『日本再興戦略』で今話題の落合陽一さん。
落合さんが2016年に出版した『これからの世界をつくる仲間たちへ』を読みましたので、いつものごとくメモしていきます“φ(・ω・。*)カキカキ
この本を読み終えて感じたことは「落合さんってすごい優しいんだなー」ということです。
この本はタイトルの通り、これからの世界をつくる仲間へ向けた内容となっており、難しいことを“より具体的に”、“より分かりやすく”、噛み砕いてくれていて、落合さんの『教育者マインド』が伝わってくる本でした。
頭のいい人が、頭のいい人向けに書いた本ではありません。そこに「落合さんすごいなー」と私は感じるのでした。
『これからの世界を作る仲間たちへ』を読んで
落合さんがこの本を書いた理由
僕がこの本を書くとを決めた理由は、デジタル・ネイティブとその前の世代のはざまで生きている僕だからこそ翻訳できること、見えていることがあるだろうと気づいたからであり、それを共有する事は僕より若い世代や、若い世代の親御さんにとって意義があると思ったからです。p13
グーグルがある時代・ない時代、スマホがある時代・ない時代、このはざまで生きている落合さんだからこそ書けることがあるってことですね。
ちなみにですが、私もそのはざま世代です( ´∀`)
だからこそ落合さんの言ってることにはすごく共感できるなぁと。
魔法の世紀ってなんじゃい?
この本の中で度々登場している言葉が“再魔術化”です。
科学への理解が未発達の頃は、理解できないものを“魔法”だとか”神様がやったこと”のように人は解釈していました。しかし科学の理解が進むと、自然の原理や法則がわかり、今まで理解ができなかったことが理解できるようになりました。
科学がさらに高度に発展していくと、今度は私たちの理解の範疇を超え、“魔術を信じてしまう世界”になってしまいました。
どういうことかというと、
なぜ車が走っているのか?
なぜスマホは動いているのか?
なぜテレビは写っているのか?
などなど、身近にあるもののほとんどを理解しないまま、理解できないまま使っています。
それってつまり「“魔法”だよね」ってのが魔法の世紀になります。「魔術なんて非科学的なものきもいぜ!」と思っていたはずなのに、いつの間にやら理解できないものを受け入れちゃってるんですよね。
魔法をかける側になるのか、かけられる側になるのか・・・?
教育について
落合さんは教育についても疑問を持っています。
インターネットがある前と後では世界が大きく変わりました。しかし、選挙制度や雇用の仕組みとか、まだまだ変わっていないものが多くあります。
ですが、それらはこれらのテクノロジーで変わっていくものです。その結果どう変わっていくか?何が起こっていくのか?その意味を理解できない親たちが、子供に見当違いの教育を与えている、というのが落合さんの疑問になります。
私も同意見です。
親だけじゃなくて学校の先生もだけど。
プログラミングは道具
これからの時代を予測して、子供にプログラミング教育を学ばせている親御さんも多いかもしれませんが、プログラミングを学ばせるだけじゃだめだよねっていうのが落合さんの考えです。
なぜかというと、「プラミングができる」というのは、「算数ができる」くらいの話だからです。
結局プログラミングは道具(ツール)にすぎず、道具自体を目的化しては意味がないのです。「道具を使って何をするか?」という視点が大切になります。
それよりも重要なのは、やはり自分の考えをロジカルに説明して、ロジカルにシステムを作る能力です。そこを鍛えなければ、どんなに英語を学んでも、プログラミングを学んでも、シンギュラリティーやマルチラリティー以降の世界に通用する人間にはなれないでしょう。p29
なかなか耳が痛い話ですよね。
ロジカルに考えるにはどうしたらよいのか?
そこは、親と子の対話で鍛えていくしかないんじゃないかなーというのが僕の今のところの結論です。つまりは、「どれだけしっかり幼児教育ができるか?」に繋がるんじゃないかと思います。
頭のいい人は「なんでこんなにも論理的に考えれないの?」と思うことがあるはずですが、できないものはできないんです。
小学校の先生に話を聞いてびっくりしたことがあるんですが、腹筋が1回もできない子っているんですね。なかなかびっくりする話しじゃないですか?
だって自分の力で起き上がることができないんですよ?でも、その子にしてみたら、できないものはできないし、どこに力を入れたらいいかわからないんです。
論理的思考ができる、できないって、そういうことなんだろうなぁと私は思っています。
群れるな!
「意識だけ高い系にはなるな!」ということもこの本が書かれていました。
意識だけ高い系の人たちは、学生団体を作ってミーティングや勉強会やイベントやメディア作りなどと称して仲間と集まって、大人の人たちを読んで交流し、そこで仕入れてきた知識を他のグループでどや顔で話すらしいんですけど、結局そこにある情報っていうのは自分が考えたものではないので、いろいろな知識を広く浅く持っているだけにすぎません。
これでは、ただの「歩く事例集」です。p35
インターネットの得意分野が、ウィキペディアにあるような集合知です。歩く事例集になったって、ウィキペディアの前では敵うわけがありません。
AIやロボットの得意分野に勝負を持ちかけちゃダメなんです。
その仕事の価値はいくらまで下がるの?
ネットが登場したての頃は、ウェブサイト作成やロゴのデザインは“おいしい仕事”だったそうです。200万円でそれらの仕事を請け負うことが普通にあったんですって。
でも今ではクラウドソーシングでそれらの仕事を頼むと、5万円くらいで済むそうな。経営者ならどっちで頼む?って話ですよね。
さてさて、ここからが怖い話で、Google翻訳などの精度が上がれば、「別に日本人に頼まなくてもよくない?」ってなるわけです。
「インドだったら1万円くらいでやってくれるんだってよ!」・・・あなたが経営者ならどっちで頼むって話ですよね?
