冨永京子さんの『みんなの「わがまま」入門』を読みました。タイトルだけだと分かりづらいので、内容説明を引用します↓
“権利を主張する”は自己中?
言っても何も変わらない?
デモや政治への違和感から、校則や仕事へのモヤモヤまで、意見を言い、行動することへの「抵抗感」を、社会学の研究をもとにひもといていく、中高生に向けた5つの講義。
身近な「わがまま」と社会をゆるやかにつなげ、
意見の異なる人々と、社会をつくるための入門書。
デモをやっている人たちを見て、デモで道路を占拠している人たちを見て、「え?なんでそんなことするの?おかしくない?」と思った人も多いでしょう。私もそうです。
そんな人にこそ読んでもらいたい本でした。デモへの考え方が変わるかと思います。デモなどの社会運動は、ある種の「わがまま」なのです。
わがままをいうのは悪いこと?
わがままを言う奴はめんどくさい。わがままを言わない方が美徳だ。ワガママについてはそのようなイメージがあるかと思います。
でも本当にそうなのでしょうか?わがままは言わない方がいいのでしょうか。それは時と場合によりますよね。
たとえば、昔は多くの国で奴隷制度というのがありました。奴隷を使うのは当たり前、そんな時代がありました。そんなところに「奴隷も同じ人間なんだよ!奴隷を解放しようよ!」というわがままをいう人が現れました。
さて、そんなことを言う人はわがままでしょうか?今の時代を生きる私たちからすると、「人は平等じゃなきゃダメでしょ!」と言えるでしょうが、その考え方が少数派だった時代に、同じようなことを言えるでしょうか?
奴隷という大きな例を持ち出してしまったので、身近に感じづらいかもしれません。身近にある小さな例を考えてみましょう。
たとえば学校の制服。制服がある学校では、当たり前のように制服を買います。じゃあここで「制服はもうやめようぜ!」という人が出てきたら、どうでしょう?これはわがままでしょうか?
当たり前のように感じられる制服ですが、制服が高いから購入するのが大変な家庭もあります。そして、意外とそういう家庭が多かったりするかもしれません。
「制服をやめよう」というわがままは、いくつかの家庭を救うわがままなのかもしれません。『わがまま=悪い』というわけではないのですね。(制服をつくっている会社からすると、たまったもんんじゃないですけれど)
私たちの社会では、
- わがままをいうな
- 空気を読め
という同調圧力が高いです。
ですがこの圧力に従うばかりだと、自分の人生を縛りつけてしまいます。圧力に従うだけだと、みんなと同じようなことしか発言も行動もできないからです。常に周りの顔色をうかがわなけれなりません。
少しずつでもわがままを言うこと、そして相手のわがままに付き合ってあげること、そういう寛容さを持つ社会にしていきたいですね。
読書メモとして簡単に動画にしています↓↓↓
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