がある。毎日が少し窮屈になる代わりに、自分の席がある。その中で少しずつ、自分の好きなことをする。自分で選べる範囲を広げていく。

それくらいの自由が、実は一番安心できるのかもしれません。

つながれているから不幸なのではなく、つながれ方を選べないことがつらいのだと思います。

自分を壊す檻ではなく、自分を支えてくれる枠につながること。

その範囲の中で、安心して動けること。

私には、それが案外、人間にとってもちょうどいい自由なのではないかと思えました。

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