祖母の冷たい手を触った時に“死への過程”を感じた。

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祖母から学ぶ死生観

「手がぼっけぇ冷たい。」
ぼっけぇという岡山弁を使いながら、祖母は孫の私の手を触ってきた。(ぼっけぇは“すごく”という意味)

「私と比べて手があったかいなぁ」と祖母は言った。
あと半月ほどで新年を迎える季節なので、私の手もどちらかといえば冷たく、先ほどまでさすっていたくらいだ。

でも私の手は祖母の手よりは温かかった。

久しぶりに触るおばあちゃんの手は、真冬の外に1時間ほど突っ立っていたかのような冷たさだった。
設定温度が18度とはいえ、暖房がついているこの部屋で祖母の手は凍えるほど冷たかったのだ。

私の手を離した後、祖母はこう言った。
「今年の冬はぼっけぇ寒い。この冬は何か違うなぁ。」

祖母の言う通り、今年の冬は寒いのかもしれない。
だけど、寒いといっても例年通りでそこまで変わらないはずだ。

変わったのは冬ではない。
私はそこに“生物の死”を感じた。

今年、祖母の米寿を祝った。(88歳)

88歳といえば、女性の平均寿命くらいだ。
祖母の同年代は、歩けなくなったり、認知症になったり、デイサービスを利用していたり、介護施設に入っていたりと、言い方は悪いけど、“人の手を存分に借りないと生きていけない”生活をしている。

その点、祖母は歩けるし、頭もハッキリしているし、デイサービスも週2回の利用だ。(コミュニティに参加するという意味で、祖母はデイサービスを利用している)

祖母の元気さのおかげで、介護をほとんどしなくてよい私の母は大変助かっているし、母が介護疲れにならないので、子の私まで助かっている。

祖母・祖父が元気でいるというのは、家族全体を助けるのだなぁと。

話はそれるけど、家族の調和を保つため、年老いた祖父・祖母を殺す文化を持つ民族(部族)もあったようだ。
人類の歴史を見ても、“動けなくなった時が最後”なのだろうと私は思う。

そんなことを考えていると、日本の今の“延命を目的とした医療”は誰のためなのか?と思う時がある。
医者は儲かるけど、お金を払う家族、介護する家族、介護に従事する若者、将来世代に残す負担と、マイナス面がかなり大きい。

「年寄りは早く死ね」と言っているわけではなく、「どうするべきか?」を国民全体で考えないといけないのだ。

この話をすると話が逸れすぎるので、戻して、祖母の健康の秘訣を紹介したい。

祖母は病院には通っているが、同年代の女性と比べてはるかに健康だ。
つまり、医療費や介護費も少ないので、健康長寿の目指すべき姿なのである。

毎日野菜を食べ、「歩いておかないと歩けなくなるから」といって、暑い夏でも寒い冬でも散歩に出かける。
頭を鍛えるため、毎日全国紙と地方紙の新聞を読み、池上彰のテレビ番組も欠かさず見るくらいだ。

「この歳で学んでも、どうしようって話でしょ?」

と、以前私に祖母は問いかけた。

「その年齢でも学び続けるばーちゃんの姿を見れて、嬉しいよ」

と、私は答えた。

言葉の通り、心底そう思っている。
『生涯学び続けること』、それが“人間らしさ”を保つには必要不可欠だと思う。

毎日8時間以上横になりながらテレビを見ている親族を見ると、とても人間とは思えない。
親族の悪口はそこまでにして、私は祖母に“人間らしく生き続ける”ことを現在進行形で学んでいるのだ。

祖母の学びたい意欲の背景には、認知症予防以外に『戦争時代』の経験があるからだと思う。
祖母の小・中学時代は、満足に教育を受けることができなかったからだ。(当然ながら大学も行っていない)

中学時代には戦闘機の部品を作っていたらしい。
ズブズブの素人に部品を作らせるのだから、こういうところにも日本がどれだけ窮地に立たされていたかが分かる。

またそのころは、天皇のことを現人神(あらひとがみ)と呼び、同じ人間ではないと本気で思っていたらしい。
だから「戦争には負けるはずがない」と信じていたと語る祖母の言葉を、私は強烈に覚えている。

・・・祖母の幼少期の頃の話を書いても膨らみすぎるので、話を冒頭に戻す。

元気な祖母を見ていると、100歳まで生きるんじゃないかな?なんて私は思っていた。
でも、祖母のあまりに冷たすぎる手に触れたとき、そんなことはないかもしれないと感じるようになった。

「いつまでも元気である」というのは理想であって、「現実にはそんなことありえない」と頭では分かっているはずなのに、私たちはそれを見落としてしまう。

諸行無常

世の中のあらゆるものは変化し、カタチあるものは崩れていくと中学生の時に習ったはずなのに、この真理を簡単に忘れてしまう。
死の存在に触れないと、大切なことを思い出せもしない。

私たちは残念ながら物事を絶対的に評価できない。
相対的、つまり何かを比べないと価値を感じることができないのだ。

まずいものを知っているからこそ、美味しいものがわかる。

汚いものを知っているからこそ、美しいものがわかる。

つまらないことを知っているからこそ、楽しいことがわかる。

何が言いたいかというと、“生きることを知る”ためには、死ぬことについて知らないといけないということ。

ただ、残念ながら自分の死は1回きりであって、死を知るときに生きるということが分かったとしても、活かすことができない。
だから他人から死の経験を学ぶしかないのだ。

死ぬということは、ある意味、後世に向けた最大の勉強材料になりえるのだと思う。

私は、祖母の手の冷たさから、これを感じた。

人生を終えると、人は冷たくなる。
しかし、急に冷たくなるわけではない。

徐々に冷たくなる。
その過程を感じることができた。

人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣えない。死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる。

マルティン・ハイデガー

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