柿埜真吾(かきのしんご)さんの『自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠』を読んだので、ちょこっとメモしていきます。
この本は、前半から中盤にかけて、社会主義や共産主義がいかに失敗してきたか、そして資本主義のおかげで世界がいかに良くなってきたかを説明しております。ようやく後半で、斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』を批判しています。
斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』や山口周さんの『ビジネスの未来』を読んで、「いきすぎた成長ってゴミを増やすだけだし、ゴミをつくるために多大な労力がいるし、ゴミを片付けるのにもやばいコストがかかるだけだしで、もう限界よな」と感じております。かといって成長をやめてもいいのか?みたいな疑問も残っているので、斎藤さんのような脱成長の考えを批判する本を読んでみようと思い、柿埜さんの本を手にとってみました。
で、この本を読んでの結論から書いておきますと、「確かに社会主義や共産主義がダメだったということは歴史が証明し、資本主義が正しかったことが分かってるんだけど、これからはどうなん?これからも資本主義はずっと正しいの?」というところはいまだにひっかかっています。
経済成長で世界は良くなったという事実
ファクトフルネスでも明らかになっているとおり、世界はどんどん良くなっています。
貧困やら疫病やら災害やらによる『死』は、経済が成長したことにより減っています。数字を見れば明らかです。
しかし経済成長が環境汚染や地球温暖化をもたらしたのも事実です。ですが技術の発達により、公害問題なども防げるようになりました。さらに技術が発達すれば、よりクリーンでより二酸化炭素の排出を防げる超効率的な機械も生み出せるでしょう。
著者はこんなことを書いています↓
コロナ禍や気候変動といった人類の直面している課題を乗り越えるために、今ほど資本主義が必要とされているときはない。
p25
経済成長を放棄したところで、理想的な状態など決して訪れるはずがない。筆者は斉藤氏の本を読んだとき、斉藤氏のご意見には1つとして同意することができなかった。
p30
環境問題は資本主義ではなく外部性の問題
「資本主義のせいで環境は悪くなった!」と思いがちです。
これに対して著者はこう言います↓
環境問題が起きるのは、市場経済のせいではなく、市場が存在しないためだと言ったほうがはるかに正確である。
p155
たとえば、飛行機の騒音問題について考えてみましょう。飛行機会社と客の取引は双方に利益をもたらしますが、この取引に参加していない近隣住民は騒音に悩まされてしまいます。このような現象を『外部不経済』と言います。
環境問題も外部不経済の1つです。私たちの生活を便利にする機械などを使うことで、温室効果ガスが出てしまいます。問題は、温暖化のコストを活動の当事者が負担していないために、温室効果ガスの排出が過剰になってしまっていることです。
じゃあどうすればいいか?というと、外部不経済に対する望ましい対策は、外部不経済をもたらす活動をする当事者にその費用を負担させることです。具体的にはその活動の費用に税を課したりすることです。炭素税なんかが代表的な温室効果ガス対策です。(著者は、脱成長より、このような方法がずっと効率的で確実であると考えています)
社会主義/共産主義は豊かになれないし環境にも悪いという事実
社会主義/共産主義だと社会は豊かになれませんし、環境にも悪かったりします。
1970年代、環境破壊が深刻な社会問題になってくると、ソ連は「公害は資本主義の弊害だ」と宣伝しました。
その後、ソ連は
- チェルノブイリ原発事故
- 20世紀最大の環境破壊と呼ばれることもあるアラル海の縮小化
をやってしまいました。
トップ層が支配する無謀な計画の結果です。普通の人の意見が通らず、政権交代が起こらないような社会では、大きな間違いが止まらずにガンガン進んでいってしまうのですね。(宇宙計画などの成功した例もあるけど)
また、こんなこともあります↓
1988年の時点でソ連は石油・石炭などの化石燃料資源を米国の1.2倍、西ドイツの2倍、日本の3倍も使っていた。同種の工業製品を生み出すのに必要な電力は、ソ連の方が米国よりも36%も多く、そうしてできた製品は米国の品質に遠く及ばなかった。社会主義経済は、非合理的な資源の浪費を招く、究極の資源の無駄遣いを招いたのである。
p136
社会主義/共産主義だと、たくさんのエネルギーを投じて、品質レベルの低いものをつくりがちなんです。
上念司さんの動画も参考になります↓
あと、社会主義/共産主義の流れを汲む、現在も存在している一党独裁国家、
- 中国
- 北朝鮮
- ベトナム
- ラオス
- キューバ
- エリトリア
なんかを見てみると、「あ、やっぱ社会主義/共産主義はやべーわ」というのがわかりそうです。
さすがにこれらの国でも現在ではあまりに非効率な計画経済を放棄し、市場経済化を進めています。でも、依然として政府が強大な権限を持っています。
脱成長コミュニズムは本当に資本主義に代わりうる選択肢なのか
第7章から斎藤幸平さんへの批判が始まります。
斎藤さんの主張はというと↓
「これ以上の経済成長を求めると温暖化で文明が終わる!しかし資本主義のもとでは経済成長が起きてしまうから、経済成長を終わらせるために資本主義を廃止し、脱成長コミュニズムを採用するべき!脱成長コミュニズムこそマルクスの真の思想で、経済成長を追い求める生産力至上主義型のソ連のような共産主義はマルクスを誤読した結果に過ぎない!」
これに対して柿埜さんはこのように言っております↓
「100年以上も読み継がれてきたマルクスの考えは、斎藤氏をおいて誰1人として正しく解釈できてなかっただと…?説得力なし!(でも資本主義に代わる新しい考えを提示したことは評価されるべき!)」
たしかに。そりゃそうだ。
で、斎藤さんへの批判として大きなポイントとなるのが、
- 斎藤さんはいますぐに脱成長をしなければ地球温暖化でやばい!と主張
- でも、本当に脱成長したら温暖化って止まるの?
