ニュースを見ていたら不可思議なことがよくあります。
「なぜ?頭のいい人たちでさえ、悪いことをしてしまうのか?」と。そんなことを高校生時代に私は考えていました。なんで大企業の人たちが・・・なんて公務員の最高峰の官僚たちが・・・なぜ政治家たちが・・・
彼らももともとは「社会を良くしたい!日本を良くしたい!」という高尚な考えを持っていたはずです。しかし、いつの間にやら、不正をしたり、隠蔽をしたり、悪事を見て見ぬ振りをしてしまうようになってしまいます。
なぜ人は悪に染まるのか?このページではそのことについて書いていきます。
ハンナ・アーレントの考える悪
ハンナ・アーレントという哲学者が現代の悪を鋭く分析しております。私はこの人の考えを聞いた時、震えました。それほど「なぜ人は悪に染まるのか?」をうまく表せているのではないかと思います。
エルサレムのアイヒマンを分析して悪を見つけた
ハンナ・アーレントはアドルフ・アイヒマンを分析しました。アイヒマンはホロコーストに関与していたナチス党員でして、ユダヤ人を強制収容所へ送り込んだ責任者になります。
戦後、アイヒマンは国外逃亡していました。しかし、ひょんなことから見つかり、エルサレムで裁判にかけられることになりました。アーレントは裁判を傍聴しにいき、アイヒマンを分析しました。その分析結果をまとめた本が『エルサレムのアイヒマン』になります。
アーレントもそうですが当時の人々は、「何百万人ものユダヤ人を強制収容所に送り込み、ガス室で殺したアイヒマンはどれほど悪いやつなのか?どれだけ冷酷的なやつなのか?どれほど非人道的なやつなのか?」と思っていました。
普通そう思いますよね。
アーレントはアイヒマンについて徹底的に分析したのです。そして、その分析結果を発表し、世間から大バッシングを受けることになりました。
アーレントの映画を観たときのメモはこちら↓↓↓
アイヒマンはどこにでもいる普通の人だった
「アイヒマンは悪魔みたいな人間なんだろ!悪魔じゃないと何百万人ものユダヤ人をガス室に送り込めないよ!」というのが、世間の認識でした。
しかし、裁判を傍聴し、アイヒマンを徹底的に観察したアーレントは「アイヒマンは普通の人だ」と結論づけたのです。
- 典型的な役人
- 主張や意見は特にない
- 言われた仕事を淡々とやるだけ
が、アイヒマンの特徴でして、“悪魔的なもの”なんてまったくなかったのです。ただの普通のおっさんだったのです。
裁判中、アイヒマンは同じことを言い続けます。
「私は、上官の命令に従っただけだ」と。
アイヒマンはユダヤ人の収容所へ送る書類にただただサインをしていただけなのです。
全体主義が人を悪へと向かわせる
“全体主義”というややこしい言葉を用います。 全体主義とは、個人は全体を構成する部分であり、個人の活動は全体の成長・発展のために行われなければならないとい主義のことです。この全体主義が人を悪へと向かわせるとアーレントは言いました。
難しいので表現を変えてみます。自分の所属する共同体の価値を、自分の価値であると無自覚に錯覚することが、悪へと導きます。
例えば、現代でいうとサービス残業なんてのがそうです。会社が「1時間くらいはサービス残業しようぜ!」という価値観を提示していたとして、それを無自覚に受け入れ、いつの間にかそれが当たり前になってきて、自分も後輩に「会社のためにサービス残業1時間くらいしようぜ!」と当たり前のようにしている人が多くいます。
ナチスで言えば、ユダヤ人を殺して、優秀なアーリア人の世界を作るという価値が、自分の価値だと無批判に錯覚し、普通の人を大量虐殺者にしたのです。
陳腐さが悪を生み出す
全体主義という難しい言葉を使うのはやめて説明しましょう笑
これまでの“悪”というものは、悪のイデア的なものがあると思われていました。しかし、これからの悪は“陳腐さ”が生み出すとアーレントは言います。
このことを「悪の凡庸さ」とアーレントは名付けました。凡庸という意味は『優れた点もなく平凡なこと』になります。
つまり普通の人間が悪魔的なことをするということです。誰もがアイヒマンのようになり得るということです。それを世間は受け入れられず、アーレントは大バッシングを受けることとなりました。
普通の人がする悪事をする時代
現代社会である不正なことのほとんどが、悪の凡庸さの結果起こったことだと思います。
- なんにも疑問を持たない人間
- 上司が言うことをただただこなす人間
- 思考力を失った人間
- 流れに身をまかせ続ける人間
これからの時代の悪は、普通の人間が起こしていくものなのです。「悪いことをやった」と言う自覚なしに起きていきます。悪事はこのようなカタチで生まれてくるということをアーレントは解き明かしました。
それを防ぐためにはどうすればいいのでしょうか?
「思考し続けろ」
ということになります。
善なる行いをするために
悪ではなく善について見ていきましょう。
善なる行いをするためには、何をしたらいいのでしょうか。哲学者アリストテレスに学びます。
善=アレテー=徳=卓越性を発揮せよ
アリストテレスは善なる行為をするためには徳を持てと言っております。徳という言葉がまたなんとも抽象的で分かりづらいのですが、徳を具体的に言いますと、
- 「卓越性を持て!」
- 「有能性を持て!」
ということです。つまり、“人よりなにか優れたものを持ち、それを発揮すること”が徳を備えていくことが、善き人間の特徴になります。
例えば、
- 人より優れた音楽性を発揮→人を感動させる
- 人より優れたお笑い技術→人を幸せにする
- 人より優れた技術を身につけ発揮→人々の生活を便利にする
などなど、卓越性や有能性を持つことで人の役に立てます。そしてそれが善だとアリストテレスは言うのです。
善なる行為をするためには卓越したなにかが必要
つまり、善なる行為をするためには、
「人より優れたものを身につけて、それを発揮せよ!」
ということになります。
おわりに
なぜ人が悪に染まるのか?の1つの答えに『思考の放棄』があると思います。ニュースなどで流れる不正は不祥事やらの多くは、思考を放棄した結果起こったもののように思えます。
自分が悪に染まらないためには、
- 思考し続けること
- 卓越性を発揮すること
この2つを意識して生きていくしかないのかなぁと思います。
でもこれは茨の道です。だって、お菓子貪りながらソファーに座ってバラエティ番組見ていたいじゃないですか?わざわざ小難しい本読んだり、頭使ってまで新しい知識や技術を習得するのめんどくさいじゃないですか?
脳みそは筋肉と一緒です。筋トレをせずにベッドに横たわっていればどんどんと筋肉が衰えていくように、テレビやユーチューブを見続けていれば思考力も衰えていきます。
思考力・思考体力・脳の柔軟性、それがある一定水準を下回ったとき、私たちはモラルを失ってしまうのでしょう。
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