ノーベル化学賞の硤合憲三(そあい・けんそう)さんは、結局何がすごいの?

青と赤の鏡像分子がフラスコ内で反応し、青い分子の割合が大きくなる様子を、左右の手と矢印で表した図解風のイラスト 科学・歴史・文化
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2026年のノーベル化学賞に、日本の化学者である硤合憲三(そあい・けんそう)さんが選ばれました。

授賞理由には「不斉有機合成」「非線形効果」「自己触媒」といった難解な専門用語が並んでいます。画期的な新薬を発見したわけでも、便利な新素材を開発したわけでもない研究が、なぜノーベル賞という最高の栄誉に輝いたのでしょうか。

本記事の要点は次のとおりです。

分子の中には、右手と左手のように、互いに鏡に映した関係でありながら重ね合わせられないものがあります。そして、生命を構成する重要な分子には、なぜかその片方の形ばかりが使われているものがあります。

硤合さんは、ほとんど誤差にしか見えないようなごくわずかな左右の差が、化学反応を繰り返す中で大きな偏りへと育っていく現象を、実際の実験で示しました。

これは生命の起源を直接解明したわけではありません。しかし、「ほぼ半々の状態から、いかにして片方だけに近い状態が生まれ得るのか」という科学の大きな謎に、重要な実験的手がかりを与えたのです。

硤合憲三さんのプロフィール

硤合憲三(そあい・けんそう/Kenso Soai)。1950年、広島県生まれ。1979年に東京大学で博士号を取得。東京理科大学名誉教授。

共同受賞者:アンリ・B・カガン(Henri B. Kagan)

フランスの化学者。不斉触媒における非線形効果を発見。

公式の授賞理由

“for the discovery of non-linear effects and autocatalysis in asymmetric organic synthesis”

「不斉有機合成における非線形効果と自己触媒作用の発見」

そもそも、分子に「右と左」があるとはどういうことか

鏡を挟んで青と赤の手形と分子模型を対比し、右型と左型で立体的な形が異なる様子を描いた図解風のイラスト

自分の右手と左手を前に出して見比べてみてください。指の数も並び順も同じですが、右手をどれだけ回転させても、左手とぴったり重ね合わせることはできません。互いに鏡に映した関係なのに、実物同士は重ならないのです。

分子の世界にも、これとよく似た関係を持つものがあります。構成する原子の種類やつながり方は同じなのに、立体構造が右手と左手の関係になっていて、重なり合いません。

このような一対の分子を「鏡像異性体(きょうぞういせいたい)」、または「鏡像体」と呼びます。そして、鏡に映した形と重ね合わせられない性質を「キラリティー」といい、そうした性質を持つ分子を「キラルな分子」と呼びます。

構成する原子が同じなら、体内でも同じように働くのではないかと思えるかもしれません。しかし、生物の体内ではそうとは限りません。

体内にある受容体や酵素といったタンパク質もまた、複雑な立体構造を持っています。右手用の手袋に左手がうまく合わないのと同じように、体内の受容体や酵素も分子の立体的な形を見分けます。そのため、鏡像異性体同士であっても、薬としての効き目や体内での作用、毒性などが大きく異なる場合があります。

授賞理由にある「不斉有機合成(ふせいゆうきごうせい)」とは、簡単に言えば、こうした右手と左手の関係にある分子のうち、目的とする一方の形を優先して作る化学のことです。

なぜ生命は片方の形ばかりを使っているのか

青と赤の鏡像分子を左右に分け、タンパク質やDNAなど生命を支える分子が片方の形に偏る様子を示した図解風のイラスト

ここで、自然界における大きな謎が立ちはだかります。

タンパク質を構成するアミノ酸には、鏡に映したような二つの形を持つものがあります。化学では、こうした形を区別するときに「L型」「D型」という記号を使います。

ただし、L型が文字どおり左手型、D型が右手型という意味ではありません。これらは、分子の中で原子が立体的にどのように並んでいるかを区別するための名前です。

驚くべきことに、地球上の生物がタンパク質を作るときには、基本的にL型のアミノ酸が使われます。グリシンのように左右の区別を持たない例外もありますが、鏡像体を持つアミノ酸では、一方の形ばかりが使われているのです。

一方、DNAやRNAの材料となる糖には、D型が使われています。

このように、生命を構成する重要な分子では、鏡像関係にある二つの形のうち、一方の形ばかりが使われているものがあります。この性質を「ホモキラリティー」と呼びます。

王立スウェーデン科学アカデミーの一般向け解説(以下、公式解説)でも、この生命のホモキラリティーがどのようにして成立したのかを、長年の大きな化学的問題として紹介しています。

