本日も「Gallagher Note」をお読みいただきありがとうございます。
こんにちは、福山です。
THE HUFFINGTON POSTより
子どもの貧困の放置で生まれる社会的損失は40兆円「投資の視点」で対策を
という記事がありました。子どもの貧困は本当に問題で、私たち一人一人が意識していかなければなりません。十数年後の未来を作れるのは今を生きる私たちだけです。
リンク→子どもの貧困の放置で生まれる社会的損失は40兆円「投資の視点」で対策を
子どもの貧困放置から生まれる将来的なコスト
所得や経済規模が縮小すれば、社会としては税収や年金等の社会保険料収入が減少してしまう。加えて、そうした人たちが職を失ってしまえば、生活保護や失業給付、職業訓練といった形で支出が増えることにもなってしまう。
つまり、子どもの貧困を放置してしまうと、社会の支え手が減ると同時に、社会に支えられる人が増えてしまうため、めぐりめぐってそのコストを社会全体で負担しなければならない。
教育機会を均等に与えるコスト<今後のコスト
になることは確実なんですね。もちろんこれは教育コストだけではなく、子どもの頃に健康的な食事を与えず、お菓子とか加工食品ばっかりを与えると「健康格差」が生まれるといわれます。つまり将来に生活習慣病などにかかりやすく、結果として医療費増の要因となります。食事というものは習慣ですからね。子どもの頃の食事習慣は大人になったからといって簡単には変えることはできません。
教育格差が周りの子どもに与える影響
貧困層で教育が受けれない子どもにだけマイナスがあると思いそうですが、決してそうではありません。子どもは互いに切磋琢磨して成長するものです。貧困でない子どもにとって、運動や勉強のライバルが減るということは、成長の機会損失になります。
貧困で勉強できない&大学にいけない、という子どもが増えれば増えるほど、大学受験というものが簡単になっていきますよね?そうなるとどんどん大学のレベルが下がっていきます。
大学のレベルが下がるということは、国力の低下を意味します。教育的貧困を放置することはそれほど怖いことなのです。
子どもの貧困を放置すれば、その社会的損失をゆくゆくは社会全体で負担していかねばならないこと、つまり税負担の増加や公共サービスの縮小となることが避けられない。子どもの貧困は他人事として放置してはならない「自分事(ジブンゴト)」なのである。
そうです。決して他人事ではないのですね。
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