広島と長崎に原爆を落とされたが、実は日本も原爆を研究していた

原子爆弾
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本日も「Gallagher Note」をお読みいただきありがとうございます。
こんにちは、福山です。

日本は広島と長崎に原爆(原子爆弾)を落とされました。原子爆弾とはウランやプルトニウムなどの核分裂反応を引き起こした核爆弾のことです。

その威力たるや通常の兵器と比較して極めて大きいため、大量破壊兵器として規制されています。(現在の話)

広島と長崎合わせて約30万人もの人が亡くなられています。

この事実を受け止め、この悲劇を二度と繰り返さないように私たちは学ばなければなりません。

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知られてない事実:日本が原子爆弾の開発に着手していたこと

原子爆弾の一方的な被害者として語られることが多い中、日本も原子爆弾の研究をしていたことは知られていません。

日本では1938年からウラン鉱山からウラン採掘が行われ、1940年に理化学研究所の仁科博士が陸軍航空技術所長の安田中将に「原子爆弾」の研究を進言したと言われています。

そして1941年4月に安田中将は当時の陸軍大臣である東条英機の同意を得た上で、理化学研究所に対し原子爆弾製造に関する研究を依頼しました

これはアメリカが「マンハッタン計画」として知られる原子爆弾開発プロフェクトの発足の1年以上前のことでした。

つまり、日本はアメリカが原子爆弾研究を開始する1年以上前に、原子爆弾の研究に着手しています。

 

なぜ日本は原子爆弾を作れなかったのか?

1つの理由として1945年4月の東京への空襲で、原子爆弾研究施設が焼失し、研究は中止に追い込まれたことが原因です。

さらに、アメリカは大規模な国家プロジェクトとして原子爆弾の研究をしていたのに対し、陸軍と海軍は別々に研究をしていたのです。

陸軍は理化学研究所、海軍は京都帝国大学で独自に研究を進めていては、国家統一プロジェクトとして動いていたアメリカには当然差が出てしまいます。

もっと言えば、原子爆弾に必要なウランの入手ができなかったことが挙げられます。日本はウランの確保に力を入れますが、あまり芳しい成果は出ないままだったので、原子爆弾1個に必要なウランの確保ができませんでした。

敗戦後、GHQにより理化学研究所の核研究施設は破壊されました。

 

まとめ

日本もアメリカ同様に原子爆弾の開発に着手していた。

原子爆弾の被害国であるが、もしかしたら日本が大量破壊兵器である原子爆弾使用国になっていたかもしれないという事実は知っておかなければならない。

 

参考

この社会で戦う君に「地の世界地図」をあげよう 池上彰著

日本の原子爆弾開発 ウィキペディア

日本・原爆開発の真実 五島勉著

 

 

 

 

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