相対主義とは?相対主義の問題点について

相対主義 問題哲学・宗教
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今の時代、誰もが程度の差はあれ、無意識的に持っている主義があると思います。その主義とは、

  1. 相対主義
  2. 人間至上主義

の2つがあると思います。

無意識的に私たちを支配しているこの主義について考えてみたいと思います。このページでは、まず相対主義(relativism)の行き着く先について書いていきます。

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相対主義とは?

相対主義の対になる主義が『絶対主義』になります。絶対主義とは「絶対的なものがあるんや!この世の中には絶対的な価値とか信じれるものがあるんや!」という主義のことです。

 

これに対して相対主義は「絶対的なものなんてないよ〜」という主義のことです。

絶対主義のアンチテーゼ

相対主義は絶対主義のアンチテーゼになります。

 

例えば、近代では「成長することが善なんや!近代化していない国とかは劣った種族なんや!」という考えがありました。成長が絶対的に正しいということですね。

 

それに対して、「いやいや、成長が必ずしもいいことじゃないよ。山奥の部族にもいろいろな文化があってそれはそれでいいことなんや。それよりも西洋文化が優れているなんて言えるわけないよ。お互いに文化を尊重しあっていこうじゃないか!」というのが相対主義になります。

「相対主義はいいこと言うなー」と思うはずです。私たちの体の中にこの考えは染み込んでいるはずです。でも、相対主義が強くなりすぎると恐ろしいことにもなっていきます。

なぜ人を殺してはいけないのか?

繰り返しになりますが、相対主義は「絶対的なものなんてないんや!全ての価値観を認めあおうぜ!だってこの世に絶対的に正しいものなんてないんだからさ!」みたいな考えです。

 

それでは・・・相対主義者は、なぜ人を殺してはいけないのか?にどう反論すればいいでしょうか?

 

相対主義はこれに答えれないのです・・・。「全ての価値観に優劣なんかないんや!互いに尊重しあおうぜ!」と言う考えですと、『人を殺す自由』までも尊重しなければいけないからです。

 

これが相対主義の恐ろしいところになります。

法で縛れるのか?

人を殺す自由なんて認めれないってことで、私たちの住む社会では法律が作られております。「捕まりたくないだろ?だから法は守っておけよ」ということですね。

 

だけれでも、「捕まってもいいよー。死刑になってもいいよー。それでも殺したいんだ。」という人がいた場合、法律や相対主義はなんの説得力も持てません。

神様がいない時代で

神様いた時代、信仰文化が根付いている時代では絶対主義にしろ相対主義にしろ、「人なんて殺したら神様が怒るぞ!だからダメなんだ!」と言えました。

 

しかし、私たちの世界ではもう神様は死んでいます。いないのです。だからこそ、「法律なんてクソ食らえ!」という人に向かって、語るべき言葉を持てません。

相対主義者はコミュニケーションを破壊する

みんなの価値観を尊重していこうよ!

優しい言葉ですね。相対主義はとても優しい主義に見えます。世間一般的な評価で言えば、このような考え方の方が評価されます。良いとされます。

 

「人それぞれなんだから、自分の考えを人に押し付けるのなんて良くないよ!」

 

この言葉は良いことを言ってるように聞こえます。もちろんその通りだと思います。しかし、相対主義はコミュニケーションを破壊する側面があるのです。一見すると相対主義は相手の価値観を尊重しているように思えます。ただ、相対主義色が強すぎると尊重と見せかけた“無関心さ”になります。

 

「あぁ、あなたの文化は素晴らしいですね。生魚を食べる文化なんですねぇ。いやーそういう文化もあるんですね。生魚を食べる人たちを初めて見ました。いろいろな文化があるっていいことですね〜。多種多様な考えがあって世界って素晴らしいですねぇ。ま、私、生魚は絶対に食べませんけど。」的な。

 

「Aさんは原発賛成なんですね。そういう考えから賛成なんですね。Bさんは原発反対なんですね。なるほどなるほど。Cさんは原発に興味がないんですね。まぁ人の興味は色々ですからね。いやー、みんな、人それぞれの意見があっていいですね〜。」

これだとコミュニケーションをとることができません。人の価値観を大切にすることはとても重要なことです。しかし、相手の価値観を尊重しすぎるあまり一歩踏み出せなくなると、コミュニケーションが崩壊してしまうのです。

 

私たちはなにか共通に信じているものがあるからこそ、そこに歩み寄ろうとして話し合いをします。しかし、相対主義では「へー、そんな考え方があるんだね。私の考え方はこれだよー。いや〜、二人ともいろいろな考え方があって正しいね☆どちらの考え方も尊重しようね☆」とするので、話し合いがまったく進みません。

結局のところ、お互いに無関心でないと相対主義ではいられないのです。

相対主義者が行き着く先は他人事の世界へ

互いに互いが無関心になると、行き着く世界は『他人事の世界』になります。

今の社会ってこんな感じですよね。ニュースを見て「うわ、こんな殺人事件があったんだ。怖いな。」と思っても、所詮は他人事、3分後にはバラエティ番組を見て大爆笑です。

相対主義色が強い時代で

冒頭にも書きましたが、私たちは無意識的に相対主義を受け入れています。しかし、あるところでは相対化できない場面も多くあります。

「相手の考えを尊重しなきゃ」「相手の価値観を大切にしなきゃ」という思いと、「でも絶対的に正しいことってあるような・・・?」という思いがぶつかり合い、混乱している状況にあります。

