福沢諭吉の「学問のすすめ」が出たのは、明治初期。
近代国家を進む日本はこの本に多くのことを教わったそうです。(大ベストセラーでしたから)
明治と同じように、今の日本は世界の変わり目にあると思います。明治の時代はその波についていけたからこそ、日本は発展を遂げれました。さて、これからの日本はどうでしょう。明治の時代には「学問のすすめ」というバイブルを皆が読み、未来に対して対策をしていました。今はどうでしょう?そんなバイブルありますか?
きっとこの本が今の時代にも役に立つはずなんです。ということで今回は福沢諭吉の「学問のすすめ」について記事を書きます。
人間の平等を説いた本ではない
超有名な本ですが「名前だけ知ってる」という人のなんと多いことか。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。」
この言葉が有名なので「平等を説いた本なんだなぁ〜」と結構な人が思っています。残念ですが、それは違います。
「人間は学問をするかしないかによって、大きな差が生まれる。だから学問を学ぼうぜ!」って言う本です。
国民10人に1人が読んだ本
ちなみに学問のすすめは累計部数340万部です。当時の日本の人口は3300万人ですから、10人に1人が買っていたことになります。今とは違い誰でもが本を買える時代ではなかったですから、回し読みなども含めると本当に多くの人が読んだのでしょう。
この本が書かれた経緯
近代化を始めた日本。
明治初期は日本がものすごく変わった時代なのです。
なぜかって?
250年以上も続いた江戸幕府が崩壊したからです。
そのため藩もなくなったし、お侍さんもいなくなりました。いなくなったというのは一瞬で姿を消すわけでもないので、ようは武士のほとんどが失業したってことです。
それまでは「◯◯藩の侍」だった人が、急になにもなくなるのです。現代でいうとこんな感じです。少し想像してもらいたいのですが、誰もが潰れるわけもないと思っていた大企業が潰れて、無職になった人たちのむなしさを。
「会社(殿様)のために命をかけるぜ!」って言ってたのに、それがなくなっちゃった・・・・。
そう、この時代の人達には次の目標が必要だったのです。そんな状況に福沢諭吉が「これに向かって進もうぜ!」って言ったのが学問のすすめなのです。
福沢諭吉がいう学問とは?
福沢諭吉がいう「学問」とはどんなものでしょう?
ここの意味を間違えてたら、全然ダメなのでしっかりと覚えておきましょうね。
福沢諭吉が言う学問とは、大学で学ぶようなアカデミックなものではなく、人々の暮らしに役立つような実践的な学問のことです。つまり「読み・書き・そろばん」です。
今の時代なら誰でもできることでしょうが、その当時はそうでもありませんからね。
そういう基礎ができるようになってからアカデミックな学問を学び、自分の仕事に役立てるようにしろと言ってるのです。あくまで学ぶことは実用的なものであり、学問のための学問を学べとは言ってません。
当時は「素読」と呼ばれる勉強法があり、意味が分かろうが分からまいが音読して、孔子の「論語」を覚えていました。論語は諳んじれるけど、お金の計算はできない。そんなの意味ねーじゃん、もっと実用的なこと学ぼうぜって言いたかったんですね。
学問に入らば学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ。学者小安に案ずるなかれ。(第10編)
訳)学問するならたっぷりやれ。農民ならばたっぷり農業して、商人ならばたっぷり商売しろ。学者ならば小さな生活の安定に満足してはダメ。
国民皆学
「学問のすすめ」で福沢諭吉がすすめたことの1つが、上記のように生きることに使える学問を学べというものでした。
もう1つすすめていることがあって、それは「国民皆学」です。
漢字の意味通り、「国民全員が学ぼう!」と促したのです。というのも、国民全員で国力を高めなければ西洋に負け、支配されるという恐怖感があったからです。そもそも黒船という異次元の科学技術を見なければ、幕府討伐もなかったでしょうから。
外国の技術の進歩に恐怖感を覚えるという点では、現代もかなりそれに近いものがありますね。ほぼすべてのイノベーション(技術革新という意味がもっとも近いかな?)は全て外国からきていますから。
国家が成立するということ
福沢諭吉は「国民と政府は対等の関係でなければならない」と考えていました。
もちろんそうですよね。国民の代表が集まってできたところが政府なのですから。
対等の関係を築くためには先程書いたように「国民皆学」で、国民ひとりひとりが知識と教養を身につける必要があるのです。国民の代表として政府があるのだから、政府のすることは国民のすることであり、法に従うということは自分たちが作った法に従うということです。これが政府と国民の大前提であり、国家を作ることなのです。
政府で働かない福沢諭吉の人間性
その能力の高さから福沢諭吉にも「新政府で働いてほしい」という声がかかったようです。
しかし、それを断ったのです。
当時、出世するといえば国の機関に入るしかないのにです。(民間企業なんて今ほどないからね)
福沢諭吉には、なんでもかんでも国の機関に任せるのは良くないとい考えがありました。政治は政府が行うものだけど、それ以外のことは国民が個人として自立して行うことが良いというポリシーがあったのです。
そういう思いがあり、教育機関として慶應義塾という私立の学校を作ったのですね。国から税金を出してもらって学ぶのではなく、自分でお金を出して学ぶ、それこそが真の自立と考えたのです。
まとめ
この本で福沢諭吉が言いたいことをすっごく簡単にまとめると、「自分の考えで学んで、行動しろ!」です。
これはいつの時代にも必要なことだと思いますが、今の時代は特に必要でしょう。明治時代と同じように今はかなりの変革の時代なのです。
明治と違う点は、はっきりとした目標がないということです。
明治では西洋諸国に追いついて、追い抜くという目的がありました。そのためには貪欲に西洋の技術を学んで、それを改良していくということが、日本の国民性に合致したせいか、素晴らしく発展を遂げることができました。
しかし、今はどうでしょうか。西洋諸国と同レベルの技術力を持っています。だからパクって改良したらOKみたいなことができないのです。自分たちの頭で考えて、より素晴らしいものを生み出していかなければなりません。
今までとは違う頭の使い方、そして行動の仕方が問われているのですね。より高度化した文明に突入し、考え方も複雑化し、何をしたら正しいのかが不透明です。だからこそ自分の頭で考えて学んで、行動することが大切なんだろうなと思います。