「論語」とは中国の春秋時代に生きた「孔子」の言葉を集めたものです。
孔子は儒教の祖と呼ばれている偉人で、聞いたことがある人も多いと思います。
儒教は聖徳太子のいたころの日本にすでに伝わっていたそうですが、盛んになったのは江戸時代になります。
「仁」や「礼」を大切にする孔子の教えは武士の時代にはぴったりの考え方だったんですね。
ということで今回は武士の心に響いた孔子の教えについてです。
まっすぐに生きようとした男、孔子
孔子はまっすぐに生きようとしたカッコイイ男なのです。
そんな男だからこそ弟子が集い、今になっても語られるんですね。
そんなまっすぐに生きた男の言葉を少し紹介します。
- 「過ちて改めざる、これを過ちという」(誰でも過ちを犯すが、それに気づきながらも改めようとしないことこそ、本当の過ちであるということ)
- 「義を見てせざるは、勇なきなり」(正しいと分かっていながらやらないのは臆病者のことだ)
- 「力たらざるものは中道にして廃す。今汝は画れり」(力が足りないならやるだけやって倒れればよい。やりもしない前からできないというのは自分を見限っていることだ)
- 「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(朝に人としての大切な道を知ることができれば、その晩に死んでも心残りはない)
この言葉だけからでもかっこよさが伝わってきますね。
教育者であった孔子
- 「学んで思わざれば即ちくらし、想うて学ばざれば即ちあやうし」(知識を学ぶだけで自分で考えないとだめだし、逆に自分で考えるだけで知識を取り入れないのも独断になってしまったダメだ」
ここに教育の真髄が詰まっています。
教師としても教えるだけではダメで、考えさせる力を与えなくてはだめなのです。
孔子は紀元前からこのようなことに気づいていたんですね。
そこで孔子は弟子に教えるにあたって「温故知新」を使ったのです。
ようは古いものを自分なりに改良して新しくしてみるってことです。
ヘーゲルの弁証法に似ていますねぇ。
本当の天才というものはまったく新しいものを創りだすかもしれませんが、凡人は古いものを参考にし、自分なりに新しい価値を付けてみなさいということですね。
理性と感性の共存
理性というものは感性を押し殺すという一面があります。
学問により理性を高めると感性が失われるという負の面があるのです。
しかしそれではダメなのです。
温かい心があって、そこに知識と知恵をからめることでよりよい社会を作ることができるのです。
理性を高め合理性を突き進むことが、人間社会の理想の姿ではないことを現代に生きる私たちだからよく分かっているはずです。
- 「ひろく衆を愛して人に親しみ、行いて余力あれば、即ち以て文を学ぶ」(多くの人達を愛せるようになって、それでも余力があるのであれば学問を学ぼう)
理性より感性のほうが重要だと孔子は言っています。人を思いやる力があってこその学問なんですね。
孔子が教える「仁」と「礼」とは?
「仁」とは他者を慈しみ愛する思いやりの気持ちのことです。
「礼」とは思いやりを態度としてあらわす礼儀作法のことです。
孔子の思想をすっごく簡単に言ってしまうと、「思いやりの気持ちを大切にして、礼儀正しくいきましょう」です。
また「仁」と「礼」は1セットでどちらがかけてもダメだとしています。
仁があっても礼がなければ意味は無いし、仁がなく礼だけがあるのも当然ダメ。
思いやりの気持ちを表現して相手に伝えることが必要なんですね。