前野ウルド浩太郎さんの『バッタを倒しにアフリカへ』を読みました。
めちゃめちゃ面白い本で、前野さんの素敵するエピソードと文章力に腹筋をよじらせました。そんなおもしろい本なのですが、胸に突き刺さる内容もあり、それについてメモしようと思います。
恵まれた環境に感謝せよ
前野さんはバッタ駆除の研究をするため、アフリカのモーリタニアへ調査にいきました。(日本ではピンと来ませんが、アフリカではバッタの被害がやばいのです)
しかし、大きな成果もあげられないまま、研究資金がそこを尽きそうになります。ポスドクである前野さんが、成果を出せないまま日本に帰国することは、すなわち無職になることを意味します。
自分の不甲斐なさ、そして資金不足で研究を打ち切らなければならない辛さ、たくさんの不満を抱えながら、モーリタニアの研究所のババ所長に「申し訳ないですが、今年も研究所に置かせてください」と懇願します。
前野さんの人柄も、前野さんの研究がアフリカの人々に役立つことも重々承知しているババ所長は、前野さんにパソコンのスライドを見せました。
「もし、あなたの給料が低いと考えているのなら、彼女はどうか?」と、物乞いをしている女の子の写真が表示された。「もし、あなたの交通手段に文句を言うのなら彼らはどうか?」と、吊り橋を渡る人々の写真が表示された。文字を書くのにパソコンを使う人と地面の砂に書く人、ナイキやアディダスなどの靴の選択肢を持っている人とペットボトルつぶし、それを靴がわりにするしか選択肢のない人…。
「あなたが不満を持っているのなら、周りを見回してあなたが置かれている環境に感謝すべきだ。幸運にも私たちは必要以上にものを持っている。際限なく続く欲望に終止符」とメッセージが添えられていた。p264
私たちはついついコマーシャルで映し出される人、ドラマの架空上の人物などを見て、自分の幸せ度合いを比較してしまいます。でも違うんです。
特に私たちのような日本人は、日本に生まれただけで、圧倒的な幸福を生まれた瞬間に手にしています。
ババ所長は続けてこう言います。
「いいかコータロー。辛い時は自分よりも恵まれている人を見るな。惨めな思いをするだけだ。辛い時こそ自分よりも恵まれていない人を見て、自分がいかに恵まれているかに感謝するんだ。嫉妬は人を狂わす。お前は無収入になっても何も心配する必要ない。研究所は引き続きサポートするし、私は必ずお前が成功すると確信している。ただちょっと時間がかかっているだけだ」p264-265
どこにだって素晴らしい人はいるんだなーと。
断食という知恵
モーリタニアはイスラム教なので、年に1ヵ月間、ラマダンと呼ばれる断食があります。日が昇っている間は飲食禁止で、厳格な人となると唾すら飲み込みません。
モーリタニアは砂漠の国なので、水分補給を断つというのはかなりの苦行になります。前野さんはいちど、ラマダン中とは知らずに現地の人たちを連れて野外調査に出向きました。
炎天下の中でも、モーリタニア人は1口も水を飲みませんでした。
前野さんも彼らにならって三日間ではありますが、ラマダンをしてみました。
すると、断食中は確かにつらいが、そこから解放されたとき、水を自由に飲めることがこんなにも幸せなことだったのかと思い知らされた。明らかに幸せのハードルが下がっており、ほんの些細なことにでも幸せを感じる体質になっていた。おかげで日常生活には幸せがたくさん詰まっていることに気づき、日々の暮らしが楽に感じられた。ラマダンとは、物や人に頼らずとも幸せを感じるために編み出された、知恵の結晶なのではなかろうか。p373-374
仏教にも“断食”という修行があります。
『モノを気軽に食べない日数を設けること』は、先人が培った知恵なのでしょうね。
まとめ
幸福を過剰に求めようとする人って周りにいませんか?
私の身近にも「私は全然幸せじゃないわー」と言いながら、毎日グータラしている専業主婦の方がいます。夫の稼ぎでグータラできることに気がついてないんですよね。
それにイラっとした夫が「いやいや、お前は忙しくないだけ幸せだって。」と言ったら、「私は庭の花に水をあげるのが大変なのよ!」と切り返されたと嘆いていました・・・。
ちなみに、庭といっても、畳2畳分くらいの大きさです笑
私たちは求めすぎていることに気がつかないといけません。(自戒)
気がつくためには、1日でもいいので『断食』をやってみるのがいいかもしれませんね。
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