ところが、左右のどちらかを優先する要因がない条件で、もともと左右の区別がない原料からキラルな分子を作ると、基本的には二つの鏡像体が同じ量ずつ生じます。50対50です。

では、太古の地球において、なぜ生命を構成する分子は片方の形にそろっていったのでしょうか。

この謎自体は、現代科学でも完全には解明されていません。硤合さんが行ったのは、その根底にある「そもそも、50対50に近い状態から、化学反応の仕組みによって一方へ大きく偏ることは可能なのか」という問いに、実験で答えを示すことでした。

1953年、フランクが提唱した「偏りが育つ」仕組み

青と赤の分子が増える段階から、青い分子が多くなる段階までを矢印で並べ、左右の割合の変化を表現した図解風のイラスト

時計の針を1953年に巻き戻してみましょう。イギリスの物理学者フレデリック・チャールズ・フランクは、ごく小さな左右の差が増幅していく化学反応の理論モデルを提唱しました。

このモデルを理解するには、「触媒」の働きを知る必要があります。触媒とは、化学反応を進みやすくする手助け役の物質のことです。反応のたびに使い切られるのではなく、繰り返し働くことができます。

公式解説では、フランクのモデルに必要な条件を次の三つに整理しています。

  1. 左右のどちらかを優先して作るキラルな触媒と不斉反応が存在すること。
  2. 一方の形の生成が強まり、もう一方の生成が抑えられる仕組みがあること。
  3. 反応で生まれた生成物そのものが、次の反応を進める触媒になること。

三つ目の条件が「自己触媒」です。

通常の触媒反応が「AがBの合成を助ける」という関係だとすれば、自己触媒は「生まれたBが、次のBの合成を助ける」という関係を指します。

コピー機を1台作ったら、そのコピー機が次のコピー機を作り、そのコピー機がさらに次を作る。そんなイメージです。ただし、材料が何もないところから勝手に増えるわけではなく、新しい分子を作るための原料は別に必要です。

フランクのモデルの三つの条件のうち、最初の条件は20世紀初頭にはすでに実現していました。しかし、残る二つが現実の化学反応でそろうまでには、さらに数十年がかかりました。

特に重要なのは、単純に自分と同じ分子を増やすだけでは、左右の割合の差が大きくなるとは限らないことです。

ここに、もう一人の受賞者であるカガンさんの発見が関わってきます。

ただ増えるだけでは差は広がらない。カガンさんが見つけた鍵

フラスコの中で青い分子と赤い分子が反応し、青い分子の割合が少しずつ増えていく様子を段階的に描いた図解風のイラスト

例として、右型が51個、左型が49個あったとします。もし両者がまったく同じ割合で増えて2倍になったら、右型は102個、左型は98個になります。

数の差は2個から4個へと広がりましたが、全体に対する割合は51対49のままです。つまり、数が増えても、左右の偏りの割合は一切変わっていません。

左右の割合を変えるためには、単純に数を増やすだけでなく、多い側がさらに有利になるような仕組みが必要なのです。

1986年、フランスのアンリ・B・カガンさんらは、触媒の左右の偏りと、できあがる生成物の左右の偏りが、必ずしも単純な比例関係にならない現象を発見しました。

これが「非線形効果」です。

非線形効果が起こると、触媒に存在する小さな偏りが、生成物では予想以上に大きな偏りとして現れることがあります。反対に、生成物の偏りが予想より小さくなる場合もあります。

なぜ、そんなことが起こるのでしょうか。

カガンさんらが考えたのは、触媒として働く分子が複数集まったときの働き方です。同じ向き同士で集まった組と、右と左が混ざった組とでは、反応を進める能力が異なるというモデルを提案しました。

例えば、右と左が混ざった組は働きにくく、同じ向き同士の組はよく働けるとしましょう。

混ざった組が右型と左型を同じ数ずつ抱え込むと、数の少ない側ほど、自由に働ける分子の割合が小さくなります。その結果、多数側が相対的に有利になり、生成物の偏りが最初の触媒の偏りよりも大きくなる場合があります。

イメージとしては、右と左が混ざった組だけがベンチに座り、同じ向きでそろった組が中心になって働くような状況です。

ただし、これは非線形効果を理解するための単純化した説明です。すべての反応で混ざった組が働かなくなるわけではありませんし、硤合反応そのものの分子機構を、そのまま表したものでもありません。

