無宗教の日本人にとって理解のしがたいものが、当然ながら「宗教」です。
しかし、グローバルな世界ということで、日常生活であれビジネスであれ、多くの外国人と接する機会が増えています。
そんな中、「宗教」なんて俺には関係ない!なんて言ってられないのです。
今や宗教とは学んでおく必要がある必須の教養科目です。
ということで、今回はキリスト教について学んでいきます。
キリスト教はユダヤ教から生まれた
知らない人にはびっくりな話ですが、
ユダヤ教から派生したものがキリスト教なんです。
映画とか観ていると「旧約聖書」や「新約聖書」が出てくると思いますが、
この漢字だけで意味を捉えると、旧約聖書が古いやつで、その改訂版が新約聖書だと思うでしょう。
実際は、ユダヤ教にとっての聖書が「旧約聖書」であり、
キリスト教にとっての聖書が「新約聖書」なのです。
旧訳ではなく旧約
漢字も見ないで、耳だけで聞くときっと旧訳とか新訳だと思うでしょう。
昔の訳では分かりづらいから新しい訳に翻訳し直しました!的な感じね。
全然違って、「訳」ではなくて「約」。
約束の「約」なのです。
これも日本人には無い思想なんですが、ユダヤ教やキリスト教は「神との契約」があるのです。
つまり旧約聖書とは。「神との古い契約」で、新約聖書とは「神との新しい契約」なのです。
神との契約
旧約とはユダヤ人の祖である「アブラハム」が神「ヤハウェ」と契約したことで、
新約とは「イエス・キリスト」と神との契約のことです。
契約とは法律に近いものです。
ヤハウェが預言者モーセを介してイスラエルの民に与えた教えたことが契約となります。
よく聞く「十戒」ってやつですね。
なぜ契約をしたのか?
そもそもなぜ人間と神は「契約」なんてしたのでしょう?
ここがわからないと宗教についてはちんぷんかんぷんだと思います。
想像してみてください。
ユダヤ教が生まれた場所って、砂漠が多い場所ですよね?
つまり、生活が苦しかったんです。
生活が苦しいと何かに救いを求めるのは当然なことでしょう。
(食べるものにも住むところにも困らない私達にはわからない心境かもしれませんが。)
神から与えられた土地カナン
神ヤハウェがイスラエルの民に「約束の地」として与えたのがカナンです。
カナンは現在のパレスチナ付近の地域で、つまりエルサレムがあるところなのです。
なぜキリスト教が誕生したのか?
紀元前1000年ごろ、ユダヤ人であるダヴィデがイスラエルを統一し、ダヴィデ王となりました。
ダヴィデ王は神ヤハウェがユダヤ人に遣わした救世主(メシア)だと考えられていたのです。
しかし、国は分裂し、最終的にはローマ帝国に支配されてしまったのです。
そこでユダヤ人には「再びダヴィデ王のような救世主(メシア)が現れて、自分たちを救い、国を作ってくれる」という信仰が生まれました。
ちなみにイエス・キリストのキリストとはギリシャ語で救世主という意味です。
つまり救世主キリストということなんですね。
イエスの活動
ユダヤ人であるイエスはユダヤ教の形式主義に陥ってる考えを改めようと、自分なりに活動を始めます。
活動内容は「他社への愛」です。
「神への愛」、「隣人への愛」。
ただユダヤ教でも「愛」については説かれていました。
ユダヤ教の根本原理に「愛」があり、法律などはそれを行うための目安でしたが、
それが逆になってしまい、法律があり、それに従う形で愛があることになったのです。
それを見なおそうとイエスは活動していたのです。
イエス死刑
イエスの活動でどんどんイエスの考えを信じる人が増えていきます。
それをよく思わないユダヤ人も多くいました。
勝手に自分を救世主と名乗るなんて、神への冒涜だ!ってことで罪を着せられてしまったのです。
ちなみにイエスは自分のことを救世主だなんて言ってませんし、そのように説いてはいません。
イエス復活
イエスの死後、イエスの姿を見たり、イエスの声を聞いたりする人がぞくぞくで出てきました。
イエス復活の奇跡を体験して、イエス信仰が始まったのです。
この中にはイエスを否定していた「パウロ」という学者がいました。
この体験によりパウロは一転してイエスの熱心な信奉者となり、布教を始めたのです。
こうしてイエスを神格化していきキリスト教が誕生するに至ったのです。