【読書メモ:すべての教育は「洗脳」である】学校に任せっきりの教育は危険!

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そうなんだよねーってな本でした。 教育関係者は読んでおくべきでしょう。 #読書 #堀江貴文 #すべての教育は洗脳である

福山和寿さん(@fukuyama_kazutoshi)がシェアした投稿 –

堀江貴文さんの『すべての教育は「洗脳」である』を読みました。

“学校”に染まりすぎてしまった私たちはある意味生きづらい世の中なんですよね。
というのも、学校は“工場労働者養成機関”だからなのですが、いまの日本に工場ってもうあんまりないです。

「自分の頭で考えて行動しろ!」なんて言われますが、学校はそういう能力を身につける場所ではなく、“言われたことを素早く正確にやる”能力を高める場所であって、「自分の頭で考えろ」って能力を私たちに求めるのはムリなんです^^;

いつものごとくメモしていきます“φ(・ω・。*)カキカキ

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『すべての教育は「洗脳」である』を読んで

なんでこんな本を堀江さんが書いたかというと、

私は1度も学校に洗脳されたことがない。だから一貫して、「投資型」の学びを続けてこられた。みんなが学校生活で受けた「洗脳」を解くのはむしろ、私のような人間の役目なのかもしれない。p8

ということに気がついたからだそうです。
今まではそういうのは専門家の仕事だと思っていたみたいですが、考え方が変わったみたいです。

学校はどんなところ?

学校は“学び場”というイメージがあるかもしれません。
確かにその一面もありますが、冒頭に書いた通り、“工場労働者養成機関”という一面もあることを知っておかなくてはなりません。

高度経済成長期時代、日本は工場労働によって発展しました。
その発展を支える人材育成のために学校があったとも過言ではありません。

  • 決まった時間働く
  • 目上の人の言うことは聞く
  • 誰もが同じ作業ができる

学校では先生の言うことを黙って聞く“従順さ”が必要になりますが、これは工場労働者にとっても同じであって、そう言う意味で学校教育は最高だったのです。

でも今は時代が違いますよね?

日本でモノを作るより、人件費や電気料金、土地代が安い海外でモノを作った方が安上がりなのです。
日本は工場労働産業からサービス産業に移行しています。

それなのに工場労働者養成機関として学校教育があるのは時代遅れも甚だしいってことです。

学校制度の基礎はイギリスで生まれた

学校制度の基礎は19世紀のイギリスで生まれました。
イギリスといえば、産業革命を起こした国ですよね?

国力の発展のため工場が必要な時代であり、そのためには工場労働者がたくさん必要です。
そのために一定の年齢の子供を一箇所に集めて、読み書き計算を教えれば効率がいいと言うわけです。

大規模な工場の発展により、家庭内手工業に従事していた職人が職を失うというデメリットもありました。
そうなると、そこの子供は路頭に迷うことになります。

その点でも学校は、

  • 子どもを保護する
  • 工場労働者に仕立て上げる

という役割をになったわけです。

国民という意識を植え付ける学校

近代といえば戦争の時代です。
そういう時に必要になったのが『国家』という概念であって、政府としては国民としての意識(ナショナリズム)を植え付けることが大切でした。

そうでないと、「国のために戦う!」という意識が働かないからです。
それに役立ったのも“学校”という教育機関でした。

国家権力を持つ人々は学校フル活用し、人民がまだ幼く判断力の低いうちから、「常識」という形で「国家にとっての理想の国民の姿」を頭に刷り込ませた。p26

過去の常識を引きずりすぎてる日本人

私もそうですが、堀江さんも「日本人は過去の常識をひっぱりすぎている」と考えています。

かつては国家主導で行われていた愛国教育・国民教育も、敗戦を経て民主的なものになった–そう思っている人が多いだろう。しかし実態は違う。日本は、今も戦前からの常識をしつこく引きずり続けている。p31

政府が教科書をチェックする

私たちの教育は“教科書”が元になっていますが、この教科書、どうやって選ばれているか知っていますか?

実をいうと、学校で使用する教科書は国家がチェックしているのです。
これ、先進国の中では珍しいことなんですね・・・。

日本以外で政府が教科書をチェックしている国といえば、

  • 韓国
  • 中国
  • ロシア
  • トルコ
  • キューバ

などなどで、アメリカやヨーロッパではそんな教科書を国が選ぶ検定制度などありません。

堀江さんの結論

ネットがある、AIやロボットが発達していく、なら工場労働者の育成を国が担う必要なんてないよね?