ここで重要なのは、カガンさんが、小さな左右差は場合によっては反応によって予想以上に大きくなり得る、と示したことです。

ただし、カガンさんの研究で扱われた反応自体は自己触媒ではありませんでした。生成物がそのまま次の反応を進める触媒になるわけではないため、この非線形効果だけで、同じ生成物の偏りを繰り返し増幅することはできません。

その後、硤合さんも大きな非線形効果を示す反応を研究するようになります。公式解説によれば、その過程で触媒と生成物の構造が似ていることに気づき、生成物自身が次の反応を助ける自己触媒の着想へとつながっていきました。

ただし、硤合さんがカガンさんの触媒をそのまま使ったわけではありません。

二人は別々の反応を研究していました。ただ、後から振り返ると、二人の発見は、小さな左右差がどう大きくなり得るかという一つの問題に、それぞれ別の方向から光を当てていたのです。

1995年、偏りの増幅と自己触媒が一つになった「硤合反応」

わずかな青い分子と赤い分子の差が、連続するフラスコでの化学反応を通じて大きな偏りへと変化する過程を描いた図解風のイラスト

硤合さんは1990年に不斉自己触媒反応を報告しました。しかし、当初の反応では、生成物自身が次の生成を助けることはできても、左右の偏りを大きくすることはできていませんでした。

転機が訪れたのは1995年です。硤合さんたちは科学誌『Nature』に、左右の偏りの増幅を伴う不斉自己触媒反応の最初の実例を報告しました。

生成物が次の自分を作る反応を助け、しかも反応を繰り返すほど左右の偏りが大きくなる。

この二つが一つの反応系で実現したのです。これが「硤合反応」として知られる研究の大きな成果です。

ここで、左右の偏りを表す「鏡像体過剰率(ee:enantiomeric excess)」という言葉を紹介します。これは、全体に占める右型と左型の割合の差を表す数値です。

右型:左型の割合鏡像体過剰率
50:500% ee
51:492% ee
94:688% ee
99.75:0.2599.5% ee

例えば99.5% eeとは、全体の99.5%が一方の分子だという意味ではありません。多数側が99.75%、少数側が0.25%で、その差が99.5ポイントあるという意味です。

硤合さんらの後年の解説によると、1995年の実験では、わずか2% ee、つまり約51対49という小さな偏りから反応を始めました。

そして、1回の反応で得られた生成物を、次の反応を進めるための「種」として使いました。こうして連続した自己触媒反応を重ねると、偏りは次のように変化しました。

2% ee → 10% ee → 57% ee → 81% ee → 88% ee

最初はほぼ51対49だったものが、4回の連続反応で約94対6まで偏ったのです。

※公式解説では1995年の最終値を87%と記載していますが、ここでは硤合さんらの後年の解説にある88% eeを用いています。

ここで、カガンさんと硤合さんの成果の違いがはっきりします。

カガンさんは、触媒の小さな偏りが生成物ではより大きくなり得る「非線形効果」を明らかにしました。一方、硤合さんは、偏りを増幅するだけでなく、できた生成物が次の反応の触媒にもなる仕組みを実現しました。

左右の偏りを大きくすることと、その反応を繰り返してさらに増幅すること。この二つが、現実の化学反応で結び付いたのです。

極限の実験。ほぼ200万対200万から、ほぼ片方だけの状態へ

同じような条件のフラスコから、青い分子が多くなる結果と赤い分子が多くなる結果の両方が現れる様子を描いた図解風のイラスト

硤合さんたちの探求は、そこで終わりませんでした。続いて挑んだのは「スタート時の差がゼロに限りなく近くても、増幅できるのか」という極限の検証です。

2003年、研究チームは約0.00005% eeという、通常の分析方法では直接測定することが非常に難しいほど小さな左右差を持つ試料を、意図的に調製しました。

整数比に換算すると、およそ2,000,001対1,999,999です。

合計400万個あると仮定しても、差はたったの2個。ほとんど完全に均等としか思えない状態です。

もちろん、実際の試料に分子が400万個しか入っていなかったわけではありません。これは差の小ささを理解するための例えです。

このわずかな偏りを持つ試料を出発点に、自己触媒反応を行いました。1回の反応で得られた生成物を次の反応の「種」として使い、連続して反応を進めました。

こうした反応を3回行った結果、次のような増幅が確認されました。

段階鏡像体過剰率左右の割合
スタート時約0.00005% ee約2,000,001:1,999,999
1回目の反応後57% ee約78.5:21.5
2回目の反応後99% ee約99.5:0.5
3回目の反応後99.5% ee超多数側99.75%超、少数側0.25%未満

