ネット上でときどき「独身男性は40代になると狂う」という話を見かけます。若いうちは自分のためにお金を稼ぎ、遊んでいるだけで楽しいものの、そのうち娯楽に飽きて「何のために生きるのか」と考え始める。でも答えは出ない。そして徐々に狂っていく。だから狂わないために結婚しろ、子どもを持て、家族のために生きれば目的ができる。ざっくり言えば、そういう話です。
私はこれ、半分は当たっていると思っています。子どもが生まれれば毎日誰かに必要とされ、やるべきことに追われます。「何のために生きているのか」なんて悩んでいる暇もなくなるでしょう。
でも、だからこそ引っかかるのです。それは人生の意味の問題が解決したのではなく、忙しさによってしばらく考えずに済んでいた部分もあるのではないか、と。
実際、結婚して子どもがいるにもかかわらず、中年期以降に人生をこじらせてしまう人もいます。家庭の外に自分を求めてくれる相手を探し回ったり、大きくなった子どもを手放せなかったりというか「手のかかる子どものままでいさせよう」としたり、「毎晩の酒で夜を潰したり、気づけばスマホの画面を何時間も眺めていたりする。
家族がいることと、自分の人生に納得できていることは別問題です。ここで言う「狂う」とは、精神疾患の話ではなく、孤独や不安、承認欲求に振り回されて人生や人間関係をこじらせていく状態のことです。人は孤独をどうごまかし、それをごまかせなくなったときに何が起きるのかを考えてみたいと思います。
40という数字にスイッチがあるわけではない

40歳の誕生日に何かが壊れるわけではありません。40代で乳幼児を育てている人もいれば、すでに子どもが親離れし始めている人もいます。
米国の「中年の危機」に関する研究でも、危機の多くは特定の年齢そのものよりも、人生の転機や大きな出来事と結びついていることが示されています。効いてくるのは年齢そのものより、それまで自分を支えていた前提が変わり始めることなのでしょう。
子どもが親よりも友人を優先するようになる。職場の仕事が自分抜きでも円滑に回り始める。配偶者が自分自身の趣味や交友関係を楽しむようになる。これらはすべて健全な変化であり、喜ぶべき成長です。
ただ、「人から必要とされていること」で自分の価値を確かめてきた人にとっては、話がまったく変わってきます。子どもの自立や周囲の変化が、自らの成功ではなく「自分の出番が奪われたこと」に見えてしまうからです。
子どもは幸福を保証しないが、強烈な意味をくれる

日本の中年期既婚者を対象にした研究では、子どもの有無によって主観的な幸福感に明確な差は見られませんでした。だからといって「子どもを持っても人生に意味はない」と結論づけるのは読み違えです。幸福感と人生の意味は、似ているようで別のものだからです。
米国の研究では、子どもの世話をすることは幸福感よりも「人生に意味がある」という感覚に強く結びついていることが示されています。子育ては寝不足やストレスを伴い、幸福度という指標だけで見れば割に合わない日も多いはずです。
それでも続くのは、そこには「自分がいなければこの子は困る」という強烈な手応えもあるからです。ご飯を食べさせ、迎えに行き、病気になれば病院へ連れていく。これほど分かりやすく、強烈に「自分は必要だ」と言ってくれる役割は、人生の中でもそうはありません。子育ては人生の意味の供給源として圧倒的に強力です。しかし強力すぎるがゆえに、後になって別の問題を引き起こします。
目の前の忙しさは対症療法
子育てを通じて感じる意味や家族への愛情は本物であり、ごまかしではありません。ただ、子育てには「とにかく忙しい」という側面があります。
食事、入浴、送り迎え、看病、仕事、生活費の工面など、朝起きた瞬間からやることが決まっています。そんな日々のなかで、深夜にわざわざ「自分の人生とは何なのか」なんて考える暇はありません。目の前に自分を必要とする存在がいるため、面倒な問いを脇に置いておけるのです。
子育ては生きる意味をくれると同時に、「自分は何のために生きているのか」「誰にも必要とされない自分に価値はあるのか」という面倒な問いを、10年以上は棚上げにしてくれます。問いが消えたわけではなく、忙しさで見えなくなっていただけなのです。
子どもが育ち、棚上げにされた問いが戻ってくる

