『新のぞき屋』ただのエロい漫画ではない

『新のぞき屋』ただのエロい本とは違うマンガの感想
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怪しい。タイトルが怪しすぎる。『新のぞき屋』を本屋さんで購入なんて恥ずかしくてできない。店員さんに漫画を渡しながら「お会計お願いします」なんて言おうものなら、女性店員さんの場合「ヤベー、こいつこんなの買ってるのか。犯罪者予備軍じゃん」と思われること確実だろう。

 

いい時代だ。今は電子書籍がある。店員さんと対面せずに買うことができる。指先一つで購入完了だ。というわけで『新のぞき屋』を読んでみた。なぜこんな怪しげな漫画を手に取ってみたかというと、山本英夫先生の作品だからだ。『ホムンクルス』『殺し屋1』で山本英夫ファンになったので『新のぞき屋』も読んでみた。

 

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ある歴史学者が「日本人は昔からのぞいている。江戸時代に男は女風呂をのぞいていた」と発言していた。歴史的事実はどうか知らないが、『おーい竜馬』でも坂本龍馬が女風呂をのぞくシーンがあったのを覚えている。「わしゃ、近めじゃきよう見えんぜよ」と土佐弁で竜馬は嘆いていた。

 

のぞきを肯定するつもりはまったくないが、坂本龍馬しかり、健全な男子なら一度や二度はそう思った経験もあるだろう。私にもある。そして漫画の登場人物もそうだ。主人公のケンはのぞきが好きすぎて、それを生業としている。

 

『のぞき』というと表現が悪いが『探偵』をイメージしてもらえれば印象は変わるだろう。依頼人がいて、例えば「夫の浮気を調べて」などの調査を請け負っているのだ。盗聴器を仕掛け、小型カメラで現場の写真をおさえ、それらをまとめて依頼人に調査報告書として提出する仕事だ。

 

この本を読んでいて思ったことが2つある。1つ目が、のぞきでもしないと他人のことは全然理解できないということだ。私はこれまでにお付き合いしてきた女性がいる。同棲もしていた。しかし、彼女らが一人きりのとき、なにをしているのかまったく知らない。私がいるときの顔と、私がいないときの顔が違うのは当たり前だろう。私がいないときの顔、それを知りたいとは思わないのだが、愛するあまり「どうしても知りたい!」と思い、探偵を雇う人もいるのであろう。そういう人の気持ちがわかった。

 

2つ目。この漫画が連載されていたのは1993年〜1997年だ。スマホもパソコンもネットも全然普及していない時代である。だから登場人物の男性たちは、当たり前のようにエロ本を広げて読んでいる。今ではスマホがありネットがあるので、女性の裸を見るのも簡単だし、性行為の動画を見るのも簡単だ。ここで私は思った。「今の男は当たり前のように他人の性行為をのぞいてるのでは・・・?」と。盗撮と聞くとすごく気持ちが悪いし犯罪だ。でも、ネットがありスマホがあるこの時代、誰もが盗撮っぽいもので楽しんでいるのではないか。そんなことを考えた。

 

漫画のタイトルはいやらしいが、内容は清々しい。誰もが自分の欲求に忠実で「浮気したい」「のぞきたい」という思いで行動している。ただ、主人公のケンはそこからさらに踏み込んでのぞいく。なぜ人がそのような行動に出ているのか?をのぞきから考察していくのだ。ケンは誰よりも『他人を理解したい』という気持ちが強いのだと思う。なぜならケン自身が『理解されたい』からだ。だから彼はのぞき続ける。いつか自分の裏の顔をのぞけるように。

 

就職活動では誰もがESのために自己分析をする。自己分析とはその名の通り、自分を分析して、自分の強み・弱みなどを見つけ出す行為だ。なぜそんなことをするかというと、そうでもしないと自分がわからないからだ。私たちは自分のことを知っているようで、知らない。「自分はどういう人間なのか?」この問いに即答するのは難しい。

 

就活セミナーなんかでは「自分の強みを知りたければ、他人と比較しなさい」と言われる。結局のところ強みというものは相対的なものだ。「あの人よりは〇〇できる」と比較しなければ自分の強み・弱みを発見することはできない。だから本気で自己分析をしようと思ったら、他人をとことん観察する必要があるのだ。相手の表の顔も、裏の顔も。

 

ケンがやっている『のぞき』は自己分析なのだ。他人を観察し、比較し、自分を知ろうとしているのである。漫画を読みながら私は就活についての思い出を掘り起こしていた。「自分とは何か?」そんなことをもう一度考えるきっかけを与える漫画だと思う。

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