では、「国民」を養成する必要はあるのか。
ない、と言うのが私の結論だ。私が学校不要だと断言する、最大のポイントはここにある。p36

ナショナリズムとグローバルの動きは逆向きの方向です。
グローバル人材を育てたいのであれば、学校教育というのは邪魔な存在かもしれないんですね。

「日本が好きだ!」という気持ちは大切でしょうが、日本に固執する必要なんてどこにもないのです。

会社も洗脳機関

ちなみに、会社も学校と同じく洗脳期間になります。
ブラック企業なんかがまさにそれですよね。

一方、問題は大人たちである。いくら私が「学校はいらない」と主張してみても、もう大人たちが学校卒業している。学校による洗脳が、(人によっては)骨の髄まで染み渡っている。学校辞めることすらできないのが、大人たちなのだ。

そうした大人たちが洗脳から抜け出すにはどうすれば良いのか。答えは1つしかない。学校と直結した洗脳期間である、「会社」との関係性を考え直すことだ。p170

これって本当にそうだなーと思うんですよね。
大学に進学した人は大学の自由さで、少しずつ染み渡っていった“洗脳”を解いていくように思えます。

しかし、就職活動あたりからまた洗脳が始まっていくのです・・・。

会社は会社の利益を優先するため“会社に利益をもたらすような人材育成”をし、それが常識であると新入社員に叩き込んでいきます。
最初のうちは「へ?」と思っていても、数年後には「当たり前っしょ!これが社会人っしょ!」という感覚になってしまうんですね。

 当たり前に不正をしていく企業

企業が利益優先し人権やら公共やらを無視した結果、『不正』を行います。
ニュースや新聞で数々の大企業がそんなことをやっているのを、私たちは知っています。

思考することをやめ、企業で従順に働くことは『不正』に関与しているかもしれないのです(´・ω・)

自分のブレーキを外せ

私たちは何か新しいことを始めようと思うと、ついつい心の中でブレーキを踏んでしまいます。

  • もう歳だしな
  • こんなの始めたら周りから笑われるかも

などなど、言い訳を作ってしまいます。

でもなぜブレーキを踏んでしまうのでしょうか?

どうしてわざわざ自分にブレーキをかけるのか?答えは簡単だ。「学校」で洗脳されたからである。p86

と、堀江さんは言います。

もともと人間は変化を嫌う生き物です。
それとプラスして学校で「周りと同じでありなさい」という圧力を十数年受け続けてきた結果、ブレーキを踏むプロが量産されたのだと思います。

学校は工場労働者養成機関であって今私たちが考えている“常識”というものを植えつけた場所だということがわかった今、ブレーキを外すのはあなた次第だってことですよね。

もちろん、

  • ブレーキを踏み続けてもOK
  • ブレーキを外してもOK

どちらもOKで、自分がどういう人生を送りたいか、です。

ブレーキを外すためには?

じゃあブレーキを踏むのをやめ、アクセルを踏む生き方を目指すにはどうしたら良いのか?

堀江さんは「学び」が不可欠だと言います。

もしかしたら「え?学び?学校教育はいらないっていったのに?」と思うかもしれません。
堀江さんのいう学びと、私たちが考える学びは全然違います。

私が言う「学び」とは、没頭のことだ。p87

何かに没頭すれば能動的に学ぶので(学校では受動的に学び)、自然とアクセルを踏めるとのことです。

まとめ

この記事では『すべての教育は「洗脳」である』について書いてきました。
すごーく読みやすいので、是非とも読んで見てください。

私としては新しく得る情報はほぼなかったのですが、「学校にいくことは善である」と思い込んでる人は読むべき本だと思います。
特に、子供を持つ親御さんで「教育は学校に任せっきり!」にしている人はヤバイですので、ちゃんと家でも教育してあげてください。

最初に書きましたが、今の学校教育は『工場労働者養成機関』であって、今の時代に適した教育ではありません。
政府としても今の教育を変えようとしていますが、いかんせんなかなか進まないのです^^;

そうであるならば、自宅で時代を見据えた教育を施してあげてください。

今回の記事も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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