子どもは成長するにつれて自分の世界を持ち、以前ほど親の手を必要としなくなっていきます。学費や家事などのタスクは残っていても、「あなたがいなければ困る」という手応えだけが少しずつ薄れていきます。配偶者との会話も「明日の予定どうする?」「牛乳買ってきて」といった業務連絡ばかりになりがちです。
そうして迎えたある休日、ふと時間が空きます。子どもも配偶者もそれぞれの予定で出かけてしまい、自分だけが取り残される。その瞬間、何十年も奥に引っ込んでいた問いが、ひょっこり顔を出すのです。
「で、お前は何のために生きているの?」
結婚して子どもを育てても、人生の意味をめぐる問いから永遠に逃れられるわけではありません。子育てが強烈な意味をくれたとしても、その手応えが薄れたとき、何十年も棚上げにしてきた問いと向き合うことになります。
手伝わなくていいという言葉が、拒絶に聞こえてしまう
ある日、子どもが「もう手伝わなくていいよ」と言ったとき、本来なら自立を喜ぶべき場面です。自分で何とかできるようになったのだから、親としては大成功のはずです。
ところが、この一言に深く傷ついてしまう人がいます。「もうあなたはいらない」という拒絶として受け取ってしまうのです。
心理学には、自分の価値を特定の何かに依存させる「随伴的自己価値」という考え方があります。容姿や成績、他人からの評価などに価値を預けすぎていると、それが揺らいだときに自分自身まで崩れてしまいます。
中年期に人生をこじらせていく人の一部は、この預け先が「誰かに必要とされている自分」一本だったのではないか。誰かに求められることでしか自分の価値を確認できない人は、子どもの自立を素直に喜べず、自分の足場が一枚ずつ剥がされていくような恐怖を感じてしまうのです。
空いた心の穴を、手近なもので埋めようとする

足場が崩れかけたとき、人は手近な手段でその心の穴を埋めようとすることがあります。酒に逃げる人がいれば、動画を延々と見続ける人もいる。SNSで見知らぬ誰かに噛みつき続けたり、陰謀論に居場所を見出したり、あるいは不倫によって求められる感覚を取り戻そうとする人もいます。子どもを手放さず、いつまでも必要とされる親でいようとする過干渉もその一つです。
もちろん、それぞれ理由は違います。ただ、こうして並べてみると、「誰にも必要とされていない自分」と二人きりになるのを避ける、という面が混ざっているケースもあるのではないかと思います。
ノルウェーで行われた長期追跡調査では、若いころから孤独感が高かった人や、年齢とともに孤独感を強めていった人ほど、中年期に陰謀論的な世界観を支持しやすい傾向が報告されています。陰謀論は、世の中の理不尽な理由を説明し、自分は真実に気づいた側だという特別感を与え、同じ考えの仲間まで用意してくれます。居場所が薄くなった人にとって、それが魅力的に見えてしまうのも無理はありません。
不倫で求めているのは、相手ではなく求められる自分
家庭の外に承認を求める行為にも、似た心理が混ざることがあります。子どもからは以前ほど頼られず、配偶者からも特別扱いされなくなり、職場でも自分でなければならない仕事はない。そんなときに「あなたが必要だ」と言ってくれる人が現れれば、気持ちよくなってしまうでしょう。
ただ、そこで惹かれているのは相手その人というより、「まだ自分は誰かに求められるんだ」という感覚に酔っている部分はないでしょうか。相手が好きなのではなく、自分を必要としてくれる状態が好きなだけ、というケースも少なくないはずです。
もちろん、理由がどうあれ誰かを裏切る行為が正当化されるわけではありません。寂しさを抱えることと、その穴埋めに誰かを裏切ることはまったく別の話です。
子どもを支えたいのか、支えている自分でいたいのか