じゃあこれがもっと進化して、AIやロボットがウェブサイト作成やデザインの候補を何百パターンも用意してくれるようになったら・・・?
コワイコワイ。
「その人にしか頼めない!」というような人物にならない限り、トップオブトップにならない限り、そんな世界が待ってるみたいなのです。
さようならホワイトカラー(管理職)
多くの仕事って工場労働者、いわゆるブルーカラーと呼ばれる人たちが価値を生み出しています。(モノを作ってる)
ですが、ブルーカラーの人たちより、ブルーカラーの人たちを管理するホワイトカラーの人たちの方が給料が高いです。(だからこそ、大学に行け!という風潮なのでしょうが)
しかし、これからは管理職以上に管理をするのが得意なAIが登場してくるので、ホワイトカラーの人たちはピンチになる可能性があります。
ホワイトカラーは何かを効率よく処理するための「歯車」です。そして、処理能力の高い「歯車」いずれコンピューターに居場所を奪われてしまう。だから、今の小中学生が将来「コンピューターに駆逐されない自律的な仕事」をできるようになるには、なんでも水準以上にこなせるジェネラリストではなく、専門性を持つスペシャリストになることが必要です。p68
学校教育の怖さがわかりますね。どの教科でも80点が取れるような人が「すげー」とされますが、それは古い時代の考えです。
古文が10点でいいから、数学は160点くらい取れるようにしておきたいんですね。
量産型のジェネラリストは、古くなったら捨てられる、壊れたら買い換えられる、存在になる危険性が大有りです(´・ω・)
いや〜耳が痛い話。
私が気になることをしては、「こういうのに落合さんもいつ気がついたんだろう?」です。
落合さん世代だったら、ネットが十分に発達していない時代の学校教育受けているはずなので、ジェネラリスト教育が善とされていたはずなんですよね。
クリエイティブ・クラスとは?
資本主義の根底にあるものは「誰も持っていないリソースを独占できるものが勝つ」という原理です。例えば土地であったり、石油などの資源であったりしました。
でも、それは変わってきていて、今の世界を代表するような企業が何を独占しようとしているかというと、『優秀な人』になります。
ここでいう優秀さとは、これまでのホワイトカラーのような事務処理能力が高い人ではなく、『創造的専門性を持った知的労働者』のことです。
米国の社会学者リチャード・フロリダは、この人たちの階層を「クリエイティブ・クラス」と呼んでいます。
クリエイティブ・クラスになるためには?
じゃあどうやってクリエイティブ・クラスになるかというと、勉強と研究の繰り返しになります。
まずは勉強で学び、そこからは自分で問題を見つけ、それを解決していくために研究していきます。研究を続けていけばそれは『暗黙知(あんもくち)』を獲得することができます。
「暗黙知ってなんだよこのやろー」
私が尊敬してやまない田坂広志さんの言葉を借りれば、暗黙知とは「言葉で表せない知恵のこと」です。言葉で表せないですから、人から教わることもできなければ、伝えることができません。
だからこそ暗黙知こそがコピペ不可能な“その人だけの能力”になります。
例えば、芸人の明石家さんまさんの能力なんかが暗黙知ですよね。さんまさんの言葉の受け方、返し方、話術、などは誰も真似できません。
なぜか?それが暗黙知だからです。
さんまさんの詳しいことは全然知らないですけど、若かりし頃に芸人のイロハを勉強し、そこから研究し続けたからこそ、お笑いビッグスリーと呼ばれるほどの人物になれたのかと思います。
ちなみに、暗黙知という概念はマイケル・ポランニーさんが『暗黙知の次元』という著書で使ったそうな。
なぜ暗黙知が必要なのか?
繰り返しになりますが、インターネットなどの情報技術を通じて、語られる言葉は誰でも容易に手に入れることができるからです。誰でも簡単に手に入る知識陳腐化していくと言う事ですね。
自らに問いかけるべき5つの問い
世の中に価値あるべきことをしたいなら、5つの問いに答えて、勉強アンド研究をしていきましょう。
- それによって誰が幸せになるのか。
- なぜいま、その問題なのか。なぜ先人たちはそれができなかったのか。
- 過去の何を受け継いでそのアイディアに到達したのか。
- どこに行けばそれができるのか。
- 実現のためのスキルは他の人が到達しにくいものか。
この5つに答えることができれば、取り組むものには価値があるとのことです。
人間のコンピュータ化、コンピュータの人間化
この本を読んでいて、一番面白いなーと思ったところがコレです。
デジタル・ネイチャーという着想に至る以前、僕は「人間とコンピュータはどちらがミトコンドリアなのか」という疑問を抱いてきました。p126
私たちヒトは真核生物(細胞の中に細胞核がある生物)なのですが、真核生物は細胞の中にミトコンドリアという器官があります。
しかし、元々は、ミトコンドリアは独立した生物だったということが分かっています。
つまり、ある生物がミトコンドリアを取り入れ、共生を選択し、真核生物が登場したというわけです。
これと同じように、人間とコンピュータも、どちらかが取り込むんじゃないの?というのが落合さんの考えです。いやー、すごく面白い。
わかりやすい例で言えば、義手とか義足ですよね。
まとめ
この記事では『これからの世界をつくる仲間たちへ』について書いてきました。
おもしろかったですね〜。若い人たちにはガンガン読んでもらいたい本だなぁと。
私も落合世代としてこの本を友達に勧めようと思います。同世代だからこそ伝わる内容ってありますよね。
簡単にまとめます。
- 暗黙知を身につけるために研究を!
- ホワイトカラーに入ったからって安心しちゃだめ!
- 魔法をかける側になろうぜ!
ぜひぜひ手にとって見てください〜。
今回の記事も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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