ほぼ完全に五分五分だった状態から、わずか3回の連続反応で、ほとんど一方の形が占める状態へと変わりました。

ただし、少数側の分子が完全に消えたわけではありません。重要なのは、もともと存在していた極めて小さな偏りが、化学反応そのものによってここまで大きくなったということです。

そして、これとは別に、さらに根本的な問いに挑んだ実験があります。

最初に左右のどちらかを決める物質を加えなかったらどうなるのか

ここからは、先ほどの0.00005% eeの実験とは別の話です。

先ほどは研究者が、最初からごくわずかな左右差を持つ試料を用意しました。では、左右のどちらかに偏らせるキラルな物質を、意図的に加えずに反応を始めたらどうなるのでしょうか。

硤合さんらは2003年、そうした条件で反応を開始する実験も報告しました。

すると、得られた生成物はどちらか一方へ大きく偏りました。ある実験では右型へ、別の実験では左型へと偏ったのです。

さらに、別の研究グループがこの種の反応を繰り返したところ、右型へ偏る場合と左型へ偏る場合が、ほぼ半々に分かれました。

これは、反応開始時の偶然の小さな左右差が増幅されたという説明とよく整合する結果です。

しかし、ここで注意しなければならないことがあります。

「キラルな物質を意図的に加えなかった」ことと、「左右に影響する要因が完全に存在しなかった」ことは同じではありません。

硤合反応は非常に敏感です。実際、別の研究では、ごく微量のキラルな不純物によって、最終的にどちらの形が多くなるかが左右される可能性も指摘されています。

そのため、右型と左型に偏る結果がほぼ半々だったことは、真の確率が必ず50%であるとか、純粋な偶然だけが原因だったと証明するものではありません。

それでも、この実験には大きな意味があります。

最初のきっかけが極めて小さくても、そのわずかな違いが増幅され、最終的には一方へ大きく偏った化学反応が生まれ得る。

これは、フランクが1953年に理論で考えた「左右対称に近い状態から一方へ偏る」という問題に、実際の化学反応で迫った結果でした。

硤合反応は、その可能性を現実の分子で示したのです。

生命の起源を解明したのか。それでもノーベル賞に輝いた理由

左右の分子が偏っていくフラスコの実験と、起源が未解明の原始地球を対比し、研究で示せたことの範囲を表現した図解風のイラスト

ここまで読むと「これで生命の起源の謎が解けたのか」と感じるかもしれません。

しかし、生命を構成する分子がなぜ一方の形にそろったのか、その直接的な理由が判明したわけではありません。

硤合反応では、ジイソプロピル亜鉛という特殊な有機金属試薬を使います。これは水や空気との接触に注意が必要な物質であり、硤合反応そのものは原始地球の環境を再現した実験ではありません。

公式解説でも、硤合反応は人工的な反応であり、生命の化学とは異なることが明記されています。

この研究で実際に示されたことと、この研究だけでは言えないことを整理してみましょう。

この研究で示されたことこの研究からは言えないこと
ごく小さな左右差を、化学反応の中で大きく増幅できる生命の分子が実際に硤合反応によって一方にそろったこと
特定の人工的な反応系では、一方がほとんどを占める状態を作れる原始地球で硤合反応そのものが起きたこと
キラルな物質を意図的に加えなくても、一方に偏る結果が生じ得る生命の最初の左右差が何によって生まれたか

生命のホモキラリティーの謎には、大きく分けて二つの問題があります。

一つは「最初の小さな左右差は、どこから生まれたのか」という問い。もう一つは「その小さな差が、どうやってほぼ一方だけの状態まで広がったのか」という問いです。

硤合さんの研究は、少なくとも特定の人工的な反応系では、後者が現実に可能であることを示しました。

なぜ、二人の研究がノーベル賞に値するのか

1953年、フランクは、左右差を増幅するための化学システムを理論的に考えました。1986年、カガンさんたちは、触媒と生成物の左右の偏りが単純には比例しない「非線形効果」を発見しました。