もっとも身近で自覚しにくいのが、子どもへの過干渉です。子どもの選択に先回りして口を出し、失敗を許さず、断られると「あなたのためを思って言っているのに」と不機嫌になる。
ベルギーの研究では、子どもが自分から離れていくことへの親の不安が、罪悪感などを使って子どもを思い通りに動かそうとする心理的コントロールと関連していることが報告されています。「子どもを支えたい」という思いと、「子どもを支えている自分でいたい」という執着は、よく似ていますが中身は違います。
後者には、子どものためだけではなく、自分の孤独や不安を埋めたい気持ちが混ざることがあります。
見分ける基準はシンプルです。子どもが「もう助けはいらない」と言ったとき、寂しさを抱えつつも「そうか、よかった」と手を引けるか。それとも何とか理由をつけて介入し続けようとするか。子どもは親の孤独を埋めるために生きているわけではありません。
子育て終了イコール人生完了とはいかない
「子どもを育て上げたことで、人生の目的は果たした」と割り切れるなら、それはそれでいいと思います。人間以外の動物には、遺伝子を次の世代につないだあと、そのまま死んでいくものもいます。
ただ、人間は子育てが終わったあとの人生もまた長いのです。
30歳で子どもが生まれ、その子が20歳になっても親はまだ50歳です。使命完了だと思ったところで翌朝には普通に目が覚め、ご飯を食べて、一日を過ごし、また次の日が来ます。その残された数十年をどう生きるのかという問いは、自動的には消えてくれません。
子どもが巣立ったあとの時間は荒野ではない
ここまで読むと、子育てが終わったら虚無が待っているように思えるかもしれませんが、そうとは限りません。
米国の女性を対象にした長期調査では、子どもが家を離れる時期への移行と、女性の夫婦関係満足度の上昇との関連がみられました。これは単に一緒にいる時間が増えたからではなく、お互いの時間をより楽しめるようになったことと関係していたといいます。
子育てが一段落して、ようやく夫婦でまともに話せるようになる。自分の時間を取り戻す。子どもとも大人同士として付き合えるようになる。そうやって、子育て後の生活を楽しむ人もいます。
子どもが離れていくこと自体が問題なのではありません。問題なのは、役割を脱ぎ去ったあとに、自分の中に何が残っているかなのです。
一人で生きろという話ではない
だからといって、他人に一切頼らず一人だけで生きろと言いたいわけではありません。誰かの役に立つこと、友人と付き合うこと、地域に顔を出すこと、次世代に何かを渡していくこと。これらはどれも人生の大きな意味になります。
人間は人との関わりの中で意味を感じる生き物です。問題は、「誰かに必要とされていなければ、自分には価値がない」と思い詰めてしまう姿勢のほうです。他人に頼るなということではなく、自分の価値を「必要とされること」一つに全賭けするな、ということです。
独身だから狂うのではない、既婚だから狂わないわけでもない
最初の話に戻りましょう。「独身男性は40代から狂う」。
私はこう思います。独身だから狂うのではないし、既婚だから狂わないわけでもありません。独身であっても、仕事や友人、趣味、地域などを通じて人生に意味を持って生きている人はいくらでもいます。逆に既婚者であっても、子どもが手を離れたあとに、「自分は何のために生きるのか」という問いと向き合うことがあります。
本当の分かれ目は、独身か既婚かではありません。人生の意味や自分の価値を、たった一つの場所に全部預けていたかどうかです。
最後に残るのは、結局、自分自身だ

結婚は孤独の免除券ではありません。子育ては強烈な生きがいを与えてくれますが、同じ形の役割が永遠に続くわけではありません。子どもは自分の人生を生きるために離れていき、職場での役割もいつか変わります。
そうして社会的な役割が一つずつ手を離れていったとき、昔からある問いが再び目の前に戻ってきます。
「で、お前は何のために生きているの?」
最後に残るのは、結局、自分自身です。
だから人生の後半で大事なのは、立派な生きがいを新しく探すことより、もっと地味な強さなのかもしれません。本を読んで、散歩して、ご飯を食べて、昼寝をする。
誰の役にも立たなかった一日の終わりに、
「今日は誰にも必要とされなかった。でも、まあ良い一日だった」
と思えること。
誰かに頼られなくても、普通に一日を過ごせるか。自分の価値を、誰かに必要とされることだけに預けずにいられるか。
結婚も子育ても、その問いをしばらく遠ざけてはくれます。 でも、代わりに答えてはくれないのだと思います。
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