という疑問が残るところなんですよね。
イメージとしては成長をやめたら地球温暖化は止まりそうです。でも本当に止まるんですかね?効率が悪くなって、無駄にエネルギーを食う社会が作られてしまうかもしれません。
また、本当に地球温暖化ってやばいの?という疑問もあったりします。温室効果ガスの影響もあるでしょうが、太陽活動の影響かもしれないっていう話もあるんですよね。この辺りは難しい。
GDPを増やさないということは…
脱成長ということは、これ以上GDPを増やさないということです。(GDPという指標が正しいという前提のもと話を進めます)
GDPを増やさないためにはどうすればいいのか?柿埜さんは次のような措置を取る必要があると言います↓
人口調整するために、強制不妊のような全体主義的政策を考慮しないとすれば、
- 先進国と途上国の所得格差を現状のまま永久に固定するか
- 途上国の経済成長を認める代わりに先進国の所得水準を大幅に引き下げ、すべての国の所得を現在の世界平均GDPの水準にするか
- 両者の中間のいずれかが必要である。
現実的に考えると、かなり厳しいですよね。脱成長は先進国で合意を取れるかもしれませんが、途上国では「ふざけんじゃねー!」ですからね。
ただし、GDPを増やさないということを便宜上書きましたが、斎藤さんは「脱成長の主要目的はGDPを減らすことではない!」と、人新世の資本論で書いています。GDPを指標にするのではなく、脱成長は人々の繁栄や生活の質に重きを置きます。
で、脱成長の中で削減するべきは、
- 車
- 牛肉
- ファストファッション
などであり、
- 教育
- 社会保障
- 芸術
などは削減すべきではないとも書いています。脱成長は平等と持続可能性を目指すとのことです。
ベーシックインカムという落とし所
斎藤さんと柿埜さんは、対立するような考えなのですが、1つ落とし所があるんじゃないかなーと思いました。
斎藤さんはコモンとして、「電力や水は無償化されるべきだ」という考えです。そうすると生活が貧しい人でも、生活が楽になりますよね。
これに対して柿埜さんは、「無償化したら電力や水は無駄遣いされて、たちまち不足するだろう」と言います。で、「貧しい人に最低限の生活を保障したいなら、特定の産業を恣意的に選んでコモンにする必要なんてない(そんなことすると革新的な企業が生まれなくなるし)。ベーシックインカムや教育バウチャーでええやん」と。
というわけで、ベーシックインカムが2人の落とし所なんじゃないかなーと。ベーシックインカムが実現すれば、『無駄な働き』がなくなるわけで、『無駄なモノとか、無駄なモノを作るための電力』なんかが減るので地球にも優しくなります。脱成長できるかどうか分かりませんが、『それを成長と呼んでいいのか分からない無駄なものばっかりつくる社会』というのは減りそうな気がします。
この本への疑問
この本への疑問がいくつかあったので、忘れる前にメモしておきます。
自発的な取引は双方に利益をもたらすのは本当?
