人が自由を感じるためには何が必要なのか?

人が自由を感じるためには何が必要なのか? 哲学・宗教
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私もそうですけど、今の社会に窮屈感を感じている人も多いのではないでしょうか?

窮屈さを感じることなく、どうやったら自由に生きることができるのか。
私はそういうことに興味があったりします。

宮台真司さんの14歳からの社会学を読んで、「なるほどなー」と思うところがあったので、備忘録的に記事に残します。

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自由を感じるためのサイクル

この本を読むと自由を感じるためには、次のサイクルが必要になります。

  1. 試行錯誤(自由)
  2. それを他者が認める(承認)
  3. 失敗しても大丈夫(尊厳)

このサイクルがあるからこそ自由を感じることができるのです。

これは子供時代と一緒ですよね。
何かをトライしても、母親がそれを認めてくれ、そして失敗を許してくれます。
だからこそまた試行錯誤をすることができるのです。

しかし、今の時代は、

  • 何をしたらよいのか?(何を試行錯誤したらいい?)
  • 誰がその試行錯誤を承認してくれるのか?
  • 失敗しても大丈夫なのか?(尊厳)

これらが分からない時代です。

つまり尊厳を実感しづらいので、自由に行動しづらいということです。

窮屈な社会が生むこと

尊厳を実感しづらい世の中では、次のようなことが起こります。

  • 過度に失敗を恐れる→→→ひきこもり
  • 過度に承認を求める→→→アダルトチルドレン
  • 承認ってなにそれ?→→→尊厳を投げ出すタイプ

この中で最も危険な存在が、『尊厳を投げ出すタイプ』で、これは『脱社会的存在』だそうです。

脱社会的存在がなぜ危険かというと、「なぜ人を殺してはいけないのかが分からない」からであり、酒鬼薔薇聖斗みたいな存在になるからだそうです。

確かに、承認を全く求めない存在って怖いですよね。
人から評価されるから、良いこともやるのだろうし、悪いことはやらないのだと思います。

承認を求めないということは、評価なんかどうでもいい!ってことですからね。

尊厳を得るためにはどうすれば?

尊厳を与えてくれるのは他者の承認です。

昔であれば、学歴とか企業名が承認を与えてくれました。
しかし、今は違います。

みんな一緒で仲良くやっていこうの時代は終わり、共通の価値観や前提条件が変化しています。
今は仲良くできない他者とどう付き合うかが大切です。

そんな世の中で、どうやって尊厳を得ていくか・・・。
この1つの答えが、やはり『コミュニティ』ではないかと思っています。

例えば、趣味が合う友達を作ることです。
昔であれば、趣味が合う共通の友達を作るのは大変なことでした。

しかし今はネットがあり、SNSがあります。
ラインもあればスカイプもあります。

オンラインで繋がり、オフラインでリアルの友達になることもできる時代です。

少し前の世代であれば「ネットで繋がる?出会い系はやめなさい!」とか「ネットは変な奴らばっかりいる!」という認識が強かったです。
しかし、ネットが当たり前の時代であれば、そんな感覚はありません。

だから『ネットは気持ち悪い』みたいな認識を強く持っている人ほど、コミュニティを見つけづらく、尊厳が与えられない生活、つまり自由を感じない生活を送ることになるかもしれませんね。

まとめ

何が言いたいかっていうと、自分が表現できる場所、コミュニティを見つけよう!ってことです。
人間に生まれた以上、自分の何かを表現したいはずです。

  • 料理がうまい
  • ゲームが面白い
  • 歌が好き
  • アニメが好き
  • パソコンが得意
  • 本が好き

などなど、自分が興味あるものであれば、人はそれを誰かと共有したくなるものなのですね。

「俺は他人が嫌いだ!」と言ってても、どこかの掲示板で書き込んだりすると思います。
人は人と関わってこそ人間であり続けれると思います。

ですから自分の何かが表現できるコミュニティを見つけて、自由を感じるような生き方を目指しましょう(`・ω・´)”

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