認知症は死への恐怖の防衛手段という考え

本サイトはプロモーションが含まれています
スポンサーリンク

iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥先生が、認知症に対してこのようなことを言っておりました↓

たとえば、認知症の特効薬ができて、100歳になって体が衰えてきても、頭だけははっきりしているとなると、死ぬのが怖くなって逆に大変かもしれませんよ。認知症は、死の恐怖に対する人間の一つの防衛手段という考え方もできます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/652cbaee14f62c21e51fa01257956a41a7373466?page=2

なるほどーと思うわけです。

『人は必ず死ぬ』という大前提のもとに立つと、死への恐怖からは逃れられません。

死への恐怖の防衛手段として認知症はあるのかもしれない、という考え方はなかなかいいものだなーと思いました。

死への恐怖に限らず、年齢を重ねるにつれてがんなどの病気にかかるリスクは増えますから、若い頃にはまったく感じていなかった恐怖も増していきます。脳みそがはっきりしている限り、仏教の悟りの境地にでも達しないと、この恐怖は拭うことはできません。でも悟りの境地に達するなんて難しすぎます。

ってことを考えていくと、認知症によって現実を認識する能力が低下し、死への恐怖が和らぐということは、いいことのような気もしてきます。

これはもしかしたら進化の過程で獲得された人間の特性なのかもしれませんね。死を恐れすぎて辛い人生を生き続けるよりは、少しずつ現実を忘れていった方が、種の存続には有利だったのかも。

あまり効果のないと言われている認知症薬が保険適用され、働いている世代の社会保険料の負担は増すばかりです。ある一定以上の年齢を過ぎた人に、税金を使ってまで認知症薬を使い続ける必要があるのか、疑問なところですね。

認知症になるのは怖い。でも死ぬのも怖いじゃん。だったら認知症になってたほうが幸福度が高いかもしれません。

認知症は病気なのか、はたまた人類が備えた防衛手段なのか。

難しい問題っすねー。

コメント