少しでも絶対主義的な方向に傾くと、「あいつは傲慢だ。自分の考えを押し付けようとしてくる」なんて言われちゃいます。譲れない何かを持っていると、「こだわりが強いなぁ」と避けられちゃいます^^;

 

「AさんにはAさんの価値観が。BさんにはBさんの価値観が。CさんにはCさんの価値観があるんだ。それぞれが楽しければそれでいいじゃない!」

こう言われちゃうと、もう何も言えなくなってしまいます。何を言っても「それはあなたの考えですよね」「そういう考えもあるんですよね」で、話が終わってしまいます。そうなると、お互いに自分の殻に閉じこもって終わり。

こうなってしまうと、社会問題も解決できなければ、新しい発想も生まれません。

相対主義を超えて

人の価値観を大切にする相対主義者は優しい人です。相対主義者はいい人に見えます。物分りが良くて、決してこっちを否定してきません。だから自分と相手とで対立が起きません

 

でも、それだけです。相対主義者は相手を受け入れることもなく、共感するでもなく、ただただ無関心なのです。ただし、しゃべっていて無関心のようには感じません。人当たりがよく感じられます。

 

多くの場合「この人はいい人やなー」と思います。ここが相対主義の恐ろしいところです。そして相対主義者のもっとも恐ろしいところが、自分が相対主義者であることに気がつかないところです。それを指摘されても、「へー、そういう見方もあるんですねー」で終わります。

 

ある意味、達観しているようですが、相対主義者はそこで成長が止まります。なぜかというと、もう外からの声が届かないからです。しかし、それを乗り越えていかないといけないのです。

成長していくためには、他の人の意見と交わらないといけません。

意見を出そう

意見を出すのは怖いです。「お前、そんな意見あるの?」とか「思想が強いな」とか言われるからです。しかし、その恐怖を乗り越えて意見を出して行かないといけません。

  • 人とコミュニケーションをとることを恐れていないか
  • 深い会話をすることを恐れていないか
  • 自分の意見を言うことをためらっていないか
  • 自分の価値観を話すことを拒否していないか
  • 議論は悪だと思っていないか

などなど、これが人とできない限り、私たちは相対主義を超えることはできません。それでは!

コメント

  1. 115489 より:

    法律なんてクソくらえ!という人に語るべき言葉がないとおっしゃいますが、それは違いませんか?
    例えば法律を守ることの大切さを語って説得できる場合もないわけではないと思います。
    捕まってもいいよー、と考えている人を思い直させれば語るべき言葉(語って意味のある言葉)はあるのでは?
    また神がいた時代でも、神なんてクソくらえ!といえる人はいますよね?
    法律なんてクソくらえ!という人に語る言葉がないなら、神なんてクソくらえ!という人にも語る言葉はないのでは?
    神がいようといまいと、縛れない人はいるでしょう。
    また、相対主義者は優しい人です。相対主義者はいい人に見えます。
    物分りが良くて、決してこっちを否定してきません。だから自分と相手とで対立が起きません。
    上記の根拠はなんでしょうか?
    また、相対主義はコミュニケーションを破壊するが意味不明です。
    あなたは生魚をたべるんだ!?いいんじゃない?私は食べないけどね!、
    というのが”無関心”な態度として捉えられていることがまず意味不明ですが、
    相対主義者でも、へぇ~!?生魚って食べられるんだ?じゃあ私も食べよう!となる人はいるでしょう。
    あなたの中での相対主義者が、絶対に自分の価値観を変えない人であるのが不思議です。
    例えば相対主義者でも未知の価値観に触れて、それを拒絶せず、むしろ受け入れて、
    自身を変えていく人もいるでしょう。それは立派なコミュニケーションだと思います。
    また、私たちはなにか共通に信じているものがあるからこそ、そこに歩み寄ろうとして話し合いをします。については、
    そういう面もあるでしょうが、歩み寄る理由がそれだけに限定されているのはなぜでしょうか。
    さらに相対主義者には共通に信じているものが一切無いわけではないとも言い切れません。
    そもそも、あなたのいう相対主義は道徳的あるいは審美的な相対主義しか触れておらず、
    認識や存在に関わる相対主義に触れていないのはなぜでしょうか?
    誰もが持っている相対主義にフォーカスしてるのであれば、せめて文化相対主義とか書かれるべきではないでしょうか?
    なにか相対主義に対して大きな勘違いをしていませんか?上記の疑問点以外にも謎の決めつけが多く思います。
    なくとも私には、あなたの相対主義に対する理解が非常に浅く不適当なものに見えます。

    • 福山 より:

      コメントありがとうございます。
      全面的に115489様の言う通りだと思います。話が極端なところもありますし、私は相対主義について深い理解をしているわけではありません。(例えば、野矢茂樹先生の著書『語りえぬものを語る』を読んで頭がパンクする程度です)

      ただ1つ理解してもらいたいのが、この記事は専門家向けに書いた記事ではないことです。例えば、中学生向けに書かれた理科の記事に対して「おいおい、微分方程式もなければ波動方程式も書かれてないじゃないか!それだと矛盾だらけで理科を理解できるわけないじゃないか!」と突っ込まないと思います。この記事を読んでくれるであろう読者を想定し、文化相対主義などの難しい用語を使わないようにしております。

      115489様は頭の良い方だと思います。相対主義などの話について私よりも圧倒的に詳しいことでしょう。よろしければ、この記事のどこをどう訂正したらより一般読者に分かりやすくなるかなど、ご教授していただけないでしょうか?もしくは分かりやすい参考書籍などを紹介していただければ幸いです。