「平成が終わるんだな。」
イチロー選手が引退を発表した時に、私はそう思いました。プロ野球人生28年間、私の年齢とほぼ同じ時間を、イチロー選手は過酷なスポーツの世界に身を置いていたのです。
物心ついた時には、すでに日本でスターだったイチロー選手。メジャーに行った時のことも覚えています。今では当たり前となったメジャーへの挑戦。あの頃は、イチロー選手、松井選手と日本のスーパースターが挑戦していたように思えます。
「日本人は体格的に無理だ!」
そのような声を吹き飛ばすようにメジャーで活躍したイチロー選手を見て、勇気をもらったアスリートも多いかと思います。野球だけでなく、多くのスポーツ、そして日本人の精神性に多大な影響を与えたのではないでしょうか。
さてさて、ネット記事ではイチロー選手の引退会見の全文が上がっていまして、その中からグッときた文を引用したいと思います。
引用:https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/ichiro
イチロー選手にとってファンの存在とは?
ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見ていてくれる人も喜んでくれるかなというふうに思っていたんですけれど。
ニューヨークに行った後ぐらいからですかね。人に喜んでもらえることが、一番の喜びに変わってきたんですね。その点で、ファンの方々の存在無くしては、自分のエネルギーは全く生まれないと言っても良いと思います。
イチロー選手が野球を楽しめていたのはいつまで?
94年、(オリックスの)仰木(彬)監督と出会って。レギュラーで初めて使っていただいたわけですけど。この年まででしたね、楽しかったのは。
あとはなんかね、その頃から急に番付あげられちゃって一気に。それはしんどかったです。やっぱり、力以上の評価をされるというのはとても苦しいですよね。
だからそこから、純粋に楽しいということは…。やりがいがあって、達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。
ただ、楽しいかと言うとそれとは違うんですよね。でも、そういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球がやりたいなというふうに。
『頑張る』の考え方
先程もお話しましたけれど、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、秤(はかり)は自分のなかにある。それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということを繰り返していく。
そうすると、いつの日か「こんな自分になっているんだ」という状態になって。だから、少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないというふうに思うんですよね。
一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それが続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。
でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか。そんな気がしているので。
現役時代に我慢してきたこと
僕、我慢できない人なんですよ。我慢が苦手で、楽なこと楽なことを重ねているという感じなんですね。自分ができること、やりたいことを重ねているので、我慢の感覚がないんですけど。
だから、とにかく身体を動かしたくてしょうがないので。こんなに動かしちゃダメだといって、身体を動かすことを我慢するということはたくさんありました。
野球の魅力
団体競技なんですけど、個人競技だっていうところですかね。これは野球の面白いところだと思います。チームが勝てば、それでいいかというと、全然そんなことない。
個人としても結果を残さないと、生きていくことはできないですよね。本来はチームとして勝っていれば、チームとしてのクオリティは高いはずなので、それでいいじゃないかという考え方もできると思うんですけど、決してそうではない。その厳しさが面白いところかな。面白いというか魅力であることは間違いないですね。
あと、同じ瞬間がないということ。必ず、必ずどの瞬間も違う。これは飽きがこないですよね。
孤独感について
孤独を感じて、苦しんだこと多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって、大きな支えになるんだろうと、今は思います。
だから、辛いこと、しんどいことから、逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときに、それに立ち向かっていく。そのことは、すごく、人として重要なことなんではないかなと感じています。
イチロー選手、今まで本当にお疲れ様でした!ありがとうございました!
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