そして1995年、硤合さんたちは、小さな左右差を自己触媒反応によって繰り返し増幅できることを、現実の分子で示しました。

さらに2003年には、左右のどちらかに偏らせるキラルな物質を意図的に加えなくても、一方の鏡像体が大きく優勢になる反応を報告しました。

公式解説は、フランクのモデルに必要だった条件のうち、一方の生成を強め、もう一方を抑える仕組みにカガンさんの非線形効果が、自己触媒という条件に硤合さんの研究が対応すると説明しています。

これは、フランクが問題を出し、カガンさんがその答えを完成させ、硤合さんがそのまま引き継いだという一直線のリレーではありません。非線形効果の研究が硤合さんの着想の背景にあったとはいえ、それぞれの研究には独自の経緯があります。

しかし、振り返ってみると、二人の発見は同じ大きな問いにつながっていました。

ほとんど差のない状態から、どうすれば一方へ大きく偏った状態が生まれ得るのか。

理論で考えられていた可能性を、実際の化学反応で示したこと。それこそが、今回のノーベル賞の核心です。

よくある疑問

硤合反応は、薬を作るための実用的な技術なのですか?

硤合反応そのものが、医薬品工場で日常的に使われているわけではありません。

一方、カガンさんが発見した非線形効果の知見は、不斉触媒の仕組みを理解したり、医薬品や香料、農薬などに関わる反応を最適化したりするうえで重要です。

ただし、今回の受賞理由は特定の医薬品の開発ではありません。左右の偏りを増幅する仕組みを明らかにした、基礎化学上の発見が評価されたのです。

完全な偶然で左右が決まったと証明されたのですか?

そこまでは言えません。

2003年、別の研究グループが54回の実験を行ったところ、右型に偏ったのが27回、左型に偏ったのが27回でした。これは偶然の小さな偏りが増幅されるという説明と整合しますが、微量のキラルな不純物などの影響を完全に排除できたことを意味しません。

また、この結果だけで、左右に偏る真の確率が正確に50%ずつだと証明されたわけでもありません。

硤合反応は、非常に小さなきっかけが最終結果を左右し得る、極めて敏感な反応系なのです。

99.5% eeとは、99.5%が一方の形という意味ですか?

違います。

eeは、全体に占める右型と左型の割合の差を表しています。99.5% eeであれば、多数側が99.75%、少数側が0.25%という意味です。

約0.00005% eeという差は、自然に偶然できたものですか?

違います。

この極微小な差を増幅した実験では、研究者が約0.00005% eeになるように試料を意図的に調製しました。

キラルな物質を意図的に加えずに反応を始めた実験は、それとは別に行われています。

炭素のわずかな重さの違いすら拾い上げる驚きの感度

硤合反応の敏感さを物語る、もう一つ興味深い研究があります。

炭素原子には、一般的な炭素12と、中性子が一つ多い炭素13という種類があります。このように、同じ元素でありながら原子の重さが異なる種類を「同位体」と呼びます。

2009年、硤合さんらは、炭素12と炭素13の配置の違いだけでキラルになった分子を使い、実験を行いました。

この分子では、鏡像関係にある二つの形の違いは、炭素12と炭素13がどこにあるかという点にあります。原子の重さがわずかに違うだけなので、その影響は通常の方法では見分けにくいほど小さなものです。

それでも、その分子をきっかけに硤合反応を進めると、最終的に大きな左右差を持つ生成物が得られました。

しかも、最初に使った分子のキラリティーの向きに応じて、生成物がどちらの向きに偏るかが変わることも確認されました。

つまり、ほんのわずかな同位体の配置の違いが、最終的には大きな結果の違いにつながったのです。

通常ならほとんど影響が見えないような小さな違いでも、それを拾い上げ、大きな偏りへと増幅できる。ここにも、硤合反応の特異さがよく表れています。

まとめ

本記事のポイントは、次の一点に集約されます。

ごく小さな左右の差であっても、「自分と同じものを増やす仕組み」と「多い側がさらに有利になる仕組み」が組み合わされば、化学反応の中で大きな偏りへと成長し得る。

硤合憲三さんは、理論上考えられていたこの可能性を、実際の化学反応で示しました。

もちろん、生命がなぜ特定の形の分子を使うようになったのか、その謎がすべて解けたわけではありません。

それでも、ほとんど差がない状態から、一方に大きく偏った状態が生まれる仕組みを現実の化学で示したことには、大きな意味があります。

カガンさんの非線形効果と、硤合さんの不斉自己触媒。二人の研究によって、小さな左右差が大きな偏りへ育つ仕組みへの理解が、大きく前進しました。

だから、ノーベル賞なのです。

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