著者はこんなことを書いています↓
一旦理解してしまえば、資本主義の原理は全く単純なものである。自発的な取引は必ず当事者双方に利益をもたらす。もしそうでなければ、わざわざ自分の損になる取引をしたりはしないだろう。
p62
とか、
資本主義は、全体の目標や全体の構成を全く知ることなく、意見の相違を超えて膨大な数の人の協力を可能にしているのである。膨大な数の人々を結びつけているのは、所有権と言うルールのもとで機能する自由市場の存在である。人々は、様々な商品の価格を参考にしながら、自らの判断で自分にとって最善の行動を取ろうと努力する。
p67
とかですね。『神の見えざる手』的な考えですね。基本的にその通りです。著者の書いてあることに間違いはありません。
自発的な取引は双方に利益をもたらす、その通りです。
でも『自発』な取引ってマジであるの?というのが私の気になるところなのです。
例えば詐欺とか押し売りってどうなんでしょう。詐欺とか押し売りというあからさまじゃなくても、広告とかの過剰マーケティングによる無意識の刷り込みとかもそうです。自発なのかな?
あとは中毒性の高いものも自発かどうか気になります。麻薬とかタバコとかお酒とかスマホゲームとか、なんならお菓子や加工食品も中毒性が高いです。これ、自発なのかな?今の世の中ってこんなので溢れまくってるじゃないですか。
「これうまいー!」とお菓子バクバク食べまくるのは、本当に当事者の利益になるのでしょうか?たしかにこれで食品会社に関連している会社は儲かります。お菓子をバクバク食べる人もハッピーです。
でも、お菓子バクバク食べることって病気に繋がるじゃないですか?当事者の利益なんですかね?
また、お菓子をバクバク食べて病気になったら医療費がかかります。本人にかかる医療費は3割で、残りの7割は国民で分担する仕組みです。つまりお菓子とかをバクバク食べ続けることって、取引している人以外も関わってくるんですよね。
医療費が本人の10割負担であれば、「食いたいだけどうぞ」って思いますが、3割しか負担しないのであれば「お菓子をバクバク食べるんじゃねぇ!」って個人的には考えちゃいます。
ちなみにお菓子をバクバク食べ続けることも、それで病気になって薬代やサプリメント代や医療費がかかることも、お金が回り続けるのでGDPとしてはプラスに働きます。ですから経済成長してるって考えられるんです。これほんまに経済成長なの?仮に経済成長だとして、それが人の幸せに繋がってるのかな?と、私は思っちゃうんですよねー。
まぁこの問題も外部不経済の問題だと思うんですけど、一向に対策されそうにないんですよね。(タバコは値段が上がってるけど)
経済成長で貧困が減ったのは本当か?
過去300年くらいの歴史を見ると、確実に経済成長で貧困などの負の死は減っています。「やっぱり経済成長って最高じゃねぇか!」って思ちゃいそうです。
でもさ、ちょっと待ってほしかったりします。
なんで貧困ってあったの?というところに目を向けると、たいていの場合はそこに無能なリーダーがいたからなんですよ。ようは権力で人を支配している人たちですよね。王様とか皇帝とか、植民地を支配していた側とか、発展途上国を貪り食う先進国とか。
普通の人から権力でぶん取るような人間がいなければ、貧困で苦しむ人って少なかったんじゃないですかね(資本主義が始まったおかげで、権力の座が無能な王様とかリーダーから移動したというのはあるとは思うけど)。
資本主義が貧困を減らしたのか、それとも無能なリーダー層がいなくなったから貧困が減ったのか、どっちでしょう?
そんなことを、ルドガー・ブレグマンさんの『希望の歴史』を読んで考えていました↓
資本主義がいいとか、社会主義がダメとかという話ではなくて、人を蹴落としてまで権力の座に突きたがるサイコパス的な人に権力を集めなかったら、普通の人って幸せに生きていけると思うんですよ。それが資本主義であろうが社会主義であろうが。
おわりに
斎藤さんの考えも分かりますし、柿埜さんの考えも分かります。難しいです。
でもどちらかといえば、私は斎藤さん寄りの考えです。50年前には不可能だったことでも、今の技術と考えを持ってすれば可能になるような気がするんですよね。というか、そうしないといけないと思うんです。
私、中堅国立大学卒業者なのですが、私の多くの同級生は私を含めて「あってもなくてもどーでもいいようなモノ/サービス」を作ったり売ったりしております。ゴミです。たくさんのエネルギーを使い、地球を温暖化させ、ゴミをつくって売っています。それでいて、『大学卒業』という肩書きを頼りに、高卒の人たちよりいい給料をもらってます。ゴミつくってるのにね。
マジでいまのままじゃ地球がやばい。というか人間性がやばい。
参考までに。それでは!
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